第4話 おかしな感情

 朝っぱらから姉ちゃんと与太話をしていたせいで、俺達は入学式に遅刻しそうになっていた。

 幸いここまで全力疾走で走ってきたおかげで、校門は目と鼻の先にある。

 これならどうにか遅刻は免れそうだ。



「春樹!! 急ぎなさい!! 遅刻するわよ!!」


「そんなのわかってるよ!!」



 姉ちゃんと玲奈は先に校門をくぐっていく。

 その姿を後ろで眺めながら、俺も校内へと足を踏み入れた。



「初めての登校が‥‥‥こんな散々なことになるとはな‥‥‥」



 体中から汗が滴り落ち、体中がベトベトするこの不快な体でよかったのに。

 どうやら俺の入学式は過去最低なものになる予感がする。



「これならせめてもう少し朝早く出かけるべきだったな」



 時間なんて姉ちゃんに任せず、俺が時間を決めて1人で行けばよかった。

 俺達と一緒の学校に通っている姉ちゃんに任せるべきではなかったのかもしれない。



「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ」


「姉ちゃん‥‥‥息が上がってるぞ。少し運動不足なんじゃない?」


「そういうあんたこそ‥‥‥サッカー部なのに‥‥‥息が上がってるじゃない」


「今の姿‥‥‥学校の関係者に見られたら‥‥‥軽蔑されそうだな」


「大丈夫よ‥‥‥今日は在校生は殆ど来てないから」


「そういう問題なの?」


「そういう問題よ!!」



 額から汗を流しながらも、憎まれ口を叩く俺の姉。

 いつもの女神様のような優雅な表情は鳴りを潜め、俺をひたすらいじろうとする邪悪な素顔が全開である。



「そんなに汗かいて大丈夫なの?」


「別に何も問題ないわ」


「姉ちゃんがそれならそれでいいけど」



 朝出かけるのが遅かった姉ちゃんだ。きっと自分の身支度に時間をかけていたことだろう。

 きっと薄くだけど化粧もしていたに違いない。そんなに汗をかいていて、化粧が落ちてないか心配だ。



「あんたが何を心配しているか大体わかるけど‥‥‥化粧の事なら大丈夫よ」


「姉ちゃんってエスパーなの!? 何で俺の心が読めるの!?」


「だまらっしゃい!! それよりも元々私は化粧をしてないから、ハンカチで汗をぬぐって制汗スプレーをするだけで問題ないわ」


「それでも結構な手間がかかってない!?」


「かかってないわよ。それよりも春樹、そこに立ちなさい!!」


「えっ!?」



 それだけ言うと、姉ちゃんはバッグから制汗スプレーを取り出し俺に向かって噴射する。

 自宅で発見されたゴキブリを殺すような冷徹な表情で俺にスプレーをかけてくる姉ちゃんであった。



「ごほっ、ごほっ!? 姉ちゃん!? 何するの!?」



 あまりに唐突にかけられたので俺は思わずむせこんでしまう。

 逃げようとするもものすごい力で襟首を掴まれているため、身動きを取ることができない。



「姉ちゃん!! 俺はゴキブリじゃないから!! だから手を離して」


「そうね、貴方はゴキブリじゃないわ」


「わかり合えているのなら何よりだ」


「貴方はゴキブリ以下よ、春樹」


「わかり合えてなかった!?」



 いや、ゴキブリじゃないということに対してはわかり合えていた。

 だけどお互いゴキブリよりも上か下かで意見がわかれていただけのようである。



「姉ちゃん!! 何でこんなことするの!?」


「今の汗だくのままで教室に入ったら汗臭くなるでしょ!! ハンカチも渡すから、これで汗をぬぐって中に入りなさい!!」



 姉ちゃんからハンカチを渡されて、それで汗をぬぐう。

 その間も姉ちゃんは制汗スプレーを俺にかけ続ける。



「クン、クン‥‥‥これならさっきよりましになったし、大丈夫ね」


「ありがとう、姉ちゃん」


「別に礼を言うほどじゃないわ。仮にも私の弟なんだから、少しは身だしなみもしっかりしなさい」


「はい」



 相変わらず姉ちゃんは厳しいな。家では人一倍適当なのに、外では人一倍厳しい。

 これが完璧超人である姉ちゃんを作り上げているのだと思うと頭が下がる思いだ。



「春樹、これだけは覚えておきなさい。モテる男の子はね、みんな清潔感があるの」


「清潔感?」


「そうよ」



 姉ちゃんは真剣な顔で話しているけど、俺にはいまいちよくわからない。

 基本俺は体は清潔にしているし、特に問題ないように思える。



「俺昨日はちゃんとお風呂に入って、頭も体も洗ったよ」


「それは当たり前よ!! そういう事じゃなくて、清潔感って言うのはね‥‥‥まぁ、いいわ。とりあえず今の所は意識させなくてもいいか」


「?」



 姉ちゃんが何を言ってるのかわからない。

 だけど考え込みながらぶつぶつとつぶやく姉ちゃんは、何か真剣に悩んでいるように見えた。



「姉ちゃん、一体どうし‥‥‥」


「春樹!! こっちにクラス表あったよ!!」


「わかった。今行く」


「ちょっと待ちなさい、春樹。私の話はまだ終わってない‥‥‥」



 独り言をつぶやいている姉ちゃんは放っておき、俺は玲奈が待つクラス表が載っている場所へ移動する。

 一足先に着いた玲奈は既にクラス表を確認していた。



「お疲れ、玲奈」


「うん。お疲れ様、春樹」



 ここまで全力で走ってきたはずなのに、玲奈は息一つ切らしていない。それどころか、汗一つかいてない涼しい顔である。

 俺と姉ちゃんはグロッキー状態だけど、まだ玲奈には余裕がありそうだった。



「玲奈、疲れてないの?」


「うん。大丈夫」


「そうなんだ」



 どんな体力をしているのか問いただしたくなるが、それを口にしない。

 きっと玲奈は特別な人間なのだろう。そうに違いない。



「ふっ、玲奈は春樹とは鍛え方が違うようね」


「姉ちゃんに言われたくないわ!!」



 あれだけ息を切らして汗がダラダラだった姉ちゃんにドヤ顔された所で、説得力のかけらもない。

 ただ1つ言えることは学校では清楚な姿の姉ちゃんも、俺達の前だけでは素の自分を出せて生き生きしているように見えた。



「私と春樹の名前‥‥‥見つからない」


「あぁ、そうだな」



 いかんいかん、今は姉ちゃんに構っている暇はない。

 それよりも俺達のクラスを確認しないと。遅刻してしまう。



「えっと‥‥‥俺のクラスはどこなのかな‥‥‥」



 クラス表の端から端まで見ているけど、俺の名前が見つからない。

 俺だけではない。玲奈の名前も見つからなかった。



「玲奈、玲奈、玲奈のクラスは‥‥‥」



 クラス表の1番端を見た際、ついに玲奈のクラスを見つけた。

 間違いなく、玲奈の名前がクラス表に書いてある。



「あった!! 玲奈はB組だ」


「春樹はA組みたい」


「「えっ?」」



 玲奈がB組? A組じゃなくて!?



「俺ってA組なの?」


「私‥‥‥B組なの?」


「もう1度確認しよう」


「うん」



 玲奈と違うクラス? そんなことあるわけない。

 こんなこと今までなかったのに。きっと見間違えだろう。そうに決まってる。



「俺の名前は‥‥‥確かにA組だ」


「私の名前、B組にあった」



 どうやら俺と玲奈が違うクラスだってことは本当らしい。

 今まで別々のクラスになったことはないのに。



「こんなことって、あるのかよ」



 思わず俺は肩を落としてしまう。

 あのバレンタインデーから、玲奈とろくに話せていなかったせいなのか運命というものは残酷だ。

 生まれて初めて玲奈と別々のクラス。その事実に思わず落胆してしまう。



「玲奈、俺達は別のクラスだな」


「うん」


「えっ!?」



 玲奈の様子は俺と別のクラスだということがわかっても、表情一つ変えていない。

 別に玲奈は俺とクラスがわかれていても平気そうなように見える。



「玲奈?」


「あっ!? もう遅刻しちゃうから私行くね」


「ちょっ!? 玲奈」


「私先に教室に行くから。またね、春樹」



 玲奈はクラス表を見るとさっさと昇降口の中に入ってしまう。

 その様子は俺と別のクラスになったことを全く気にしていないように見えた。



「またね‥‥‥か」



 まるで永遠の別れを告げられたかのように感じてしまう。

 俺が玲奈に対して思っていた絆のようなものが、いとも簡単に切れてしまったように感じられた。



「プッ。玲奈に全く相手にされてないなんて。超受けるんだけど」


「姉ちゃん、笑うなよ」


「だって、『玲奈からチョコをもらえる(キリッ)』とか言ってたのにもらえなかったし、あんたははなっから玲奈の眼中に無かったのよ」


「眼中に無い?」


「そうよ。だってあの子はあんなに可愛いのよ。元からあんたと釣り合うわけ無いじゃない」


 

 姉ちゃんの言葉を聞いて、頭がかち割られたような衝撃が俺の脳内を駆け巡った。

 それもしょうがないことだ。玲奈と俺の関係性を改めて見せつけられたのだから。



「そうだ。玲奈は昔から可愛かった。中学時代から色々な男子に目をつけられるほど、学校では飛びぬけて可愛かったんだ」


「今更何をわかったこと言ってるのよ?」



 俺が幼馴染というポジションに胡坐をかいていたせいで完全に抜け落ちていた。

 姉ちゃんと一緒に遊ぶという以外で、玲奈との関わりなんて今までなかったのに何を自惚れていたのだろう。



「自惚れていた‥‥‥あれ? 俺、どうしてこんなに焦っているんだ!?」



 いままで玲奈のことは気の置けない幼馴染として一緒に過ごしていた。

 だけどその幼馴染が自分の手の届かない所に行ってしまったと考えた途端、急に目の前が真っ暗になった。



「春樹? あんたどうしたのよ? 頭がおかしくなっちゃったの?」


「‥‥‥そうだよな。玲奈は俺なんかどうでもよかったんだ」


「今更そんなこと言ってるの?」


「今更って‥‥‥」


「だってあんたは玲奈のことなんとも思ってなかったんでしょ? 今までと同じじゃない」



 確かにそうだ。姉ちゃんの言う通り、俺と玲奈は元々殆ど疎遠な関係だった。

 同じクラスでも何か用がないと話すことはなかったのに、俺は今何でこんなに焦ってるのだろう。



「そうだ‥‥‥そうだよ。俺と玲奈は今まで姉ちゃん以外で殆ど接点なんてなかったじゃないか。なのに、どうして今更焦って‥‥‥」


「はぁ~~、どうやらあんたはまだ自分のことわかってないようね」


「自分のこと?」


「まぁいいわ。しばらくその感情と向き合ってみなさい」


「姉ちゃん!!」


「私ももう行くわね。入学式の準備もあるし、忙しいから」


「ちょっと、待ってよ!? 姉ちゃん!!」


「待たないわよ。じゃあね、春樹。また後で」



 それだけ言い残すと、姉ちゃんは昇降口の中へと入っていく。

 手にはスマホを持ち何かを確認すると、それを制服にしまいどこかへ行ってしまうのだった。



「一体何なんだよ!!」



 玲奈が違うクラスになっただけ。たったそれだけなのに、何で俺はこんなに焦っている。

 玲奈がどこか遠くに行ってしまったような感覚に襲われ、胸がバクバクとなっていた。



「俺の体、どうしちゃったんだよ!?」



 玲奈のことで頭がいっぱいになり、何も考えられなくなる。

 この感情をどう表現していいかわからない。だけどどれだけ振り払おうとしても、脳の片隅に玲奈の事を考えている自分がいた。



「くそ!!」



 1人残された俺はゆっくりと昇降口の方へと移動する。

 そして登校時間ギリギリに教室に入り、よくわからない感情を胸に抱えたまま自分の席へと座るのだった。



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