第2話 女神様の素顔

 俺達の通う学校にはかつて女神様がいた。もちろんそれは玲奈のことじゃない。

 品行方正で才色兼備。先輩後輩問わない幅広い人望。そしてどこかの女優ではないかと思われる程美しい美貌。

 バレーボール部キャプテンで生徒会会長。そんな完璧超人がかつてこの学校にいた。



「姉ちゃ~~~~~~~ん!!」


「何よ春樹!! うるさいわね!!」


「ぶべらっ!?」



 リビングに入った直後、俺の顔目掛けてテレビのリモコンが飛んできた。

 それを避けることができず俺の顔にリモコンが当たり、思わずその場でしりもちをついてしまう。



「痛いな、姉ちゃん!! いきなり暴力を振るうなんて反則だろ!!」


「帰ってきてそうそう、あんたがお猿のような声を上げてるからでしょ!!」



 リビングで俺と口論する女性。それこそ全学年憧れの存在であった初代学園の女神である俺の姉、小室美鈴である。


 年は俺の1つ上。当時学校では人気が高く人望が厚い姉ちゃんだったけど、家ではこうして俺のことを邪険に扱っている。


 姉弟だから気心しれた中だったこともあるだろう。

 だけどもう少し丁寧に弟のことを扱って欲しい。

 



「姉ちゃんに聞いてほしいことがあるんだけど‥‥‥」


「私は今忙しいから後にしなさい」


「その姿のどこが忙しいの!?」



 炬燵の中で寝そべり煎餅を食べながら、のんびりとテレビを見ているだけなのに、どの辺りが忙しいのだろう。

 時折リモコンを操作してにちゃりと笑う姿は、弟の俺から見てもただただ気持ち悪い。

 今の姉ちゃんは女神の面影等全くなく、ただリビングでぐうたらしている高校生だった。



「‥‥‥相変わらず猫かぶりモードを解除するとだらしないんだな」


「別にオフモードの時ぐらい何しててもいいでしょ!!」


「何をしていても‥‥‥ね」



 改めて今の炬燵に入っている姉ちゃんの姿を確認しよう。

 今の姉ちゃんの姿は黒縁の眼鏡に緑のジャージ。いつもはきれいでサラサラな長い髪が邪魔なのか、団子のように頭の上に2つ載っている。

 いつもニコニコと笑っている天使の微笑みはなく、テレビを見ながらだらしなく口を歪めている姿は、どこかのクリーチャーを想像させた。



「もしこの姿を学校の男子がみたら、きっと幻滅するんだろうな」


「何がいいたいのよ?」


「別に。なんでもない」



 これが俺達学校中の男子が崇拝している学園の女神様の真の素顔だ。

 知っているのは俺と玲奈、あと俺と仲のいい守がギリギリ素の顔を知っているかというぐらいだ。

 ちなみに守は姉ちゃんが家でこんな姿をしていることを知らない。

 普段こんな格好で過ごしているのを知ってるのは、家が隣通しで家族絡みの中である俺と玲奈だけだ。



「そういえばあんた、今日はバレンタインデーだけどチョコはもらえたの?」


「うっ!?」


「なるほど‥‥‥その様子を見る限り、どうやらもらえなかったみたいね」



 コタツから起き上がり、ニヤニヤと俺のことを見る姉ちゃん。

 いや、ニヤニヤというよりはにちゃにちゃと言った方が正しいか。眼鏡の奥が怪しく光るこの姿の姉ちゃんはいつ見ても憎たらしいな。



「今年は玲奈からももらってないようね」


「それがどうしたんだよ?」


「ざまぁ!!」


「俺を煽ってそんなに姉ちゃんは楽しいの!?」


「楽しいわね」


「即答!?」



 姉ちゃんは俺の不幸がそんなに好きなの!?

 玲奈からチョコをもらえなくてへこんでいる実の弟を相手にして、追い打ちをかけることないだろ。



「あんたが持っていた謎の不敗記録もこれで終わりね」


「まだだ‥‥‥まだ終わってない」


「えっ!?」


「確かに玲奈からはもらってない。もらってないけどまだ今日は終わってないんだから、もらえる可能性はある!!」


「ないわよ。こんな遅い時間に玲奈がバレンタインチョコを持ってきてくれたことなんて、今までなかったでしょ!!」


「ぐっ!?」


「哀れ春樹。毎年もらってる玲奈からチョコをもらえないなんて、いよいよあんたも終わりね」


「がはっ!?」



 姉ちゃんに正論を言われて、思わずうめいてしまう。

 確かに学校ではもらえなかったし、姉ちゃんの言う通り夜遅い。だけどまだ今日は終わっていない。

 日付を超えるまではわからない以上、きっとまだ可能性はあるはずだ。



「まだだ‥‥‥まだ今日は終わってない!!」


「あきれた。家に戻ってから玲奈がチョコをくれると思ってるの?」


「もちろんだ」



 きっと玲奈のことだから、受験生に気を遣って教室では渡せなかったのだろう。

 学校でもそのことが気まずくて俺を避けていたんだ。きっとそうに違いない。



「ふっふっふっふっふっ」


「気持ち悪い笑い方をしないでよね。リビングの空気が汚れるわ」


「姉ちゃんがそれ言うの⁉︎」



 お前が言うなと言いたいが、姉ちゃんが睨んできたので俺は何も言うことはできない。

 それよりも今は玲奈のことを考えよう。きっと今頃俺の為にチョコを準備してくれてるに違いない。



「ふっふっふ、今日の俺は勝者なんだ。絶対に玲奈はチョコをくれる。間違いない」


「何を考えているか手に取るようにわかるけど、相変わらずあんたは気持ち悪いわね」



 姉ちゃんに言われたくはないけど、今は放って置こう。

 それに気持ち悪さはお互い様だ。家でテレビを見る姉ちゃん程俺は気持ち悪いものを見たことがない。



「ふっふっふっふっふっ」


「やっぱりあんたはいつ見ても気持ち悪いわね」


「別に姉ちゃんに何を言われたって、全く気にならないね」



 まだ俺には時間が残ってる。きっとその間に玲奈がサプライズの準備をしてくれているに違いない。

 姉ちゃんは手に持っていたスマホをいじりながら、俺に興味のない視線を送る。



「今頃玲奈は俺にチョコをくれる準備をしているんだ。きっとそうに違いない」


「お前の頭はハッピーセットかよ!!」


「ハッピーセット?」


「もういいわ。こっちの話よ」



 そのままテレビの音量を大きくする姉ちゃん。

 BDレコーダーを止めて地上波の番組にチャンネルを変えて、炬燵から出てテレビの前で正座をした。



「姉ちゃん、何してるの?」


「あんたが気持ち悪い行動をしてようが変態的な行動をしていようが構わないけど、そろそろ私が好きなテレビが始まるから口だけは閉じなさい」


「好きなテレビ?」



 時計を見ると既に時刻は19時前になっていた。

 そして今日の日付は木曜日。そういえばこの日は姉ちゃんが好きなアイドルグループが出演する冠番組がやる日だったな。



「始まるわよ!」


『Wの風、始まるよ~~』


「キャーーーー!! 近江くぅーーーーん!!」



 家中に響くような姉ちゃんの叫び声。

 あまりのうるささに俺は思わず耳を塞いでしまう。



「うるさいよ、姉ちゃん!!」


「うるさいのはあんたの方よ!! 今は近江君が出てるんだから、口を閉じて静かにしなさい!!」


「理不尽だ!!」



 外では学園の女神様と呼ばれる完璧超人の姉ちゃんであるが、実は大のアイドル好きのドルオタという裏の顔を持つ。

 特にWindsというグループが好きで、その中でも近江君という人物にご執心である。



「相変わらず姉ちゃんはWindsの近江が好きなのね」


『ゴチン』


「いてっ!? 何で殴るんだよ!!」


「近江!! じゃ無くて、近江君でしょ!! 何度言ったらわかるのよ!!」


「はいはい、わかったわかった‥‥‥って痛ぇ!? 今度はリモコンを投げるなよ!? 姉ちゃん!!」


「あんたが近江君を侮辱するからでしょうが!!」



 自分の好きなアイドルの話になると、姉ちゃんはすぐむきになる。

 趣味に没頭している時の姉ちゃんに何を言っても無駄だ。ここは一旦部屋に戻ろう。



「L・O・V・E・Lovely近江」


「邪魔して悪かったな。俺は一旦部屋に戻るよ」



 ここにいてもしょうがないと思い、リビングから俺は去ろうとした。

 去ろうとした時、Windsが出ているテレビから姉ちゃんは一瞬目を離し俺の事を見る。



「春樹」


「何だよ?」


「私がこういうのもあれだけど‥‥‥強く‥‥‥強く生きなさい」


「はぁ? どういう意味だよ?」


「言葉の通りの意味よ」


「だからどういう‥‥‥」



 その瞬間、テレビの中で近江君がゲームをやり始める。

 その姿を逃さずに、姉ちゃんの首はグリンとテレビの方へと向いた。



「キャーーーー!! 近江君、超格好いい~~~~~~~!!」


「ダメだこりゃ」



 それっきり姉は何か言う気配がない。

 ダメだ。これは完全に近江君モードだ。

 このモードに入った姉ちゃんは何かに耳を傾けることはない。

 むしろ邪魔をすると怒られるどころか、殴られてしまう。



「とにかく俺は部屋に戻るからな」


「はいはい、どうぞご勝手に」


 俺はこの後リビングで夢中になってテレビにかじりつく姉ちゃんを置いて部屋に戻った。

 結局この日、期待していた玲奈からバレンタインのチョコレートをもらうことは無く、俺はベッドの上で1人すすり泣きをするのだった。



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