江戸美少女剣士【砂夜】大正浪漫剣②


 次に砂夜が意識をとりもどした時、砂夜は和室に敷かれた布団の上に寝間姿で寝かされていた。

 障子の向こう側からは、ひぐらしの鳴く声が聞こえてくる。

(ここは?)

 砂夜の目は天井から吊り下げられた、奇妙な照明器具〔洋式石油ランプ〕に注がれていた。

 布団の上で上体を起こした砂夜は、部屋の中を見回す。

 見慣れた和室のモノもあれば、見たことも無いモノもあった。

 アサガオの花の形をした金属が生えた奇妙な木箱〔手回し蓄音機〕や、柱にかかった文字盤時計らしいモノ〔柱時計〕に砂夜は首をかしげる。

 木製タンスの上には、『映画乃友』と表紙に印刷された雑誌が、無造作に置かれていた。


(ここは……どこだ? 江戸か?)

 砂夜が狐につままれたような顔をしていると、障子が開いて砂夜と同じくらいの年齢の少女が顔を覗かせて言った。

「あっ、気がついた……よかった、川で溺れていたのを助けた町の人たちが、大八車にあなたを乗せて運んできて大変だったんですよ……あなたは、旅役者の人?」

 少し馴れ馴れしい、しゃべり方をする少女を訝る砂夜。

(言葉がわかるところをみると、同じ国の人間のようだが……あの頭にしている赤い布〔リボン〕は? いったい?)

 矢羽根模様の着物と袴の姿の少女が、廊下に向かって言った。

「お父さま、意識がもどったみたいですよ……診察お願いします」

 廊下を歩いて近づいてくる足音が聞こえた。

 現れたのは、溺れる直前に砂夜が幻で見た着物ではない衣服を身につけた年配の男性だった。

 部屋に入ってくるなり男性が言った。

「外出用の洋装姿のままで申しワケない、知人と一緒に上野公園で開催されている『平和記念東京博覧会』に行って、帰ってきたばかりなので」

 年配の男性は砂夜に近づき砂夜の体を触ろうとする、体をこわばらせ男性の手を払いのける砂夜。

 男性が物静かな口調で言った。

「わたしは医者だ、診察するだけだから心配しなくていい」

 医者という言葉に、少し安堵した砂夜は触診を受ける。

 脈診をされながら砂夜は、奇妙な格好の者たちに思いきって質問してみた。

「ここは江戸か? 今は嘉永何年だ?」

 砂夜の質問に、頭に赤い布をつけた少女が答える。

「ここは東京ですよ、嘉永? 

今は大正十一年〔1922年〕です」

「東京?大正?」

 砂夜は少女の返答に困惑した。


 砂夜は、しばらく医者の家に世話になるコトにした。

 少女から名前を聞かれた砂夜は自分の名を名乗り、どんな漢字を書くのか訊ねられ毛筆で和紙に『砂夜』と書いて少女に見せた。

 少女は和紙に書かれた名前に瞳を輝かせて言った。

「あたしと同じ名前だ……あたしの名前は『砂夜子』こんな偶然があるなんて」

 砂夜は砂夜子から、自分がいた江戸の嘉永七年から、六十年以上が経過した未来に自分がいるコトを知った。

「幕府は無くなったのか? 明治という年号に変わり、今は大正という年号の時代なのか……大政奉還? 新政府? 戊辰戦争? 三度の大戦〔日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦〕があった?」

 砂夜子から大正という時代の話しを聞くたびに、砂夜の頭は混乱した。

 砂夜が母親と住んでいた屋敷は取り壊されて、今は別の建物になっているらしかった。


 衣食住も砂夜がいた嘉永のころとは大きく様変わりしていた。

  西洋の菓子や料理が日本に入ってきて、食べられるようになったらしい。

 娯楽も江戸の時代から変貌して『活動写真』や『映画』と呼ばれるモノが人気らしかった。

 食事も箱膳ではなく、医院を併設した砂夜子の家では、西洋式のテーブルでイスに座って食事をする。

 砂夜子の母親が作ってくれた和食を、砂夜子の家族と一緒に砂夜も食べた。

 食事の最中に砂夜子の家族が話している会話の内容は、嘉永から時を越えて来てしまった砂夜にとっては初めて聞く事柄ばかりだった。

「どうだ、砂夜子……高等女学校が休みの日に、砂夜さんも連れて洋食屋の『ライスカレー』を食べに行かないか?

帰りに赤レンガ造りの東京駅や、浅草の『凌雲閣』を見学して同じ浅草にある『電気館』で活動弁士が講釈する活動写真を観て帰ってくるというのは?」

「お父さま、そんなに頻繁に高級洋食屋で、ライスカレーやポークカツレツを食べられるほど、うちは裕福ではありません。お父さまの道楽はお金がかかりすぎます……一枚五十銭するレコードの収集も、少し控えていただかないと」

 砂夜子の父親は肩身が狭そうに肩をすくめた。

「明治は遠くなりにけり……だな、今や女性の地位向上が叫ばれている時代だからな。元始、女性は太陽であった……か、わかった少し控えよう」

 そう言って苦笑する、砂夜子の父親の姿を砂夜は不思議そうな顔で見た。 


 後日──砂夜子と並んで、夕刻に縁側に座って中庭を眺め涼みながら、井戸水で冷やしたビンのミルクを味わっているている砂夜に、砂夜子の父親である医師が話しかけてきた。

「君が過去から来た人間というのは、医師としては。

にわかに信じがたいが……記憶はもどりそうかな?」

 どうやら砂夜子の父親は、砂夜を記憶障害の患者だと思っているらしい。 

「わたしは、記憶を失っているワケではありません。もし、医師のお許しをいただければ、砂夜子さんと一緒に少し大正の町並みを見てみたいのですが」

「うむっ、まぁ砂夜子が一緒なら大丈夫だろう………遊んできなさい」

 父親の医師が去ると、砂夜子は砂夜に手の中に収まるサイズの、小さな紙の小箱を差し出してきた。

 差し出され受け取った、赤い小箱を眺めながら砂夜が、砂夜子に訊ねる。

「これは?」

「一粒三百米〔メートル〕のキャラメル……一個だけ残っているから、砂夜にあげる。甘くて美味しいよ」

 砂夜は紙箱の中に一つだけ入っていた、茶色をした四角い菓子の包み紙を開いてキャラメルを口に入れる。

「甘い、こんな甘い西洋菓子初めて食べた……母上にも食べさせてあげたい」

 縁側の向かい側の和室で砂夜子の母親が、ハンドルミシンで縫い物をしているのを眺めている砂夜に、砂夜子が訊ねる。

「砂夜は、江戸の時代に帰りたいの? 今より不便な時代に?」

 父親と違って、砂夜子は砂夜が過去から来た人間だと信じていた。

 質問に答える、江戸の美少女剣士。 

「わからない、どうしてわたしが大正の世に来てしまったのか……何かやるべきコトがあって時を越えてしまったのか、どうすればいいのか答えは出ていない」

「そうか、焦らなくていいから。いつまでもこの家に砂夜は居てもいいから」

 砂夜子は少し愁いを含んだ、砂夜の横顔を眺めながら言った。

「本当に砂夜って綺麗な顔立ちをしている……まるで、挿絵画家の高畠華宵〔たかばたけかしょう〕が描く、挿絵の美少女みたい」

 砂夜は砂夜子が言った、大正文化の言葉の意味がわからなく首をかしげる。

 その仕種に砂夜子はまるで少女歌劇団の役者を見るような、うっとりとした視線で砂夜の横顔を眺めた。



※凌雲閣〔りょううんかく・日本初のエレベーターが設置された六角塔、十三階の高さがある浅草の当時シンボル的な建造物〕


※大正時代のレコード一枚五十銭・コーヒーが一杯十銭・タバコ一箱が十二銭の時代です。

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