江戸美少女剣士【砂夜】大正浪漫剣

楠本恵士

江戸美少女剣士【砂夜】大正浪漫剣①     

  

 嘉永七年〔1854年・安政元年〕夏の夕刻──江戸の町にある剣術指南道場の通い稽古からもどってきた武家の娘、砂夜は。

 石庭が見える屋敷の畳部屋に母親から呼ばれてやって来た。

 正座した砂夜の前に、和装姿の母親は静かにひとつの巾着袋を差し出して言った。

「これを砂夜に」

 砂夜が手にした巾着袋を触った感触は、小判が一枚入っている感じだった。


「母上、このお金は?」

「いざという時のための金銭です……また、夢を見ました」

 蝉のひぐらしが鳴きはじめる中、砂夜の母親は静かに語りはじめた。

「朝方、着物を着て火鉢の前に座った大ナマズが、キセルを火鉢に打ちつける奇妙な夢を見ました──キセルが打ちつけられるのと同時に大地が揺れて、家屋が倒れ炎が竜巻のように渦を巻く中を、人々が逃げ惑う江戸の町が夢の中に出てきました」

 砂夜の母親は、ひぐらしが鳴く庭を眺めながら言った。

「わたしの見る夢はよく正夢になります……そして、肥前の国〔現在の長崎〕から疫病コロリ〔コレラ〕の化け物が江戸の町に向かう旅支度をしている光景も夢の中で何度も……何か恐ろしいことが、近々江戸の町に起こりそうな気がします」

 砂夜は母親から渡された巾着袋を握り締める。


 昨年の六月、浦賀に異国の黒船四隻が来航して江戸の町が大騒ぎになった時のコトを、砂夜は思い出していた。

 その半年後くらいに、再び黒船は日本の浦賀に来航した──今度は七隻の黒船で。


「この先、江戸の町がどうなるのかわかりません、そのお金は入り用の時が来たら好きに使いなさい」

 砂夜の母親はそう言って微笑みながら、冗談混じりに。

「砂夜の剣術の腕前なら、剣豪・寺田宗有〔てらだありむね〕のように竹光で大石が斬れるかも知れませんね……砂夜だったら、どんな世の中になっても上手くやっていけそうですね」

 と、言った。


 翌日、砂夜は母親から渡された一両を近所の神社にある狛犬が乗った石台の隙間に、巾着袋ごと押し込み小石と土を隙間に詰めて、家から持ってきた黒い碁石を一つ目印に置いて隠した。

 その場所は、砂夜が子供のころ、よく隠しモノをしていた場所だった。

(ここなら誰にも見つからないだろう……必要な時に掘り出せば)


 小判が入った巾着袋を隠した砂夜が、神社から

家に帰る途中。

「子供が溺れている!」

 の、声が聞こえ。砂夜は声が聞こえた方向へ走った。

 川で水遊びをしていた子供が、流されているのが見えた、川岸の土手には数人が集まっていた。

 子供が流されている川の先には、川底が抉れ流れが激しく変わっている箇所があった。

(このままだと間に合わない!)

 思わず砂夜は、近くにあった丸太を脇に抱えると川に飛び込み、溺れ流されている子供のところに泳ぎ向かった。

 怯えて抱きついてきた子供を丸太に抱きつかせ、浅瀬の方に押して泳ぐ砂夜。

 上流から船頭が操る、渡し舟に乗って子供の助けに向かっていた数人の男たちが、丸太につかまった子供を舟の上に引っぱり上げる。

(よかった)

 安堵した砂夜が、渡し舟に乗っている男が差し出した手につかまろうとしたその時──砂夜の袴の裾が川底の堆積物の中に埋まっていた木の枝か水草に絡まる。

「あっ!?」

 急な流れの変化に砂夜の体は川の中に引きずり込まれ、渡し舟は遠ざかっていった。


 水中でもがく砂夜は必死に、流れる川の水面に顔を出して空気を吸う。

 その時、砂夜は不思議な光景を見た。

 川の土手に集まっている町人や武士の姿が、水面に顔を出した時、見たこともない服装〔背広姿の洋服〕に変わったのを。

 頭は髷ではなく、男たちは奇妙な頭巾のようなモノ〔中折帽子〕を被っていた。

 女たちは着物姿だったが、髷の形が砂夜が知っている形とは異なっている。

(なんだ、これは?) 

 幾度か沈みと上昇を繰り返すたびに、土手にいる人々の姿が砂夜が知る嘉永七年の服装と、見たことが無い服装〔大正時代〕に交互に変わる。

(………あの世の光景か)

 やがて力尽きて、川底に沈む砂夜の意識は途切れた。

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