第63話 無力
沼地帯をある程度進んだ所で全員が配置につき、直ぐに魔法使いが詠唱を始める。
狙いは当然沼地に潜んで待ち伏せる者達だ。
位置は大雑把にしか分かってはいないが、それでも一方的な先手を取れるのはかなりのアドバンテージになるだろう。
加えて潜んでいる数がそれ程多くないとの事から、相手が奇襲に浮足立っている所を狙って、一気に殲滅する手筈になっている。
「撃て!」
指揮官の号令が飛ぶ。
まずは第1射で敵の姿を炙り出し、出て来た奴らに対し、今度は狙いを付けて第2射をぶちかます。
その予定だった。
だが――
「な!?」
魔法使い達から一斉に放たれた全ての魔法が、突然発生した青い膜の様な物に遮られ消滅してしまう。
とんでもない威力を誇るレーネの
――余りの出来事に、その場に居た者達全てが驚きに固る。
「何が起こって……」
唖然とする俺達の目の前の空間が、突如揺らぐ。
そして何もない空間に一瞬穴の様な物が空き、そこから化け物が姿を現した。
それは、俺のよく知っている化け物の姿だった。
「やあ諸君。今日はいい天気だな。こんな気持ちのいい日に、待ち伏せや奇襲は似合わない?そうは思わないか……なあネッド」
「グヴェル……」
「こいつが……グヴェル……こんな化け物だったなんて」
レーネがグヴェルの姿を目にするのは初めての事だ。
彼女はその醜悪な姿に一歩後ずさる。
「ネッド……お前、こんなのを相手にしようとしていたのか」
師匠が苦虫を噛み潰したかの様な表情で呟き、その額からは汗が伝い落ちる。
長くに渡って魔獣達と戦ってきた歴戦の戦士である師匠が、相手の姿形に気圧されるなんて事はない。
感じているんだ。
奴の途轍もない力を。
今まで2度奴と対面した事があるが。
これまでは奴の
だが今日は違う。
ハッキリと分かる。
グヴェルから、とんでもない邪悪さと恐ろしさが嫌という程に伝わって来た。
今までの冗談めかした奴じゃない。
本気だ。
態度こそ今まで通りのふざけた物だが、奴は本気で俺を殺す気なんだ。
そう考えると、手足の震えが止まらなかった。
恐怖で体が竦む。
今すぐこの場から逃げ出したくて仕方が無い。
「ひぃぃぃ」
「た、助けてくれぇ」
「し、死にたくない」
あちこちから、恐怖でパニックになる悲鳴が響いた。
奴の
腰を抜かしていた指揮官も、這いずってでもその場から逃げ出そうとしている。
――人間だけじゃない。
それは魔族側もそれは同じだった。
沼地に潜んでいた魔獣や魔族が逃げ出していく姿が、青い皮膜越しに見える。
彼らの方が危機察知能力が人間より高い分、遠くからでも認識できたのだろう。
「やれやれ。人の顔を見て悲鳴を上げて逃げ出すとは、失礼な奴らだ」
そう言うとグヴェルの両手に黒い球が生み出される。
右手と左手に一つずつ。
それらを、空高くに向かってグヴェルは無造作に投げ捨てた。
玉は空中で一気に膨れ上がり、巨大な塊となって地上に落下して来た。
俺達の上ではなく。
逃げていく魔族や兵士の真上にだ。
地上に落下した塊は潰れて津波の様に逃走する者を飲み込んでいく。
当然飲み込まれた者達の末路は……言うまでも無いだろう。
「俺を……殺しに来たのか……」
唾を飲み込み、やっとの思いで口を開いた。
そうとしか考えられない。
「まさか。折角の
言っている意味が分からない。
こんな化け物にフェアも糞も無いだろうに。
「その為には」
グヴェルの視線が俺から横に動いた。
次の瞬間、奴の姿が消える。
「きゃあ!?」
「レーネ!?」
背後からの悲鳴に振り返る。
そこには、グヴェルに掴まれたレーネの姿が。
「ぐっ……あ……」
レーネが苦しそうに呻き声をあげる。
「お前は少々邪魔だ。暫く退場していて貰おう」
「妹を離せ!!」
一早く動いたのは、テオードだった。
彼は真っ直ぐにグヴェルに切りかかる。
だがその一撃は、易々と奴の手に阻まれてしまった。
「くそっ!」
レーネを助けるべく、小手の
当然同時に
「なに!?」
グヴェルが素早くテオードの手を掴み、此方へ投げ飛ばしてきた。
本来なら加速中は周りの動きが遅くなるはず。
なのにテオードは普通に飛んできた。
明かに
俺は咄嗟にテオードを受け止めた。
「この女から聞いているのだろう?デバフの干渉を。どうだ、今のは良い見本になっただろう」
グヴェルは口の端を歪めて笑う。
奴の使う時間停止に対する対抗手段。
それは同系統のデバフを同時に使う事で、相手の効果に干渉するというものだった。
その方法ならば、今の俺の能力でもグヴェルの時間停止へ対抗できる。
そうレーネは言っていた。
とは言え、相手の発動に完全に被せるなど神業過ぎて今の俺には到底不可能だ。
それが分かっているからこそ、奴は見本と称して自分との力の差を見せつけて来たのだろう。
一々ムカつく化け物だ。
「そう睨むな。別にこの女を殺す分けじゃない」
化け物の言葉を鵜呑みにする気は無い
早く何とかしてレーネを助けなければ……
その為には、最低でも魔法剣が必要だ。
奴はテオードの剣を容易く素手で受け止めて見せた。
普通にやったのでは、俺の攻撃でダメージを負わせるのは難しいだろう。
ちらりと視線をパールに送るが、彼女は恐怖で固まっていた。
仮にも傭兵なんだから、もう少ししっかりしてくれよ。
「パール!魔法剣を」
「え……あ、は、はいっす」
テオードがゆっくりと間合いを詰める。
俺もそれに合わせて動いた。
「信用が無いのは悲しい事だな。そうだ、せっかくだし練習させてやろう」
パールが魔法剣を投げて寄越す。
俺がそれを受け取った事を確認すると、テオードはグヴェルに突っ込むんだ。
気づくと師匠もいつの間にかグヴェルの背後に回り込んでおり、テオードに合わせて突っ込んで行く。
流石師匠だ。
俺もそれに続く。
だが――
「な!?消えた?」
師匠とテオード、2人の剣が空を切る。
グヴェルは突然影も形も残さず、消え去ってしまった。
「はっはっは、こっちだこっち」
背後からの声に振り返ると、楽し気に手を振るグヴェルの姿が。
恐らく時間を停止して、その間に回り込んだのだろう。
その気になれば今の一瞬で俺達を殺せていたはず。
奴は完全に遊んでいる。
「どうだ?俺の発動は察知出来たか? 」
俺はそれには答えず、奴に切りかかる。
だがその剣は虚しく空を切った。
「次はこっちだぞ」
「糞が!!」
再び奴に切りかかるが。
やはり今度も容易く避けられてしまう。
「どうだ?そろそろ俺の力を感じる事が出来るようになったんじゃないか?」
同系統の力だからだろうか、確かになんとなくだが感じる事が出来る様になってきた。
だから力の発動の瞬間は察知できる。
だがそれでは遅い。
察知してから発動させたのでは、時間停止には間に合わないのだ。
より早く、予兆を感じた時点で此方も発動させなければ……
俺は大きく息を吸って、極限まで集中力を高めた。
何のつもりかは知らないが、せっかく練習させてくれるんだ。
此処で習得して……レーネを必ず助け出して見せる。
テオードが奴に切りかかる。
それを奴は軽く腕で払った。
まだだ。
見るべきは奴の姿ではない。
奴の力の動きを感じるんだ。
師匠がテオードの影から飛び出しグヴェルに向かって剣を振り下ろす。
奴はそれには反応せず、そして――
――見切った!!ここだ!
奴の力が動く。
その予兆を察知した俺は加速を発動させる。
「ほう、やるな……」
師匠の剣は見事にグヴェルの顔面を捉えた。
但しその顔には傷一つない。
師匠の剣をもろに顔で受けて傷一つ付かないとか、やはり奴はとんでもない化け物だ。
だが時間停止は封じた。
これで最低限、戦いの土俵に奴を引きづり下ろせたはず。
後はレーネを救うだけだ。
「レーネを離せ!!」
俺は突っ込んで剣を振るう。
体勢を立て直したテオードもそれに続いた。
「くっ!」
「卑怯だぞ!!」
俺達の剣の軌道にレーネが差し出された。
これでは手出しができない。
「レーネを離せ……か。良いだろう」
そう呟くと奴は腕を上げてレーネを掲げる。
瞬間、彼女の下に得体のしれない大きな穴が口を開けた。
まるで空間を歪めて出来たひずみの様な大穴だ。
「では、離すとしよう」
奴が、レーネを掴んでいた手を離した。
「ま、待て!」
咄嗟に飛び掛かり手を伸ばしたが、間に合わない。
重力に従い落下する彼女の体は、するりとその得体のしれない穴に吸い込まれ消えてしまった。
同時に穴も消えて無くなる。
まるで最初からそんな物は無かったかの様に、綺麗さっぱり跡形もなく
「レーネ!!」
「そんな……」
「ああ、何度も言う様だが。別に殺してはいないから安心しろ」
「貴様……」
こいつの言う事など、信用できる訳がない。
……だが今度だけは、その言葉が真実であって欲しいと心から願う。
「さて、俺はこれで失礼するとしよう」
「逃がすと思っているのか」
テオードの低い声が響く。
怒りに満ちた彼の剣がグヴェルに振り下ろされた。
「逃がす?見逃して貰うの間違いじゃないか?」
その一撃を容易く躱し、とんでもない速さで奴は俺達から間合いを離した。
テオードが必死に追うが、まるで追いつけない。
加速系能力抜きでも、グヴェルのスピードは桁違いだ。
「まあいい、じゃあな」
大気が揺れ、グヴェルの体が世界に穿かれた穴へと吸い込まれて消える。
それはあっという間の事だった。
「くそがぁっ!!」
テオードが怒りから足元に剣を叩きつけ。
空に向かって吠えた。
「く…… 」
結局、グヴェル相手に手も足も出ず、レーネも何処かに連れ去られてしまった。
今の俺には、唯々彼女の安否を祈る事しか出来ない。
俺は……なんて無力なんだろう。
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