第60話 形勢不利

「不味いわね。かなり押されているわ」


執務机に広げられた地図を睨みつけながら、アムレが呟いた。

その眉間には皺が寄せられ、難しい顔をしている。


――人間との開戦は今から3か月前。


突然国境付近に人間の軍が集結し、此方へと攻め寄せて来た事に端を発する。

その突然の侵攻に対応できず後手後手に回り、魔族側は人間の人海戦術によりかなり攻め込まれてしまっていた。


「人間側には勢いがある。どこかで断ち切らないと……」


質では負けていない。

寧ろ、此方の方が上だ。


だが数で勝る相手にイニシアチブを取られ、相手側に勢いのまま押し切られてしまっている。

正直、今の流れは不味かった。

アムレの言う通り、どこかで断ち切らなければ本当に最後まで押し切られ兼ねないだろう。


こんな時、私とグゥベェが前線に立てさえすれば……


勿論そんな訳には行かない。

魔族が個の強さを重んじるとは言え、戦争は集団同士のぶつかり合いだ。

誰かが統率しなければ話にならない。


そしてそれは魔王である私の役目だ。

もし私が軽率に動いて万一命を落とす様な事になれば、魔族側は一気に瓦解しかねないだろう。


――この場を動けない苛立ちから、指をかむ。


ちらりとグゥベェの方へと視線をやるが、彼は丸い球にじゃれ付き遊んでいる。

その愛らしさに状況も忘れて思わずほっこりしそうになるけど、今はほのぼのしている場合じゃないと気を引き締めた。


「とにかく、相手の勢いを殺す。その為には、最も厄介な敵を先に潰しましょう」


最も厄介な敵。

それは神の雷ラムウと呼ばれる傭兵団だ。


私の指示でガム砦に送った援軍2000を、たった8人で退けてしまった腕利き集団。

そのラムウの存在が、人間側の士気を押し上げていた。

だが裏を返せば、その傭兵団を潰せば一気に相手の士気を落とせるという事でもある。


「彼らは今、少数の人類連合軍とトルネ山脈を迂回して、グーテの砦に向かっているんだったわね?」


「ええ、間違いないわ」


アムレの確認に対し、私はハッキリと答えた。

彼らの位置は完全に把握できている。

何故なら、私にはグゥベェから貰った千里眼の力があるからだ。


もちろんそれで見ているのは、ラムウの動きだけではない。

千里眼を使い、私は戦場全体の様子を把握していた。

もしこの能力が無かったら、魔族側はもっとひどい状況になっていただろう。


「彼らが沼地に差し掛かった所を待ち伏せて、連合軍ごと仕留めようと思う」


沼地なら人間は上手く動けない。

そこを突く作戦なのだろう。


「けどあそこは遮蔽物が何もないわ。あんな見晴らしのいい場所に大軍を配備したら、相手は撤退してしまうんじゃ?」


相手を撤退させるだけでも意味はあるだろうが、それでだけでは根本的な解決にはならない。


「ええ、ですからこちらも少数精鋭で沼に潜み。奴らが通りかかった所に奇襲を掛けようかと思っています」


それまで黙っていたレウラスが口を開いた。

その口振りから、彼が出向くつもりなのだと私は察する。


「勝ち目はあるの?」


彼には参謀を務めて貰っている。

その彼を失う訳には行かない。


「勿論です。万全を期して、私とアムレで向かおうと思っています」


「え!?」


驚いてアムレの方を見ると、彼女は不敵に笑う。

その表情に陰りは無く、自らの勝利を確信した物だった。


「お二人が向かわれるならば、まあ大丈夫でしょうな」


長い髭を蓄えた老人が口を開いた。

彼の名はガンゼー・マッコウ。

彼も参謀の一人だ。


「ガンゼー殿。我々が出かけている間、魔王様の事を宜しくお願いします」


「ほっほっほ。お任せあれ」


ガンゼーは笑いながら、その白く染まった髭を撫でる。

正直私はこの魔族が苦手なのだが、我儘は言えない。


「アムレ、気を付けて」


アムレなら負ける様な事は無いと思っている。

だけどやはり心配ではあった。


何せ相手は名うての傭兵だ。

万一という事だってある。


こんな時、私も一緒に行けさえすれば……

今は魔王という立場が恨めしい。


「なんて顔してるのよ。魔王ならしゃんとしなさい」


「うん、ごめん」


「まあ直ぐに朗報を持って帰って来てあげるから。楽しみに待ってなさい」


そう言うと、彼女は出立の準備の為にレウラスと執務室から出て行く。


「どうか無事で……」


私は心の中で、アムレの無事を強く祈るのだった。

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