第35話 大罪者アウラス

「何の本を読んでいるの?」


急に声をかけられ、驚いて顔を上げる。

そこには見知った顔、アムレが立っていた。


「う、うん……まあちょっと……」


私は何を読んでいるかには答えず、本を執務机に伏せ言葉を濁す。

本は、正直あまり見られたくない内容の物だったから。


「大罪者、アウラスの本になにか面白い事でも乗っているのかしら?」


「う……」


どうやら私が隠すよりも早く、表紙で確認されてしまった様だ。

普通こういう場合、こっちが言葉を濁しているのだから空気を読むものだが、残念ながら彼女には忖度とかそういった物は備わっていないらしい。


――私が読んでいた本のタイトルは、大罪者アウラス。


かつて魔王として魔族の頂点に君臨した存在。

だが彼女は召喚したドラゴンを制御しきれず、世界を滅ぼしかけた罪で今や大罪者としてその名前が残されている。


彼女の事が記された本には、当然彼女が召喚したドラゴンの事も載っている。

私はこの本を読んで、少しでもドラゴンの事を研究しようとしていた。


決勝戦で見せたグゥベェの圧倒的強さ。

そして逃げようとした魔獣に容赦なく止めを刺した冷徹さ。

そこに私はドラゴンの本質を見た気がして、怖くなったのだ。


グゥベェが優しいのは分かってる。

だがそれはまだ子供だからではないか?

大きくなれば破壊の衝動や、本能が彼の優しさを塗りつぶしてしまうんではないだろうか?


それが不安で仕方なかった。

だから情報を集めようとしているのだ。

自らの不安を少しでも晴らすために。


「アムレは仕事が片付いたの?だったらお茶でも――」


「それよりも、何故その本を?」


話題を変えようとするが、ぴしゃりと遮断される。

彼女の視線は机に伏せた本に釘付けだ。

アムレは一度興味を持つと、すごい勢いでぐいぐい来る性格をしていた。


私は話題を逸らすのを諦めて小さく溜息を吐くと、取り敢えずその場凌ぎの理由うそをでっちあげた。


「私達は異世界から魔獣を召喚できるでしょ?だからいずれ、ドラゴンを呼び出す事もあるかなーって思って……」


「事前に知識を仕入れようと?」


我ながらうまい言い訳だと思う。

でもアムレはそれに納得いっていない様だった。

そのきつい視線が私を射抜く。


困ったなぁ……何とか誤魔化さないと。


グゥベェがドラゴンだとバレるのは余り宜しくない。

バレてもアムレなら単純に「ドラゴンを既に召喚していたなんて、流石は私のライバルね」と返してきそうだが、彼女の口から他者に漏れないとも限らないだろう。


無駄なごたごたを避けるためにも、秘密は守らなければ。


「あの……アムレ……」


「ふん。私を出し抜こうって気だった分けね」


「……へ?」


「その本で情報を集めて、私に先んじてドラゴンを召喚するつもりだったんでしょうが、そうは問屋が卸さないわ。私にも見せないさい」


そう言うと、彼女は私から本を奪い取り自分の机の上に広げて読み始めた。

その行動に私は拍子抜けする。

どうやら嘘を見抜いた訳ではなく、私が彼女を出し抜こうとしたと勘違いして怒っていただけの様だった。


「ねえアムレ。ドラゴンはこの世界を一度滅ぼしかけたのよ?貴方は……その……気にしないの?」


「くだらないわね。アウラスが無能だったからそうなっただけでしょ?力なんて物は、使う者次第よ。私は完璧にコントロールして見せるわ」


彼女らしい強気な言葉だ。

自分の可能性を信じて疑わない強い意志。

彼女ならいつか、本当にドラゴンすら御してしまうのではないかとさえ私に思わせる。


だが私は……

私に出来るのだろうか……

いつかグゥベェが変わってしまった時に、彼を傷つける事なく……


私は……


「どうかしたのかい?ラミアル?」


気づくとグゥベェが私の顔を覗き込んでいた。

彼の顔を見るのは1週間ぶりぐらいだ。

探検してくると言ったきり、どこかにふらっと出かけてしまっていたから。


「グゥベェ、帰って来てたの?」


「西の方で何か面白い物でもないかと思って探索してたんだけど、魔族の世界って面白いね」


そういうとグゥベェは笑う。

優しい笑顔だ。

この笑顔を見ていたら、私の不安なんて杞憂じゃないかと思えてくる。


「そうなんだ。じゃあ話を聞かせてよ」


「うん。いいけどだいぶ体が汚れてるから、先にお風呂に入らせて貰うよ。話はその後でね」


見た感じ余り汚れている様には見えない。

だが、一週間以上外をほっつき歩いていたのだ。

きっと目に見えない汚れが付いているのだろう。

私は背中を向けて執務室から出て行こうとするグゥベェを、後ろから抱き上げた。


「どうかしたのかい?」


「ふふ、私がお風呂に入れて上げる」


「やだなぁ……一人で大丈夫さ」


「ダーメ。アムレ、私グゥベェをお風呂に入れて来るわね」


彼女は視線を此方へと向ける。

そして少し考るようなしぐさを取った後、本を閉じて立ち上がった。


「私も一緒に入るわ。その魔獣の事も詳しく調べたいしね」


「やだなぁ。僕は君たちの玩具じゃないんだよ。勘弁してほしいね」


私の手を逃れて逃げ出そうとするグゥベェを抑え込み、私は風呂場へと向かう。


「コミュニケーションよ。コミュニケーション」

グゥベェの力を制御出来る様にするのは大事な事だ。

だがそれ以上に大事なのは、彼がその優しい心を失わない事である。

だから彼とはしっかりコミュニケーションをとって行こうと思う。


「グゥベェ、あたし頑張るよ」


私にどれだけ出来るか分からない。

だけど、今この手にある温もりと繋がりを私は守っていきたい。


「急にどうしたんだい?」


「ふふ、何でもない」


「言っておきますけど、魔王になるのは私の方よ」


「じゃあ競争ね」


グゥベェを抱きしめ、私はアムレと一緒に浴場へと向かう。


父を失った痛みは、まだ完全に癒えてはいない。

今でも思い出すと胸が締め付けられる。

でもこの二人と一緒なら……きっと私は大丈夫だ。



――幸せな時間は長くは続かない。


それが虚構であるならば猶更だ。

私はやがて、それを強く思い知らされる事になる。


グゥベェの手によって。

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