第9話:客人

 日が傾き、段々と視界が暗くなってきた。もしかしたら帰ってきているかもしれない、そんな淡い期待を抱いて勢いよく森を駆け抜ける。

 だが、目の前にぽつんと建った屋敷にはやはりというべきか、灯りはついていなかった。

 扉の前に近づくにつれて速度を落としたリゼットはゆっくりと手を伸ばして取手を掴む。ぐっと力を入れると微かに軋んだ音がして扉は開いた。

 滑り込むようにして中へ入る。つんとした薬草の香りの中、手探りで光源になりそうなものを探す。目を凝らすと不思議な色合いの油灯を見つけた。


「火打石は……」


 手を這わせて探すが触れるものはない。本当はやりたくないが、こうなってしまってはやむを得ないないだろう。


「……レーゼ」


 なるべく息まないように呟いた短い詠唱の後、ちかりと強い光が瞬いたかと思うと指先に熱を感じる。


「うっ!」


 にわかにぶわっと広がった熱気に目を瞑った。何かが焦げる嫌な匂いがして、リゼットは焦る。ここには薬草がたくさん干されている。火がつけば、あっという間に燃え広がるであろうことは簡単に予想がついた。

 最悪の未来が頭をよぎった。なおも大きくなろうとする炎をなんとか抑え込み、油灯に人差し指を突っ込んだ。ガラス越しに灯りが付いたのがわかると、リゼットは打ち消しの魔法を唱えた。右手から熱が引いていくと、詰めていた息を全て吐き出す。

 なんとかなってよかった。あたりを見回すが、火はついていない。ちらりと自分を見下ろせば、縮れた毛先が目に入った。

 深いため息をついて、リゼットは硬くなった髪に触れた。屋敷や命にまで危険が及ばなかっただけいいとしよう。


「今度からは必ず外で魔法を使おう……」


 独り言ちながら油灯を持って立ち上がった。

 揺れる火に照らされて、乱雑とした店内が明らかになる。さらに奥へと進んでいくと、カウンターの先に扉があるのが見えた。その先がメリオールの居住スペースになっているのだろう。

 入っていいものか悩む。この先は完全に個人の家だ。

 躊躇いに足が止まりそうになるが、ここに来た目的を思い出せば自然と体は動き出していた。

 カウンターを通り過ぎ、奥の扉に手を掛ける。ぐっぐっと引いてみると、軋んだ音をたてて扉は開いた。鍵は閉まっていなかったのだろうか、無用心にも程がある。

 油灯を掲げ、リゼットは奥へと踏み出した。


「えーと、灯りは……っと」


 左右を見渡しながら壁伝いに慎重に踏み込んでいく。と、壁から生えた燭台を見つけた。油灯の火を使って蝋燭に火をつけると部屋が少しだけ明るくなった。リゼットはそのまま全ての燭台を灯していく。


「これでよし」


 広々とした室内が明るくなる頃には一仕事したかのように疲れていた。背伸びをして凝った肩をグルグルと回しながら部屋を見渡した。

 中はいたって普通の家だ。目の前にはテーブルが置かれていて、奥には簡素だが台所があるのが見える。本棚にはぎっしりと書物が詰め込まれ、その近くには座り心地のよさそうな安楽椅子まである。

 ただ、普通の家と異なるのはその部屋の汚さだった。


「うわあ……」


 思わず声が漏れる。

 食卓であるはずのテーブルには物の置き場もないくらいにどっさりと積まれた書類。大きさからして四人は座れるほどだが、置かれた椅子の上にはそれぞれ本がうず高く積みあげられている。床には書類が散らばって足の踏み場もない。

 はっきり言って、汚い。


「優秀な魔法師って、みんなこんな感じなのかな」


 知り合いの魔法師の部屋を思い描きながらそんな感想を漏らす。今にして思えば、魔法が上手ければ上手い人ほど力に頼って生きているためか片付けができない。メリオールもそんな一人なのだろう。

 ともかく、これは大仕事になりそうだ。リゼットは束ねていた髪を結びなおし、袖を捲る。小さく気合を入れて、動き出した。



 ◇



 ジェミのところで魚が手に入ったので、店に蔓下げられていた薬草とともに蒸し焼きにしたものをメインにする。それに、野菜のスープとパンの予定だ。

 魚は冷めてしまっては勿体ないので、下拵えをしてそのままおいておくことにした。メリオールが帰ってきたら急いで焼けばいい。

 乱雑としたキッチンで格闘しながらもスープを作り終え、息をつこうと椅子の上の本をどかして座る。すると気を張っていたせいか、眠気が忍び寄ってきた。たちまちうつらうつらと船を漕ぎ始める。

 まもなく、両目を閉じたリゼットからは規則正しい寝息が聞こえてきた。



 誰かが呼ぶ声が聞こえたような気がして身動ぎをする。


「……ス、……ィス!」


「け、んじゃさま?」

「大変だ、ヴィス!早く来てくれ!」


 目を擦りながら伸びをすると、ようやくはっきりと声が聞こえる。あまりに切羽詰まった調子にリゼットは扉に駆け寄った。

 ギッと音がして開いた先には光があった。眩しさに目を瞬かせていると、先程から聞こえていた大声が怪訝そうな色を帯びた。


「誰だ、お前。ヴィスはどうした」

「ヴィス様は外出なさってますが……」


 目が慣れてくるのを待ちながら、リゼットは答える。すると、大柄な目の前の男は鋭い舌打ちをした。


「クソッ!なんでこんな時に……!」


 見るからに焦っている男はカウンターを叩きつけて悪態をつく。目の前に振り下ろされた拳に目を瞬かせたが、怯えることなく今にも飛び出して出て行きそうな男に声を掛けた。


「あの、どうかされましたか」

「どうしたもこうしたもない!山からギオンが降りてきてやがるんだ。うかうかしてると家畜は愚か、死人も出るだろう。だから魔法師のヴィスの野郎に頼みに来たってのに!」


 事情を知ったリゼットは暫し目を見開いて固まっていた。

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