第8話:諦めが悪い

「おっちゃん、今日のおすすめは何!?」


 突然掛けられた声に、刃物を研いでいた店主は顔を上げた。

 夕日に当てられたうねりの強い少女の髪はきらきらと輝いているように見える。眩しさに目を細め、店主は肩を竦めてみせた。


「なんだ、お嬢ちゃん。これから夕餉の支度かい?もうめぼしいものは売れちまったよ」

「何でもいいの、二切れあれば。何かないかな、脂が乗ってておいしいやつ!」

「二人分でいいならロッツェがあるけどよ……」


 食い気味に話しかけてくる見慣れない少女に面食らいながらも、店主は手際よく魚を葉と油紙で包んだ。

 金を受け取りながら、片方の眉を上げて不満を漏らす。


「あとなぁ、さっきの一言は余計だぞ。俺の店にまずい魚なんてねぇからな」

「ごめんごめん、そうだね。包んでもらったロッツェ、すごく良い魚だと思った。喜んでもらえるといいんだけど……」


 少し勢いのなくなった少女に、店主は紐で括った包みを差し出す。受け取った彼女は丁寧な手つきで籠に仕舞った。


「ところでよぉ、お嬢ちゃん。ここいらで見たことない顔だけどよ、ロレンシアに越して来たのかい?」


 彼女が身に纏う服を上から下へ眺め、怪訝そうに聞いた。

 ここいらでは見かけない、学生服だったからだ。

 ミグ=アヴェスタは三日月型の両端から真ん中にかけて段々と豊かになっていく。ロレンシアは決して貧しい村ではないが、王都からは多少離れているしここらには制服を着て通うような学舎はない。

 その上、濃紅の外套に付けられた留め具は細工が施されている。裕福な土地から来たのだろうと思ってのことだ。


「ついさっきここに来たの。……そうだ、紹介が遅れてごめんなさい。わたし、リゼットって言います」


 少女ははっと気づいたように、畏まった物言いに変えた。そこからもよく教え込まれた育ちの良さがわかる。

 だが、ここでは堅苦しさはいらない。むしろ先程のような人懐こい笑みのほうが、ここで生きていくには丁度良いくらいだ。

 固くなった彼女をほぐすように、店主はわざとおどけたように自己紹介を返した。


「リゼットか、俺はジェミと言う。知っての通りロレンシアの魚屋だ」


 片目を瞑ってみせると、少女は微かに笑みを漏らす。思惑は成功したようだ。

 そのまま、初対面に交わす挨拶としてお互いの手のひらを合わせ、頭を垂れる。ミグ=アヴェスタの伝統的な挨拶だ。

 一先ず交流を深めようと、かねてからの疑問を投げかけた。


「王都から来たのか?どうしてまた、こんな田舎まで」

「ああ、それは……」


 リゼットと名乗った少女が答えようとした時、見覚えのある少年が通りかかった。

 ジェミはそちらに気を取られ、思わず手を上げて声を掛ける。


「おい、ソジュン!」


 背負子にたくさんの薪を乗せて家路を急ぐ少年はこちらに気付いてすぐさま駆け寄ってきた。そして、少年の方を向いたリゼットに笑いかける。


「また会ったな!ヴィスさんには会えたんだろ?」

「ヴィス?」


 思わぬところから出た名前に魚屋は首を捻った。

 ヴィスというのはこの村に数年前ふらりと立ち寄ってから何となく居ついた魔法師だった。

 村のはずれにある森に引きこもっているものの、この村の男衆には見られない細い体躯と優しげな面差しが娘たちの人気を集めている。おまけによく効く薬を作っては二つ返事で譲ってくれるというので、何かあれば彼を頼れというのが村の暗黙の了解のようになっていた。

 腕利きの薬師でもある彼のところへ来客があること自体はさほど珍しくない。だが、ロレンシアから遠く離れた場所から彼の元を訪れるなんて初めてのことだった。そんなに彼が有名になったのだろうか。


「この子はヴィスんとこの客なのか?」

「ハヨンの薬を買いに行った時に会ったんだよ。初めて来たみたいだったから、ベルの鳴らし方教えてやってさ」

「へえ」


 ぺらぺらとソジュンが勝手にリゼットとの出会いを語る。

 彼の名が知れ渡ったのなら、彼女がこんな田舎村まで来た理由も分からなくない。彼は二つ名なしの三流魔法師だが、薬を作る腕は他に勝るとも劣らない。彼が来てから、ここいらでは病や怪我で命を落とすものは格段に減った。それは人だけでなく、家畜もそうである。

 かくいうジェミも、高熱で苦しんでいた息子を助けてもらった恩があった。


「そうだ、ハヨンは無事かい?」


 なぜ呼び止めたのかを思い出して、ジェミは問うた。

 何軒か先に住む村娘のハヨンが少し前からたちの悪い風邪を患って熱が下がらないという噂は聞いていた。息子と同じ時期に生まれた彼女のことを、娘のように思っているせいもあって気になっていたのだ。


「勿論!薬を飲んですぐに落ち着いたよ。流石はスグク堂の薬だよな」

「そうか、よかった」


 ホッと胸をなでおろすと、店の客を置いてけぼりにしていたことに気がつく。リゼットは二人の会話にじっと耳を傾けていたらしい。


「すまんね、ハヨンってのはソジュンの妹なんだ」

「名前だけ知ってたよ。賢、じゃなくて……ヴィス様の作られるお薬はそんなによく効くんだね」


 途中言い淀んだものの、そう言うリゼットの口ぶりは嬉しそうな、そして、尊敬するような色を含んでいた。

 だが、そちらに気を取られる前にふと疑問が湧いた。

 初めて薬の効果を知ったかのような口ぶり。じゃあ、彼女は薬目当てではないのか?

 ジェミがその疑問を投げかける前に、ソジュンが不思議そうな顔で聞いた。重ねるように、浮かんだ予想を尋ねる。


「アンタ、どっかからそれを聞いたからここへ来たんじゃねぇの」

「ロッツェを買って帰るってぇことは、この付近の村の育ちなのかね」


 二人から詰め寄るように問われたリゼットは目をパチクリさせたかと思うと、バツの悪そうに手を弄んで小声で答えた。


「一応、ヴィス様に師事するってことになるのかな」

「師事……てことは、弟子!?」

「だから、暫らくここに住ませてもらうはずなんだけど」

「……ほう?」

「来て早々にヴィス様のご機嫌を損ねてしまって」

「あちゃぁ……」

「どっか行っちゃったんだよね……」

「はぁ!?」


 リゼットが一言一言区切るたび、ソジュンとジェミ、それぞれが出した納得と驚きの声が挟まる。

 温和な性格のヴィスを怒らせるなど、この子は一体何をしでかしたのだろうか。

 最後まで事情を説明してしおらしくなったリゼットは手で顔を覆った。


「わたしね、アルフォレム学院の生徒なの、そうだったの……。でも、魔法が上手く扱えないからダメダメで。学院長先生が便宜を図ってくださったおかげでここまでこれて、もしかしたら魔法が使えるようになるかもしれないんだけど」


 自分がここに来ることになるまでの出来事を語るうちに、リゼットの顔はどんどん曇っていく。それにつれて、声もか細くなっていく。いつの間にか日が暮れて、ジェミは店先に置いてあったランプを灯した。

 明るくなって顔が照らされていると気づいた少女は俯いていたのを上げて、ぱっと音が出るくらいに笑顔を浮かべてみせた。


「まあ、そんな感じで!ヴィス様が許してくださるかはわからないんだけど、まだ弟子としての生活は始まってもないから。せめていつお帰りになってもいいように、食事の支度をしようと思って飛び出して来たんだ!」

「……そうか」

「うん。例え追い出されても暫くは粘るつもり。なんたって、わたしは諦めが悪いからね!」


 ふふん、とリゼットが胸をそらす。と、突然彼女は呆気にとられた顔でジェミを見ていた。その顔を見て、同じような顔を返してしまう。

 彼女の驚いた顔の理由に気がつくのは、無意識に向かい合った少女の頭に手を伸ばしていたことに気がついた時だった。


「おっちゃん、突然どうしたの?」

「が、頑張れって励まそうとしてんだよ」


 慌てて取り繕うが、隣で一部始終を眺めていたソジュンがにやにやと意地の悪い笑みを浮かべていた。


「さあさ、帰った帰った!日は暮れたし、店仕舞いするぞ。魚屋ジェミ閉店!解散!」


 向き直っていそいそと片付けを始めた店主に追い出され、ソジュンとリゼットはそれぞれの帰路についたのだった。

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