第7話:厭人賢者
「わああああっ!?」
驚きのあまり大声を出したリゼットを、男は疎ましそうに睨みつける。
荒れ放題の髪、ギラギラとした赤銅色の瞳、その下にくっきりと広がる隈。
間違いようがない。賢者メリオール・クライオリア・ストリ、その人である。
どうして突然ヴィスが消えてメリオールが現れたのかを混乱した頭で考えると、思いの外あっさりとその答えが出た。
「け、賢者様!今のはもしかして変身魔法ですか?」
「……フン」
やや興奮気味に問うたリゼットを、彼は鼻を鳴らすだけで応えてみせた。違うと否定しないので正解なのだろう。
変身魔法は無数ある術の中でも最も難しいと言われるものである。魔法の腕はからきしのリゼットは勿論、魔法を極めた魔法師でさえ数人使えるか使えないか。それを難なく使いこなすあたり、流石は八賢者の一人に数えられる者といったところだ。
高度な魔法である変身魔法の授業は学院の五年生から始まる。知識としてはあるものの、二年生の彼女にとっては初めて目にする光景だった。
「流石は賢者様ですね!」
リゼットは手を組んで惜しみなく尊敬の眼差しを向ける。きらきらと輝く瞳に見つめられ、メリオールは一歩後ずさった。
「変身魔法はどなたかから教わったのですか?それとも独学で?もしや、コツとかあるのでしょうか!?」
次々と湧き上がる好奇心に抑えきれず、矢継ぎ早にあれこれと質問を投げかける。
すると、その視線から逃れるようにメリオールは顔を背けた。そのまま一言ボソリと何やら呟く。
「……さい」
「へ?」
聞き返すように、リゼットは間抜けな声を出した。
目の前には顔を隠すように波打った髪を引っ張って俯く賢者がいる。様子がおかしいと手を差し伸べようとした途端、彼は振り払うかのように怒号を放った。
「うるさい、うるさい、うるさいっ!」
ビクリと身を震わせ、目を丸くした少女はその場に固まる。
「これだから人は嫌いなんだ、やっぱりお前もそうなんだろっ!ああ、そうだ、そういう人間は大嫌いだ!」
「あ……、あの……」
「流石は賢者様ですね、だあ?そうやって皆凄い凄いって、遠くから褒めやがって!コツなんてあるわけないだろ!当たり前に出来るんだから!」
まともに声を掛けられないまま、リゼットは手を伸ばした姿勢でメリオールが止まるのを待っていた。どうやら無用心な言葉が彼を怒らせてしまったということだけはわかっていたものの、突然のことに茫然と立ち竦む。
思考を飛ばしているうちに、当の本人は肩で息をしながらも感情をむき出しにしている。
「どうせお前も、人のことを煽てておいてそのうち嫉妬するんだ。頑張らなくていいね、魔力があっていいねって、そうやって人を羨んでばっかいやがって!そういう自分は大した努力もしてないくせに!!……第一に当たり前だろっ、」
唐突にくしゃりと顔を歪め、メリオールの勢いがなくなる。そして、体の奥からやっと絞り出したような声で呟いた。
「俺は!俺は……天才なんだから……」
苦しそうに放った言葉が途切れた次の瞬間、ゆらりとメリオールの姿が霞んだ。慌てたリゼットは弾かれたように彼に駆け寄る。
「お待ちください、賢者様!!」
手を伸ばし、丸まった背中を掴んだ。
____はずだった。
「……!」
左手にあったはずの布の感触が消える。
勢い余ってつんのめった少女はその勢いのままカウンターにぶつかって呻いた。
衝撃が部屋に伝わったのか、頭の上に吊るされている薬草が微かにしゃらしゃらと音を立てた。
「っつぅ〜〜〜!!!!」
蹲って痛みに耐えながら、混乱した頭で考える。
あの姿が霞む様子には見覚えがある。今のは転移魔法だ。メリオールはどこかへ行ってしまった。
どこに辿り着くかはかけた本人しか分からない。後を追う方法もない。
普通ならそれほど距離のある場所へは飛ぶことができない。だが、賢者として数えられる彼はどうだろうか。この村の外くらいへは簡単に行けてしまうだろう。
自分が魔法師として生きていくには、彼の存在がなくてはならない。学院にも戻れないし、紹介してくれたマグレグにも申し訳が立たない。唯一の希望であるメリオールに嫌われてしまったら、ずっと追いかけてきた夢への道が途絶えてしまう。
そんなことより、安易な言動で彼をひどく傷つけた。まだ会ってから時間もそれほど経っていないのに。
追って謝るべきだ。
それにしても、彼はどこへ向かったのだろう。村を探すべきだろうか?
いや、探したところでこの土地を知らない自分には時間がかかりすぎる。それに、村にいない可能性だって十二分にあり得た。日が暮れかかっているのを窓で確認したリゼットはその考えを丸ごと捨てた。
じゃあ今、自分は何をすべきなのか。
「……うう、わたしってどうしてこんなにダメなんだろ」
メリオールの苦しそうな叫びが耳の中でわんわんと反響している。
そしてあの表情。もじゃもじゃとした髪に隠れていたが、諦めたような虚ろな目が忘れられない。
「とにかく、わたしに出来ることをやらなくっちゃ」
ぱんぱん、と頬を強めに叩き、リゼットは身を起こす。
そこにはもう弱気な少女はいなかった。しっかりと目標を立てた強い瞳で前を見据える。
転がっているトランクから愛用している髪留めを取り出して纏めると、財布と傍にあった籠をひっ掴んで店を飛び出していった。
彼女が向かったのは、森を抜けた先にあるロレンシア村だった。
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