閑話:手紙
ロレンシアへ到着したリゼットが悲鳴を上げて後ろを振り返った頃。
そこから遠く離れた王都の隅に位置する魔法兵団本部では、いつも通り訓練が行われていた。
◇
魔法兵団とは、ミグ=アヴェスタ国内の魔法師の中でも精鋭を集めた軍隊である。だが、この国は治安も良く、極めて平穏であるから住人に対する暴力のための組織ではない。
むしろ、その力を振るう相手は人ならざるもの____この土地の豊潤な気を吸って生まれた魔物や、育ちすぎて正気を失ってしまった家畜____である。それらはしばしば人に害を与えるため、力のある魔法師が退治をするのだ。魔法兵団は住民を守るために存在すると言っても過言ではない。
気が満ちているだけでなく、その土壌までもが上質であるこの国では、こういった魔物が現れることはさほど珍しくないだけに、魔法兵団は人々にとって必要な存在である。
えい、やぁと掛け声のかかる広々とした空間。そこでは、地面に突き刺さった的に向かって、多くの団員が魔法を放っていた。
渦を巻く火を放つ者、水を出したかと思えば即座に凍らせる者、物を切り裂くほどの強い風を巻き起こすものなど、それぞれが得意な技を繰り出している。
横一列にずらりと並んだ者は恐らく三十名ほどだろう。その後ろにも六列続いている。
魔法兵団がいくら広大な敷地を持つとはいっても、団には三千にも及ぶ団員がいる。とても一度に訓練できる人数ではない。そのため、今日訓練ができるのは第七大大隊に籍を置く者のみだ。
他の隊に所属するものは王都の見回りや苦情対策に駆り出されている。勤務に回されていない者は休日となる。
「もっとお腹に力を入れなさいっ!そこ、集中途切らせないで。人の命を預かる私たちが魔法を外すなんて許されないわよ!」
列をなす魔法士たちの前で、若い女が檄を飛ばしていた。
猛々しく登る炎を思わせる赤い髪は艶やかである。褐色の髪を持つ人々が多く住まうミグ=アヴェスタでは、少々珍しい髪色と言えた。
よく鍛えられて調和のとれた体つき、若くしながら団員の前に立って指示を飛ばしていることから、彼女は只者ではないことが判る。
と、団員たちの中の一人が動きを乱した時、その女は一際目を釣り上げて口を開きかけた。
「シャルロタ様」
背後から彼女の名前が呼ばれる。
「演習訓練中に申し訳ございません」
「……な、なにかしら」
張り上げようとした声を何とか飲み込んで、女は声を掛けてきた少年に返事をした。慌てたところを取り繕う姿には何も言わず、少年は一通の手紙を差し出す。
「わたくし宛の手紙?」
「つい先程、ロコトルで届いたものです」
「ロコトルで?……珍しいわね」
シャルロタと呼ばれた女は首を捻った。差し出された封筒を受け取りつつも怪訝そうな表情は変わらない。
ロコトルというのは、 手紙を送る方法のひとつである。
魔法に馴染みのない田舎では人づてに頼むか、手紙を届けるために旅をしている配達屋に頼むのが一般的だ。だが、下手をすると半年ほどかかることもあるし、途中で紛失する危険がある。そうならないために考えられたのが、魔法具を使う方法だ。
魔法具を使えば、簡単に手紙が出せる。いくつか手っ取り早い物はあるが、ロコトルは中でも比較的安価であるため使われやすい方法だった。
特殊な加工がされた魔法具ロコトルを用いて、遠方に文章を転送するというものである。近くの配達ギルドに内容を伝えロコトルに打ち込んでもらうと、届けたい相手がいる場所付近にある配達ギルドに内容が届く。それを紙に記して封をしたものを配達屋が届けるのだ。
内容が他者に漏れてしまうことが難点だが、離れている場所にその日のうちに手紙を届けることができるロコトルは魅力的とも言える。ただ、正式な文書としては使うことが出来ないとされていた。
だから、この手紙はシャルロタ・アルバンテスという第七大隊の小隊長を務める者としての彼女に届いたものではないはずだ。
宛名書きは流れるような、しかし整った字で記されている。筆跡は配達ギルド職員のものであるから、誰からのものなのかは分からない。
だが、差出人を示す小さな文字を目で追った途端、シャルロタはそのままびりりと封筒破いて中身を読み始めた。几帳面な彼女にしては些か大胆な行動である。
「ふぅ」
紙面を何度か左右に行き来した明黄の瞳が、溜息とともに眇められる。
「私用の手紙とはいえ早く届けてくれたこと、感謝するわ」
礼を述べた彼女に、少年は一礼する。そして、少し戸惑った後におずおずと口を開いた。
「何か、困ったことでも?」
手紙の内容を聞くのは、ある意味失礼ではある。だが、シャルロタは少しも気分を害したそぶりを見せずに手紙を渡した。
「読んでもいいわよ。妹が魔法学院を休学したらしいの。学院長殿のご友人に指導していただくから、しばらくは田舎へ引っ込むと書いてあるのだけど……」
従僕に応えたものの、段々と歯切れが悪くなっていく。途切れた時には、眉間に皺が寄っていた。
「クーチェス、第五大隊はいつ戻るのだったかしら」
「第五大隊ですか?確か、明々後日だったと思いますが」
「第三小隊だけ、また別の任務に行かせることなんて出来ないわよね……」
訝しげに首を捻る従僕に、シャルロタは困ったように微笑んだ。
「これは面倒なことになりそうね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます