第5話:運命の分かれ道

「……え?」


 毅然としていたリゼットの顔が、忽ちくしゃくしゃになった。

 信じられない、と声にならない声で呟き、ローテーブルに手をついて学院長に詰め寄った。両目が潤んでいる。


「な、なぜですか!?わたしはこれからも頑張るつもりです!努力が足りないのなら、もっともっと頑張ります!だから……」

「待ちなさい。話はまだ終わりではありませんよ」

「でも、だって……!!!」


 学院長が取り乱す彼女の肩を優しく撫でて座るように促すと、リゼットは身体中の力が抜けたようにしてソファに倒れ込んだ。

 ぼろぼろと零れだした涙を、歯を食いしばって止めようとする。

 みっともない姿を晒したくはないのに、学院長の言い放った一言が頭の中をぐるぐると回っては涙が漲り出していく。恥ずかしさと悔しさに、耐えきれず顔を覆って息を吸うとずびり、と赤くなった鼻が鳴った。

 予想外の答えに、リゼットの頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 学院を去るべきだという言葉は、恐らく退学を示している。

 そして、魔法の道に進まない“ 持つ者アルセイバー ”は、ロガン器官を破壊されることが掟として決まっているのだった。

 リゼットが退学処分になるのなら、二度と魔法が使えないようにされるだろう。そうなれば夢を叶えることは永遠に閉ざされる。今だって可能性は限りなく少ないが、それでもほんの少しの光を信じて進んできたのだ。


「ああ、言葉が足りませんでしたね」


 酷く取り乱したリゼットの姿に、流石のマグレグも虚を突かれた様子だった。だがすぐに困ったような笑みを取り戻し、人差し指を一振りして新しい紅茶とお菓子を出す。ついでに厚手の毛布を拵え、蹲るようにして嗚咽を漏らすリゼットにそっと掛けてやった。


「君のロガン器官は正常です。それだのに、操魔ができない。おまけに、失敗する時はいつもひどい暴走をするそうですね。私ならば、君がなぜ魔法を使えないのかを調べることができるでしょう。その上で指導を受ければ、君はいつかちゃんと魔法を使うことができるようになる」


 声は極めて優しく、ゆっくりとした調子でマグレグが喋り出す。

 そっと柔らかに包み込むような言い方に、自分の殻に閉じこもるように身を縮めていたリゼットが僅かに力を抜いた。


「わたしはまだ、魔法を使っていいんですか……?使えるようになるんでしょうか」


 前合わせに掛けられた毛布の間から、くぐもった声がする。

 乱れた髪と、それに隠れるように腫れた目が覗く。蘇比色の瞳はつい先程まであんなにも輝いていたのに、学院にいるべきでないといわれた途端に翳ってしまった。

 傷つかないと言い切ったくせに、早々に挫けてしまったことが恥ずかしい。失望されただろうか、と目の前の好々爺の顔色を窺うが、相変わらず考えの読めない柔らかな笑みを浮かべているだけだ。


「嘘は言いません。ですが、私も忙しい身。つきっきりはおろか、月に一度会うのも難しいでしょう」

「……」


 彼女に落胆の色が濃くなった時、マグレグは申し訳なさそうに、それでいて悪戯めいた笑顔を浮かべた。見たこともない彼の表情に、毛布から頭を出したリゼットが目を見開く。


「何度も落ち込ませるようなことを言ってすみません。でも、幸運なことに私よりも適任な人物が自ら来てくれました」

「適、任……?」

「はい。全ての“ 持つ者アルセイバー ”は魔法学院に入ることを強いられますが、ここが学ぶ場所の全てではない。きみには私塾の方が合っているようですよ」


 ぱちり、とマグレグが指を鳴らすと、何もなかったはずの空中に、一人の男が現れる。

 まさかそんなことは起きるとは思ってもみなかったリゼットは思わず短い悲鳴をあげた。


「きゃああ!」

「うぐ……っ!?」


 支えるもののなくなった男の体は、どさりと重そうな音を立てて床に落ちる。苦しそうな呻き声が上がったかと思うと、男は顔を上げて学院長を睨みつけた。赤銅色をした両目が、怒りでギラギラしている。

 リゼットはその剣幕に気圧されて、ソファの上で縮こまった。そっと足を引き上げ、毛布の中に隠す。


「……おい、あんまりじゃないか」

「待たせてしまったのは謝るけれど、君が大暴れするから仕方ないですね」


 地を這うような声で男は脅すように学院長を責めるが、当の本人は何処吹く風と聞き流した。

 あちこちに跳ねたぼさぼさの髪や剥き出しになった鋭い犬歯、目の下をくっきりと縁取る隈が野生の狼を思わせる。憤懣をぶつけるように、目つきの悪い男は吼えた。


「何でもいいからこいつを解け!」

「私の条件をのんでくれたらすぐにでも」

「……ちっ」


 床の上で盛んに暴れる男は、眩いばかりの白い糸でぐるぐる巻きにされている。恐らく、下位の捕縛魔法だが、大賢者が使うそれはちょっとやそっとじゃ破れない。暴れる男の顔に、疲労の色が浮かび始めた。


「ぐぬぅ……」


 じっと二人の様子を観察しているうちに、あることに気がつく。リゼットは首を伸ばして男の顔に視線を縫いつけた。

 依然として人を殺さんばかりの凶悪な顔で学院長を睨み続ける彼の顔は、リゼットには見覚えのあるものだった。以前、王都を歩いていた時にたまたま見かけた張紙に描かれていた顔である。

 恐る恐る、思い当たった名前を口にしてみる。


「も、もしかして十賢者が一人、メリオール・クライオリア・ストリ様……ですか?」


 十賢者。それは四人しかいない大賢者に次ぐ実力を持った十人を指す言葉である。魔法師を志したものなら、一度は憧れる存在。名誉ある立場のために名前は知れ渡っていても、滅多に表舞台に姿を現さない者が多いために、一部を除いて謎に満ちた人々である。

 メリオールはその十人の中でも、最も輝かしい経歴を持った伝説の人物であった。顔を見たことがなくても、ミグ=アヴェスタの国民なら一度は耳にしたことはあるはず。

 名前を呼ばれた彼は刺し貫くようにこちらを睨みつける。真正面から見れば、疑惑は確信に変わった。間違いなく、十賢者メリオールである。途端、リゼットは恐さを忘れて身を乗り出した。


「お前、俺のこと知ってるからって馴れ馴れしく……イデデデ!!!」

「そうです、よくわかりましたね。この子は私の自慢の教え子。態度はこの通り、物凄く悪いのですが」

「おいっ、俺は絶対弟子なんかとらなぁっ……!イデッ、痛いって言っ……いだだだだ!!!」


 男が一際大きな声で喚くと、マグレグはもう沢山とばかりに深い溜息を漏らしながら杖を振る。その度に光の縄がぎゅうぎゅうと体を締め付けた。


「……メリオール。何度も言ってるけれど、賢者になって久しいのだから、そろそろ弟子の一人や二人くらいとらなくてはなりませんよ」

「だから、弟子とる代わりに地域貢献してるだろっ!俺が厭人家だって知ってるくせに」

「だとしたら尚更、君のためにもなるはず。この子はとても優秀だし明るいし、何より伸び代があります」

「……他のやつに頼んでくれ。早く帰りたい」

「君が首を縦に振ってくれれば、今すぐにでも帰ることができるのに……」

「そこのチビスケも漏れなくついてな!」


 ふん、と忌々しそうに鼻を鳴らしてメリオールはそっぽを向く。厭人家を自称するだけあって、学院長はともかくリゼットと同じ空間にいるのすら嫌そうだ。話を聞こうともしない、交渉は決裂した。

 ……ように見えたが、とどめとばかりに学院長が動いた。


「リゼットは七年前のラクーシア事件の生き残りだそうです。その際に、アスファと関わったこともあるとか。君が探している存在だと思うんですけれど」

「あいつと……?」

「彼に助けられて、魔法兵団を志したそうですよ」


 話を聞いた途端、目を合わせようとしなかったメリオールがじっと此方を凝視する。


「お前、それ本当か?」

「そうです……けど」


 遠慮のない視線と、睨んでいるつもりはないのだろうが険しい目つきにすっかり怯んだリゼットは小さな声で応える。

 先程までは何を言われても受け入れないという頑とした決意が感じられたものだが、心なしかそれが揺らいでいるように見える。そんなにもラクーシアでの出来事が彼には重要なのかと思ってしまったら、心がむずつき始めた。

 第一、彼はリゼットにとって憧れの存在の一人である。彼女も一介の魔法師見習い。となれば、賢者に憧れないわけがないのである。

 学院長と彼の話を総合的に聞けば、マグレグはリゼットを彼の弟子にしようとしていることがわかる。こんな幸運、一生に一度あるかないか、いやあるわけがない。運良く弟子になることができれば、その秘められた生活を間近で見ることが可能だ。


「メリオール様、わたしはアスファ様のような魔法師になりたいのです!どうか、どうかお願いします!」

「へっ!いい実験台にはなるけどな、それくらいで俺が弟子をとるとでも____」


 素気無く断られると思いきや、学院長がまたもや美味しい蜜があるとばかりに条件を増やした。


「彼女の生活費を含めて、研究費を捻出してもらえるように上に掛け合ってもいいですが?」

「な、ななな!?」


 メリオールが文字通り、今度こそ飛びついた。


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