第4話:それが彼女の夢

「わたしが六歳の時、暴走したメジューの群れが住んでいた村を襲ってきました。住んでいた村には、魔法師はおろか、若い男の人もいませんでした」


 その時のことは、昨日のことのように思い出せるくらいにはっきりと覚えている。

 魔法とは無縁の地に生まれると、触れる機会というものもそうそうないものだ。もしあんなことが起こらなければ、リゼットはここに来ようとは思いもしなかっただろう。


「あの日、わたしは運命を変える人に会ったんです」


 リゼットは当時の様子を思い描くように、瞳を閉じて語り出した。



 ◇



 ミグ=アヴェスタの南部にあるたくさんの集落の中でも、ラクーシアは山側にポツンと取り残されたような小さい集落だった。

 貧しいわけではなかったが、海産物のとれる海沿いの集落に比べると豊かとは言えない場所である。

 そこに、一家の三番目の子どもとして生まれ育ったのがリゼットだった。


「畑で農作物の収穫をしていたら、叫ぶ声がして、すぐに大混乱が起きました。父はわたしと姉たちを庇いながら人の流れに沿って逃げました。村の男の人たちは協力して立ち向かって……。でも、結論から言えばわたしたちは逃げ切れなかったんです」

「メジューは気性が荒く、体も大きい。群れが襲ってきたなら、それはそれは恐ろしかったことでしょうね……」


 マグレグは白い髭を捻りながら同意した。

 六歳の小さな少女であったリゼットの目に、大人の背丈を越える大きさの魔物が恐ろしくないはずがない。

 少女はその言葉に頷くことで応えた。


「父は体当たりでどこか遠くへ飛ばされて、姉二人は踏み潰されました。わたしも潰されそうだった。そのとき、王都からきた魔法兵団の人が駆けつけてくれたんです。七色の魔法光がきらきらってしたかと思うと、あんなに強くて誰にも太刀打ちできなかったメジューがつぎつぎと倒れていきました。たった一人で相手をしてしまった。……あの人はあんなにも簡単に救ってくださったんです」


 リゼットの暗かった瞳が、途端にきらきらと輝きを取り戻す。両手にぎゅっと力を込めて雄弁に恩人について語る姿はまるで恋をする乙女と見紛うほどに瑞々しい。

 学院長はその様子を相槌を打ちながらじっと見つめていた。


「父も姉たちも、殺された集落の人たちも戻ってこなかったけれど、怪我をしていた人たちは大勢助かりました。魔法兵団が来てくれなければ、わたしもきっとここにいなかった。だからあの日、わたしは思いました。“ この人みたいに、誰かを助けられるようになりたい ”、“ 魔法が使えるようになりたい ”と」


 魔法に触れる機会があった人間は、幼い頃から親しんでその道を選ぶ傾向がある。

 だが、無縁なはずの環境から魔法学院にきたごく少数生徒の理由には、共通点がある。彼らの理由は、リゼットがこの道に飛び込んだ理由とほぼ同じだ。

 どこかでほんの少しだけ目にした魔法に、魅入られてしまった、ただそれだけのこと。


「孤児院には、魔法兵団に助けられて連れてこられた子ども達が沢山いました。その中には、わたしと同じように考えて魔法兵団に入った人もいます。わたしもそのために学院に来ました」


 それがわたしの志望理由です、と締めくくり、リゼットは口を閉じた。学院長は暫く彼女と目を合わせていたが、髭を捻る手を止めて椅子に身を沈めた。先ほどは黙って頷いていたマグレグが口を開く。


「リゼット、君も知っているように魔法学院には魔力さえあれば誰でも入学できるように決まっていますね。そして、ごく少数ながら魔力があっても操魔が出来ない生徒はいる。二年生クラスにも、です」


 そう言われて、リゼットはある一人の少年を思い浮かべた。見るからに気の弱そうな顔立ちの、背の低い男の子だ。二、三度話したことがあるはずだが、その時の記憶はひどくぼんやりとしていて印象に欠ける。頭が良かったこと、憂いを湛えた横顔は思い出せるのに、肝心の名前が思い出せない。


「そう、その子。キース・メルヴェンくんです」


 思い当たったのを見透かしたように、マグレグが名を挙げた。記憶が曖昧だったことも看破されていたようで、詳しい話が後に続く。


「彼のお家は有名な魔法師の家系ではありますが、残念ながら彼は生まれつきロガン器官が弱く、魔を操ることができない。彼は面接をした時、家に自分の居場所がない事を嘆いていました。しかし、彼は学院に入る事を決めた。教員になるために、彼は今とても頑張っています」

「……そうですか」


 リゼットは鮮やかな目を伏せる。

 馴染みのない彼がそんな事情を抱えて生活していたとは、全く知らなかった。リゼットのように、往来で人に揶揄われるようなこともなかったはずだ。

 きっと、彼の影の薄さは、そういった煩わしさ全てから逃げるためのものなのだろう。

 魔法が使えない身でありながら学院にいることを苦痛と感じない人は珍しい。何を言われても目標のためと割り切れる彼女の方が特異なのだ。

 魔法が使えない以上、魔法師とは呼べない。それでも、魔法に関わろうと学院に入る者が歩む道は自ずと決まってくる。

 魔法学校で教鞭をとるか、魔法理論の研究者になるか。どちらにせよ魔法に関係していて、それでいて使う必要がない職につくことになる。それでも、魔法が使えるに越したことがないため、フシャージオ操魔が出来ない役立たずがその職に就けることは少ない。熱意と努力、そして運がなければその座を勝ち取ることは無に等しい。

 リゼットが魔法学院に進みたいと申し出た時も、周りにそうするつもりなのかと聞かれた。聞かれるたびに、何度も違うと否定したけれど、本当のことを言えばすぐ馬鹿にされてしまった。彼女のいうことは、フシャージオにとっては非現実的極まりない。


「リゼット、君は魔法を心から愛している。知識は誰にも負けていませんし、教え方がとても上手だと教授たちが褒めています。他者に教える立場にいる人がそう言うのですから自信を持っていい。君は素晴らしい先生になることが出来るでしょう。

 ____ですが、リゼット。君はその道を望まない」


 不思議な色合いの瞳が、向かいに座る少女を試すように見た。

 リゼットは反射的に身を引きそうになるのをグッと堪えて視線を返す。睨まれているわけでも、敵意をぶつけられているわけでもないはずなのに、その顔が何だか恐ろしいと感じた。普段はにこにこしている相手の顔から笑顔が消えると、急に怖く感じるものだ。

 今のマグレグ・ウィミスターは、今まで見た中で初めて、笑み一つ浮かべぬ真面目な顔をしていた。


「あくまで、魔法兵団に入る事を望むのですね?」

「はい」


 まっすぐ相手の顔を見つめたまま、淀みなく答える。

 笑みのない顔が、一切の躊躇も許さないように見えてくる。ここで迷えば、学院長から突き放されてしまうのではないかという漠然とした不安が湧き上がった。

 それならば隙を見せてはいけない。

 あの人に追いつきたい一心で、リゼットは周りを説き伏せてきた。迷うくらいの心なら努力なんてしないだろう。睨み返すように強い視線を投げかける。

 学院長は表情を変えずに、静かにリゼットを問い詰めた。


「魔法兵団は実力を重視します。入ることは勿論、あの場所に居続けることにも血の滲むような努力を強いられるでしょう。彼らは決して妥協しない、それでも君の決意は揺らぎませんか?」

「はい」

「体も鍛えなくてはいけません。女性の君には辛い訓練かもしれない」

「知り合いが女性でありながらも所属しています。体の方は十分ではないかもしれませんが、定期的に運動をするよう心掛けています」

「君が二度と立ち上がれなくなるほどに傷つくかもしれませんよ」

「傷くらい何ともありません。死ななければ何度でも立ち上がれます。立ち上がってみせます」


 言い切った彼女には微塵の迷いも見受けられない。

 背筋をしゃんと伸ばし、両手は胸に秘めた決意が溢れるのを抑えんとばかりに握りしめられている。

 ミグ=アヴェスタの人間らしい双眸は夜空に浮かぶ星のように、まばゆいばかりの輝きを煌めかせていた。

 誰に何を言われようと、彼女を言い負かすことができないことは明白だった。


「…………ふむ」


 マグレグは唸るようにして口を閉ざした。何か言いたげだが、それをどう口にしていいやら考えているように見える。

 リゼットは無言でその様子を見守った。

 言いたいことは言い切ったつもりだ。どんなことを言われても臆してはいない。

 何度も問題を起こしているけれど、反面でリゼットの力を認めてくれた。

 ____学院長はわたしを分かってくださっている、きっとここに残してくれる。


 しんと静まり返った部屋に、がらんがらんと時刻を告げる鐘の音が響いた。部屋は明るいが、外は真っ暗である。

 ぽつぽつと降り出した雨が窓を打つようになってから、皺の刻まれた顔を上げて学院長が顔を上げた。


「よろしい。やはり君はこの学院を去るべきでしょう」

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