第3話:旧校舎のオバケと好々爺
「頑張って!」
「リゼットなら大丈夫」
授業が終わり、友人二人に力強く背中を押されてリゼットは廊下を歩いていた。
学院長であるマグレグ・ウィミスターの部屋は、旧校舎に隣接する高い高い塔の一番上の部屋にある。
学院長室に呼ばれることは滅多にない。それこそ、退学処分を受ける生徒のみがその部屋へ向かうという話があるくらいだ。勿論、リゼットも今日という今日まで、学院長室を訪れたことはなかった。
緊張のあまり、喉がカラカラに乾く。
先程まで授業を受けていたウォルティア館は学院の中でも敷地のはずれにある。そこから敷地中央に位置する旧校舎へ向かうにはかなりの距離があるというのに、全く苦に感じなかった。むしろ、このまま果てしなく遠ければいいのにと思ってしまう。
本日の授業を全て終えた生徒たちはぞろぞろと校舎から出て、各々寮に向かっていく。長い道のりよりも、寧ろ流れに逆らうようにして歩くのが苦痛だった。否が応でも、視線が集まってしまう。
「ううう、早く帰りたい……」
リゼットは半べそをかきながら、震える足取りで旧校舎に踏み入れる。埃っぽい空気が忽ち彼女の体にまとわりついた。
五年前にウォルティア館、セブネス館、トルドゥーレ館と立て続けに新校舎が建てられてから、ここはめっきり使われなくなったという。学院内では最も古い建物であり、薄暗くて雰囲気のある旧校舎は怪談話が絶え間なく囁かれる場所でもあった。
「薄暗いよぅ、埃っぽいよぅ……。オバケとか……出てこない、よね?」
オバケが大の苦手であるリゼットはきょろきょろと落ち着きなく周りを見回しながらこわごわと廊下を進んでいく。
しんと静まり返った廊下は恐ろしい。叫び出したいのを堪えながらも、やっとの事で二階へ続く階段まで辿り着く。
ほっと一息ついた時、突然肩を叩かれた。
「リゼット、どうしたんだ?こんなところで」
「ぴゃあああ!?!?」
「うわっ」
半狂乱になって腕を振り回すと、声の主は驚いて距離を取った。
怪談話にありがちな、オバケと出会った時のおまじないやら奇声やら、ありったけの声を上げながらリゼットは右手を振り上げた。オバケだろうがねずみだろうが、それ以外だろうが、ぶっ飛ばしてしまえばいいのだ。幸いなことにちゃんとした魔法が使えなくてもは暴発はする。
それを見た相手は、これはまずいとばかりに焦りだした。
「落ち着いて。僕だ、レイトンだよ」
「れれれレイト……レイトンせんせ?」
涙目になりながら両手をばたつかせていたリゼットは、その一言でぎゅっと閉じていた目をそろそろと開いた。
少し離れたところに、書類を抱えて穏やかな笑みを浮かべる男性がいる。知り合いも知り合い、リゼットの担任である。
「ほ、本当にレイトン先生?お、オバ、オバケじゃなくて?」
「やだなあ、足もしっかりあるし。それに、ほら……」
証拠とばかりに、レイトンは左手を翳した。水色の光が迸ったかと思うと、その手にはリゼットそっくりの人形が握られていた。
確かに見覚えがある。レイトンの得意な氷魔法を駆使して作った氷の人形だ。彼はあっという間に精巧なものを作り出すことができるから、せがんで何度か見せてもらったことがある。
こんな凄い芸当、誰にも出来るわけじゃない。ましてや、そこらへんのオバケに出来るはずがない。
「ほ、本当に先生だぁ……」
「信じてくれて何よりだよ」
ころりと態度が変わったことに、少々苦笑いを隠せない様子でレイトンは言う。
「気配を消して近付かないでくださいよ!お、オバケかと思った!!」
「それは悪かったね」
悪いとは言いつつも、その顔はあっけらかんとしている。リゼットは泣き出したくなるのをぐっと堪えて、少しも悪びれた風ではない相手の顔を睨んだ。
「ところで、どうしてこんなところに?もう授業は終わっている時間だよね」
「それが……、えと、学院長先生に呼ばれて」
「そっか。多分、あのことかなぁ」
「え、先生は知ってるんですか?」
「まあ、ね」
意味深にウインクをしてレイトンは踵を返した。ひらりと手を振り、旧校舎の玄関へ向かって歩き出す。
「邪魔して悪かったね。見えないオバケに気を取られてあまりお待たせしないように」
「わ、分かってます!」
むきになって言い返すと、はっはっはと愉快そうな笑い声を残してレイトンは曲がり角に消えていった。
怪しいものが居ないかどうか辺りを見回し、気を取り直して階段を上っていく。
本来なら、魔法が使える生徒たちが階段を自力で登ることはない。壁に嵌っている魔石に手を当てて魔力を流せば、階段が望む方向へ動き出すからだ。
魔力を流すことくらいはリゼットにだって出来る。しかし、ここで肝心なのは流す魔力の量である。その調節がうまくいかない彼女には使えないものなのであった。
入学して間もなくの頃、使おうとして魔力を流したら、加減を間違えて壊してしまったことがあった。その時の教師陣の怒りようといったら……。思い出すのさえも恐ろしい。
それからというもの、リゼットは魔石に手を触れていない。先生たちからもきつく禁止されている。
だから、どんなに急いでいても登るのに疲れても、一段一段自分の足で登らなくてはならないのだった。
◇
最上階である八階までなんとか登りきると、リゼットはそのまましゃがみ込んでしまった。足が重たい。壁に寄りかかって、少しだけ休む。
「八階って……登るの大変すぎるよ……」
這いずって窓のそばに移動する。
校舎の窓から外を見渡せば、その高さがよくわかった。よく授業で利用するウォルティア館は六階までなので、この高さからの眺めは初めてだ。夕日を受けてきらきらと光を返す校舎の屋根はとても綺麗で、暫し見入ってしまう。
リゼットは息が落ち着くのを待って、再び歩き出した。突き当たりをまっすぐいくと、学院長室へ続く螺旋階段がある。目的地はもう、すぐそこだ。
「うぅ〜……」
螺旋階段はすぐに見つかった。繁栄の印とされている聖獣ロヴォネの像が階段を挟んで対になるように置かれている。猛々しいロヴォネの姿を見て心細そうに唸るリゼット。
その間にも、日は沈み、だんだんと差し込む光も少なくなってくる。
暗いところ、すなわちそれはオバケが出る場所。
学院長室に入りたくないが、かといってこのまま暗くなるまで廊下をうろつきたくないという二つの想いの中で心が揺れ動く。
長々と尻込みをしていたが、一段と廊下が暗くなったところで遂に思い切って右足を踏み出した。
左足を下ろした途端、螺旋階段は突然動き出す。歩いていないのに、リゼットは瞬く間に上へと運ばれた。
「はうあっ!?」
まさか動くとは思ってもみなかった彼女はたちまちバランスを崩してすっ転がった。強かに尻餅をついて痛みに呻くが、振り落とされては敵わない。泣きたいのを堪えて、ひしっと手摺りにしがみつく。
今日はなんだか、泣きたい気分になってばっかりだ。
「よく来ましたね」
螺旋階段の続く先、目的地であるはずの扉はすでに開かれており、横に大きく縦に小さい人影が優しい声色で言葉を掛けてきた。
少しずつ、顔が鮮明に見えてくる。
間違いない、この塔の主人にして学園を束ねる者、マグレグ・ウィミスターである。
「学院長先生、わたし____」
「話はゆっくりでも大丈夫。言いたいことは全て聞きますから、安心してくださいね」
螺旋階段はリゼットを最上階まで送り届けてゆっくりと止まった。体をかちこちに強張らせてリゼットが先走ると、学院長はやんわりとそれを遮り、部屋に入るように手招きをした。
出鼻を挫かれて躊躇うが、大人しく言う事を聞く。
「し、失礼します」
「よく来ましたね。君の足ではさぞ大変だったでしょう」
初めて入る学院長室は、思っていたよりも広々としていて、そして奇怪な古道具で溢れていた。雑然とした印象を受けないのは、壁の上に設けられた棚に一つずつ並べられているためであろう。
どっしりとした執務机には堆く積み上げられた書類と、艶やかな色合いをした羽飾りのついたペンが置いてある。それが何の羽なのか思い当たった時、リゼットは思わず倒れそうになった。
深碧にところどころ特徴的な白い模様が入ったそれはロカセインの羽根だろう。唯一無二の存在である上、滅多に姿を表さない魔獣ではあるが、四十三年前に東の町ハルフェロムで暴走し、甚大な被害が出たことがあったと本で読んだことがある。
その際には指折りの魔法師が次々と事態の鎮圧へ向かったというが、我を失い暴れるロカセインを止められたものはいなかったという。ちょうど用事ごとで遠出をしていた賢者が最後に試してみたところ、見事に鎮め、再び自然へとかえしたのだったか。
その賢者こそ、目の前でにこにこと優しい笑みを浮かべるマグレグだと知っていたが、実際に目にすると頭がくらくらしてくる。
他にも、棚をひとつひとつ見ていけば、古めかしくて今にも壊れそうなものだが、知識があればどれも伝説になっている魔道具ばかりだとわかる。どれも、世界に一つしかない、その道のマニアなら垂涎ものの逸品ばかりだった。
不躾に部屋を見てまわるリゼットを叱ることなく、マグレグは先に椅子に座った。
「さあ、お茶もお菓子もありますよ」
ローテーブルを挟んだ向かいの席をすすめながら、感じの良い笑みを浮かべる。
マグレグ・ウィミスター。
アルフォレム魔法学院の現学院長にして、大賢者の一人である。
ミグ=アヴェスタに住む人々に魔法師の適正が高い人間が多いとはいえ、魔法師の頂点と言われる大賢者まで上り詰めることができるのはほんの一握り。才能に恵まれるだけでなく、相当な努力が必要であるはずだ。
だが、この人物は己の才覚を誇示したり、ましてや相手を見下すような人ではない。その証拠に、学院の教師陣のみならず、学生からも根強く支持されている。彼の人徳あってのことだ。
その優しさが溢れ出たように、声色や顔に現れている。
柔らかい印象を受ける相手に、リゼットの緊張も少しずつ解けていった。勧められた椅子に座り、おずおずとお菓子に手を伸ばした。齧ると、ほろほろと崩れるような食感がくせになる。
終始緊張していたせいで気付かなかったが、時刻はもう夕方。お腹も空いていた。はしたないとは分かっていても、甘くて美味しいお菓子に手が伸びるのを止められない。
その様子を、微笑ましく見守るのは白い髭を蓄えた老人。
ここが魔法学院でなくどこかの喫茶店であったなら、祖父と孫だと勘違いされそうなほどに二人の間にはゆったりとした時間が流れる。
リゼットが人心地つくと、マグレグはようやく口を開いた。
「リゼット・ラーングレイ。貴方を呼んだのは他でもありません、貴方のこれからについてお話ししたくて来てもらいました」
「……はい」
焼き菓子をぬるくなったお茶で流し込み、リゼットは頷いた。顔に少しだけ緊張が走る。
マグレグは柔和な笑みを崩さず、言葉を続けた。
「貴方も知っての通り、私は入学試験の時に志望動機を聞きます。そして、信じられないかもしれませんが、お会いして聞いた話は全て覚えています」
学院長はリゼットをじっと見つめた。
「あなたの志望動機は、とても印象的でした。どうしてここに来たのか、目をキラキラさせて話してくれましたね」
「はい」
「もう一度、あなたがここにいる理由を聞かせてください」
リゼットも目の前に座る老人の顔をじっと見つめた。
約一年半前にも、この人と顔を合わせて志望動機を語った。
何を言ったかははっきり覚えている。
魔法を習いたいためだけに、来たわけじゃない。彼女には魔法学院に入った後の、明確な目標があった。
「学院長先生、わたしは孤児です」
学院長が深く頷いた。眼鏡の奥に隠された不思議な色合いの瞳を見つめていると、うまく言葉がまとまって口から流れ出ていくような感覚に陥る。それは、決して不快ではなくて、寧ろ気持ちのいいものだった。
まるで、布団の中に入って微睡みながら、添い寝してくれる母親に話しかけているような。そんな安らかな気持ちで話すようになっていた。
「わたしが六歳の時、暴走したメジューの群れが住んでいた村を襲ってきました。住んでいた集落には、魔法師はおろか、若い男の人も居ませんでした____」
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