空気ねこ
家に戻った俺は、少女の言葉を思い出していた。
『ものがたりを抱えたひとが眠りにつくと、くちびるから すぅ……と、意図の糸が
不思議な少女だった。少々くせっ毛のロング。かすかに青味がかった瞳。矢印のような撫で肩に背を丸めた姿勢の悪さとは裏腹の、何か確信めいた質量を持つことば。
空気ねこ。猫とは違う生き物。ねこであり、ものがたりであり、そして、――俺。本当にそんなものがいるのだろうか。俺はまじまじとねこを見た。ねこは定番の場所になった炬燵の淵に陣取って、紅い首輪を後ろ足で煩そうに掻いている。目が合うと足を戻し、まじめくさった顔で口を開いた。
「窮屈なわけではありませんが、ちょっとこそばゆいですね」
「ウチの滞在許可証みたいなもんだ。外すなよ」
「わかりました。そのうち慣れるでしょう。ただ、ひとつ心配があります」
「なんだよ」
「似合ってますか?」
ねこは猫背を伸ばして座りなおした。俺から目線を外し、首輪を良く見せるためか、斜め上を済まし顔で見つめている。
「めちゃくちゃ似合ってるわ。残念ながら」
「なら安心です」
満足そうに目を細めると炬燵の縁に丸くなった。よくわからん奴だ。あれがほんとうに空気ねこ、――俺のものがたりなのだろうか。
と、そのとき、からりと窓が開いた。急な事だったので思わず身構えると、弟が笑って立っていた。
「なになに、兄ちゃん驚いた?」
「そりゃ驚くよ。つか、帰ってくるなら連絡くらい入れなって」
「ごめんごめん。スーパー行ったらさ、白菜がゴミみたいに安かったから豚バラ鍋やりたいなーと思って買ってきてこっち来ちゃった。カセットコンロ出して?」
弟は前と同じように窓から上がりこんでキッチンの方へと向かった。俺がたんすからカセットコンロを探していると、キッチンから声がする。
「なにこれ? 肉球柄の皿……猫の餌の皿? 兄ちゃん猫飼う事にしたの?」
「あー、うん。つか、炬燵の脇にいるぞ」
「は? うっそ」
弟はパタパタと部屋に戻って来た。そして、きょろきょろと炬燵の周りを見回す。俺はなんだか照れ臭い気持ちになっていた。
「どこ?」
「は?」
「いや、だから猫。いないじゃん」
弟は、あ、ひょっとして中? やっぱいないじゃん。などとやっている。その脇では、ねこが煩そうに口をへの字にしながらも、丸くなって寝ている。意地でもここを動かないぞ、という体で。
「え、そこにいるじゃん」
「そこって……いないじゃん。兄ちゃんからかってる?」
弟はイーと歯をむき出して台所に戻って行った。ちょっと期待しちゃったじゃんか。でもまあ飼う気になったってのは良いことだと思うけどね、などとブツクサ言っている。どういうことだろうか。ねこは相変わらず炬燵の縁にいる。ということは、弟にはねこが見えていない――のだろうか。
俺はねこに聞いてみようと思ったが思いとどまった。ねこは気持ちよさそうに自分のしっぽに顎を乗せて眠っていた。
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