ねこのいと

 ねこに飯をあげてバイトに行き、帰って来て飯を出す。そしてねこトイレを片付けて遊ぶ。ふがいない俺の生活にリズムが戻ってきた。


 弟が出て行ってからここのところ、起きる時間も寝る時間も飯を食べる時間も適当になっていた(飯にいたっては食べない事すらあった)。家でもダラダラしてるばかりだったが、ねこにつき合う事で一気に元に戻った。我ながら毎朝パンを焼きコーヒーを入れている自分には少々呆れてしまう。が、まあ、これはこれで。


 ねこは俺の考えなど知らずにもくもくとご飯を食べている。最近気づいたのだが、ねこはお腹が空いているとニャーニャー鳴いてまとわりつく。そして、ご飯を食べる終わるとペロリと口の周りをひと舐めして「ごちそうさまでした」と礼儀正しく挨拶をする。察するに、お腹が空いているときには猫語しか話せないシステムなのだろうか。ねこに聞こうと思ったが、どうせ「ねこなのでわかりません」と答えると思って聞くのを止めた。


**


 バイトの帰り道、俺はホームセンターに寄った。以前は素通りしていた一角であるペットコーナーへと立ち入って、ドライフードを物色する。


 それにしても、メチャクチャ品ぞろえが多い。洗剤やらマスクやら薬やらと同じくらい、いや、下手をしたらそれ以上に棚にペット用品が並んでいる。餌だけでも1列も占領し、それに加えて首輪にトイレシート、おもちゃやおやつ、さらには、専用のまで。これだけの棚を使っているということは、買う人が多いのだろう。みんな犬や猫飼いすぎじゃねーのかすげーな、と軽く引きながらキャットフードと鳥の羽のおもちゃを選ぶ。


 ふと、首輪が目にとまる。首輪はどうしようか。あの真っ白の毛並みなら紅い首輪が似合いそうだ。俺は首輪に手を伸ばしかけたが、手を止めた。


 ねこに首輪をするということは、ねこを迎え入れるという事だ。一員として扱うことだ。言い換えれば、縛り付けるという事だ。俺は考えてしまう。ねこは、あのねこは納得するだろうか。そして、俺にその覚悟はあるのだろうか。


 逡巡している俺の肩を、誰かが後ろからちょんちょん、と猫がように叩いた。はっとして振り返ると、そこには一人の女性、いや、女性というには少々心もとない女の子が立っていた。


「え、何?」

「あ、すみません。あの、肩にが付いてますよって言おうとして、その、すみません急に。あ、私はえーと、えと、すみません」


 振り向いた俺の顔が思いのほか強張っていたのだろうか。女の子は肩に伸ばした手を招き猫のように固めたまましどろもどろになっている。なんだか悪い事をしたみたいだ。俺は笑顔を作って謝った。作ったというか、女の子の挙動が慌てすぎていて、思わず笑ってしまったのだが。


「や、ごめんごめん。ありがとね。うちの部屋汚ねーからさ。ゴミかなんか付いちゃってたみたい。教えてくれてありがとう」


 俺の様子に安心したのか、女の子もひと息ついて、笑顔になった。パンパンと肩のあたりをはらっていると、安心したのか話しかけてきた。


「ねこを飼い始めたんですか?」

「え、そうだけどなんでわかったの」

「その、首輪を見てたので」

「あー、なるほど。実はそうなんだ。元・野良っぽい奴なんだけどね、急にウチに居ついてさ。首輪いるかなーと思って……」


 俺がそう話している途中で、女の子は被せるように言葉を発した。


「野良じゃないですよ」

「は?」

「そのねこ、野良じゃありません」

「え? なに? どういうこと」


 女の子は先ほどとは打って変わって、どっしりと落ち着きはらっているように見えた。ねこが野良じゃない? どういうことだろうか。なぜ、そんな事を断言できるのだろうか。この子は、あのねこを知っているのだろうか。知っているとすれば――。


「そうか。ひょっとして、あいつは君の家のねことか?」

「いえ、違います」

「だったらなんで野良じゃないとかわかるんだい」

「いとです」

「糸? 俺の肩に付いていたっていう」

「そうです。そのいとは、意図の糸です」

「は?」

「そのいとから産まれるのです」

「何が」

「ねこです」

「は?」


 わけがわからない。俺は何と言っていいのかわからずに女の子を見つめた。女の子は、全てわかっているとでも言うように一つ頷くと、俺の目をまっすぐに見つめて告げる。


「産まれるのです。空気ねこが」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る