弟は窓から入る

 トーストしたパンに目玉焼きを載せる、いわゆるラピュタ方式の朝飯を載せた皿を持って部屋へと戻ると、ねこが丁寧に毛づくろいを続けていた。


 声をかけようと思ったが、あまりに熱心に毛を撫でつけているのでそっとしておくことにした。出しっぱなしの炬燵の上に皿を載せ、どうせずり落ちる目玉焼きの黄身を潰してトーストに広げた。一口齧って窓に目を向ける。


 向かいの住宅の塀との境に面した大きな窓。窓から塀までは1mほどのスペースがあり、8畳1Kのアパートの住人の多くは、そのスペースを駐輪スペースやちょっとした物置として利用していた。俺の部屋の外にも、つい先日まではチャリと原付が1台ずつ停まっていた。今は俺の原付だけだ。


 弟は自転車を止めると玄関へは回らず、そのまま直接窓を開けて部屋へと出入りしていた。俺が鍵を閉めて出かけた時などは、窓が閉まっていて不便だとわざわざ抗議のLineを送って来るほどだった。そのため、我が家の窓は基本的に鍵が開いたままだった。田舎とはいえ、なかなかに物騒な戸締りだが、別に侵入されても取られるような金目の物は無い。まあいいだろうと思いそのまままにしていた。今はもう弟はいないが、相変わらず窓は空きっぱなしだ。


 ――ひょっとしたら、俺が寝てる間に弟が窓からこいつ入れといたのかもな


 ふと、そう思った。そういえばあいつは俺に、猫を飼うようにと言っていた。弟であれば窓が開いている事は知っているだろうし、今朝の状態にも説明が付く。俺はねこに確かめてみることにした。


「なあ、お前ってひょっとして弟がここに連れてきた?」

「ねこに弟はいませんが」

「いやそうじゃなくて、俺の弟がお前をってこと」

「ねこなのでわかりません」


 ねこはすんなりと答えると、毛づくろいを再開する。いまいち納得はできないが、どうやら弟が連れてきたというわけではないようだ。いったいこいつはなんなんだろうか。居てくれる分には構わないが。


 あらためて毛づくろいに熱中しているねこを見てみる。ねこはどこかしら弟に似ていた。容姿はもちろん違うが、たたずまいというか、雰囲気というか。


 両親がいなくなったのは俺が中学生、弟が小学生の時だった。しばらくは親戚の家に世話になっていたのだが、お互い居心地が悪くなり、不動産関係の仕事をしていた親戚に8畳1Kのアパートを紹介してもらって、そこに移り住んだ。以来、俺と弟は2人暮らしだった。


 最初の頃は月に何度か様子を見に来ていた親戚も次第に足が遠のき、ほとんど連絡することも無くなった。俺は弟をという使命感を勝手に抱き、飯を作り、家賃を稼ぐためにバイトに明け暮れた。


 さぞ苦労したかと思われるかもしれないが、運が良かったのか時期が良かったのか。はたまた立地や周りの人に恵まれていたのかわからないが、別段苦労することは無かった。


 腹が減って死にそうだとか、寒くて眠れないだとか、そういう事はまったく無かった。淡々とこなしていれば、余裕は無いものの生活に困る事は無い。強いて言うなら、同級生たちと遊びに行く暇と金がなかったくらいだろうか。


 弟も特に手がかかるとか寂しがるとかいう事もなくすんなりと育ち、つい先日、無事に地元の大学に合格した。あと4年経てば金を稼ぐ必要もなくなると思っていた矢先、なんと授業料全額免除の奨学金の申請を取って来た。


 大学の寮に入ることにしていた弟は、既にバイト先も見つけてきており、経済的には俺の出番は無くなった。びっくりした。優秀な弟でなによりだ。俺は一気に特になにもしなくてもOKな身になった。良かった良かった。


 良かった。が、そこで俺は困ってしまった。さて、じゃあ俺の役目って何? 俺はちょっと分からなくなってしまった。


 トーストの最後のひとかけを口に放り込んだ俺の頭に、弟の声が響く。


『兄ちゃんさ、猫飼いなよ』


 毛づくろいを終えて、布団の上で丸くなっているねこを見遣って俺は呟く。


「知らねーよ」


 ねこは耳をぴく、と動かしたがそのまま丸くなっていた。

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