長男が飼うべきは猫

 弟が通う事になる大学を一緒に見に行った帰り道、近所の田圃の上空でカラスが騒ぎながら飛び回っていた。カラス自体は別段珍しくはないが、これだけの数がぐるぐると飛び回っているのは見た事が無い。


「なんだろな、あれ」

「さあ、ウサギでもいるんじゃないの」

「この辺にウサギいるか? つか、なんでウサギがいるとカラスが騒ぐんだよ」

「獲物として獲ってるとか」

「カラスってウサギを狩るのか?」

「わかんないけど」


 なんだそれ、と弟を小突きつつ田圃の近くまで行ってみると、一羽のカラスが自身よりも少し小さな鳥に組み伏せられていた。飛び回っていたのはこのせいか。仲間のカラスが騒ぎ立てながら、遠巻きに牽制しているようだ。


「なんだあれ、たか?」

「わっかんない。わしかも」

「鷹と鷲の違いってなんだ」

「わかんないけど」


 さっきから全然わかんねー事ばっかじゃんか、よく大学受かったな、と軽口をたたいたものの、今度は弟を小突かなかった。小突く余裕がなかったのだ。その鷹か鷲か、もしくは違う鳥は、がっしりとカラスを踏みつけ、胸を反らして周囲を睥睨へいげいしている。


 いかにも逞しい胸には、白とこげ茶のまだら模様が浮かんでいる。離れた場所から見てもわかるほど鋭いくちばしの脇の目は、歌舞伎の隈取くまどりを施したかのようにくっきりとし、鋭い眼光が覗いている。足の下のカラスは何とか逃れようと体をよじっているが、鷹はまったく意に介した様子すら見せない。微動だにせず、仁王立ちしたままだ。


 上空にいる20羽ほどのカラスの罵声に動じることなく、爛爛と目を輝かせている。静かだが、燃えるような、怒りを抑えているかのようなその姿。俺はそのたたずまいに心を打たれた。


 インスタ撮っておこうか、と弟がスマホをかざすと、それに気づいた鷹がピィッと鋭く一声鳴いて飛び立った。足元のカラスはチャンスとばかりに立ち上がり、周りをぐるぐると飛び回っていた仲間たちと共に、一斉に鷹を追って飛んでいく。


 夕焼けの空を、鷹とカラスは互いをけん制し、突き合いながら遠ざかっていった。俺と弟は、しばらくその様子を無言で見上げていた。


「兄ちゃん、鷹、大丈夫かな」

「大丈夫だろ。組み伏せてたし」

「でも数が全然違ったじゃん。俺、悪い事しちゃったかな」

「いやいや、なんとかするだろ。鷹だぞ。鷲とかかもしれないけど」


 なんとかなるかなあ、カラスよりちょっと体小さいくらいだったけど、と、鷹たちが飛び去った方向を心配そうに見ている弟を促して歩き始める。


「昔さ、兄ちゃんもやべー奴等の所に突っ込んでった事あったよね。俺が小学校くらいの時。助けに来てくれたやつ」

「あー、あったなー。あれほんと死ぬかと思った」

「わかる。俺も兄ちゃん死ぬと思った」

「なんだよそれ。すげー必死だったんだぞ」

「結局めちゃくちゃ逃げたよね。2人で」

「元はと言えばお前が原因だろ」


 俺が笑って小突くと、弟も笑った。そして鷹の方をもう一度見ながら、ぽつりと言った。


「兄ちゃんさ、猫飼いなよ」

「は? なんで」

「だって俺さ、家を出てくから」

「なんの関係があんだよ。猫と」

「誰もいなくなったらさ、兄ちゃん絶対グダるじゃん。生き方」


 振り返った弟の顔は少し困ったような笑顔だった。――たぶん俺も同じ顔をしていたと思う。

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