第17話 忘却の世界①

 波の音が聞こえる。

 久しぶりに見る予兆夢。

 輝瑠はまぶたを開くと、いつの間にか浜辺に立っていた。周囲を見渡すと、砂浜に座る華月の姿があった。けれど、輝瑠の目にはガラス細工のような脆さをして、今にでも消えてしまいそうな儚い姿をしていた。

 声を掛けるのに躊躇ためらってしまう雰囲気が出ている。しかし、声を掛けなきゃいけないとも思った輝瑠は近づこうとする。


「ーーっ!?」


 足が動かせず、前へ一歩も進む事が出来なかった。それと声も出すこともできない。

 ただ華月の悲しげな横顔を黙って見てるしかできない。

 華月は海をジッと眺め続け、輝瑠の存在に気付かず、歌い始めた。それは今までに聞いたことがない歌だった。

 まだ色もないまっさらな歌。

 声に覇気がなく、弱々しく歌う華月は辛そうに歌い続ける。

 ただジッと見ているしかできないもどかしさ。

 この予兆夢は月花の引退に関係し、今の華月の心情を輝瑠に見せているのだろうか。

 そして、この予兆夢が起因し、輝瑠はこれから起こる不思議な現象を知ることになるだろう。


 しばらく、何も出来ない状態が続き、終わりが近づいてきた。

 現実に戻ったら、華月と会って話し合おうと輝瑠は決意を固める。

 徐々に瞼が閉じ始める。瞬きをした時、目の前に誰かの気配を感じた。


「ーーーーけて」


 誰かが喋っている。

 輝瑠の意識は徐々に薄れて、目の前にいる誰かに話しかけることも、言葉を聞き取る事も困難になっていた。


「ーーをーーーーけてーー」


(なる、の? い、や・・・・・・ちが、う。だれだ?)


 目の前の誰かが何か伝えようとしている。しかし、夢から覚めようとしている今では聞き取る事はできない、あと数秒で夢が覚める。


「かーーきをーーーーたーーけてーーあーーーーげて」


 一瞬、顔が見えたと思った時、輝瑠の意識は途絶えた。

 最後に輝瑠が見たのは、華月と似ている女性の姿だった。




 予兆夢を見た翌日、輝瑠は電車の中で外の風景を眺めていると、すぐ後ろにいる女子高生達が、昨夜知った情報である月花の引退について会話していた。


「月花引退とか急にどうしたんだろう・・・・・・」


「マジで悲しい・・・・・・ぴえんだよ」


「ホントそれ。てか新曲は?」


「引退するんなら新曲はなしじゃない?」


「えー、楽しみにしてたのに」


「そういえば、確か月花って学生だって噂があるみたいだよね」


「もしかして彼氏ができたとか?」


「それで引退ってよっぽどの事でしょ! 何かよくない事があったのかな」


「不倫とか?」


「えー? 月花って学生でしょー? 不倫はさすがになくない? だってそれ相手が年上の既婚者でしよ? 月花がそんなことしてるって考えたくないよ」


 月花引退に悲しそうにしていた二人だったが、引退の理由について好き勝手な憶測で言い合っていた。

 輝瑠が知る限り、華月が年上と付き合っている事は微塵も感じられなかった。ただ、華月の事をプライベートまで知ってるワケではない輝瑠は、完全に否定は出来ない。もしかすると見えない所で華月は年上の人と付き合っていた可能性だってある。


「・・・・・・ないな」


 華月がそんな疾しいことをしないと否定した。

 ただ今の華月は危うい状態となってる可能性は高く、道を踏み外す可能性は大いにあり得る。そう思うと、輝瑠は早々に華月と会う必要がある。


「昨日出された宿題やった?」


「あ! 忘れた! 見して! 見して!」


「えー、どうしようかなー」


「今度何か奢るからお願い!」


「しょうがないなー」


 しばらくすると女子高生達は月花の話題から離れて他愛ない話へ変わっていた。それに関して特に変だとは思わなかっただろう。しかし、さっきまで月花引退の話がチラホラと輝瑠の耳に入っていたのに、急に誰も話題に出さなくなっていた。それが少し違和感を覚えたが、その時の輝瑠は特に気に留めなかった。

 目的の駅に着いて殆どの学生がどっと降りて、大勢の人が階段を降りていく。輝瑠は腐った目で周囲と同じ様に改札口から出ていく。ふと視線を上げた時である。


「・・・・・・鳴野?」


 一瞬、華月を見かけたように思えたが、雑踏の中へ消えてすぐに見失う。

 輝瑠は駆け出して周囲を見渡し、華月の姿を探すが見つからない。


「気のせいか?」


 輝瑠が華月だと思った姿はきっと見間違えだと思った。

 そう、彼女が金髪に染めて、普段お下げに結っていた髪はストレートに毛先をワンカール、眼鏡を外していた。

 遠目で見ただけでは華月だとは気付くのは難しい。それなのになぜ、その人を華月だと思ったのか輝瑠も分からなかった。ただ、直感的に輝瑠はそう感じたのだ。

 結局校門近くまで来たが、華月に会うことはなかった。それなら放課後、彼女のクラスに行くか、校門で待っているかして捕まえるしかない。そう考えていると、誰かに肩を叩かれた。

 振り返ると蓮太がいつもの爽やかな笑みで挨拶をしてきた。女子なら間違いなく惚れるだろう。


「誰かをお探しか?」


「何で俺が誰かを探していると?」


「遠目からキョロキョロしてたし、誰が見ても人を探してるような感じだったぞ」


「ちょっとした人間観察だよ。俺のようなぼっちは当たり前なんだ」


「他人に興味がない輝瑠が人間観察ね」


「それより、月花が引退する話知ってるか?」


 蓮太の疑う視線から逃れるように話題を変えた。輝瑠の意図に気づく蓮太は苦笑し、これ以上詮索せず、話題に乗っかる。

 しかし、蓮太は口を開くことなく、誰の話をしているのか分からないといった顔をしていた。僅かな沈黙が流れ、疑問符を浮かべる輝瑠。


「あー月花の引退疑惑な! 突然そんな情報流れたらビックリするよな! せっかく輝瑠は月花の曲聴き始めたばかりなのにな」


「・・・・・・そうだな」


 さっきの間は一体何だったのか。妙な胸騒ぎがする輝瑠。


「まあ、正式に引退するって決まったワケじゃないだろ? ただの憶測かもしれないし」


 その後も蓮太は話を続け、輝瑠はそれに相槌をするしかできなかった。

 確実に何かが変わり始めている。

 輝瑠の知らない世界に書き換えられているような、そんな予感をひしひしと感じていた。

 そして、その違和感は教室に入ってからも同様だった。

 クラスメイトの他愛ない雑談。

 話題で持ちきりになっているはずの月花の引退について、ついさっきまで蓮太と話していたはずなのに、その話題を誰も触れていなかった。

 クラスメイトの中にはファンが何人かいて、月花の曲について話が盛り上がっている所を何回も耳にしていた。

 そのグループの会話を耳にするも、別の知らない歌手について語り合って、月花の名前すら口にするものがいなかった。


「輝瑠どうした?」


 出入り口付近に立ち止まる輝瑠。その様子に訝しむ蓮太には、輝瑠の感じている違和感に気づいていない。


「・・・・・・っ」


 一瞬目の前がぐらりと視界が揺れたように感じて、輝瑠はよろめいてドアに手をついた。蓮太の心配する声を聞き取ったが、それどころではなかった。

 この光景や世界が、この数分で何かに塗り替えられている。いつもと変わらない日常のはずだが、喉に小骨が引っかかったような気味の悪い感覚。

 輝瑠はすぐに教室から出て、この変化の原因である人物の元へ駆け出した。 

 後方から蓮太の驚いた声と名前を呼ぶ声が聞こえた。

 慌てて廊下を走る輝瑠に、生徒達は怪訝な顔を向けられるが、それを気にしている余裕すらない。

 真っ先に一年生の教室がある階へ向かう。 

 輝瑠が向かった先は華月のクラス。

 教室の後ろから覗き、輝瑠へ怪訝そうな視線が集まるのも気にせず、華月の姿を探す。

 そしてーー直ぐに見つけた。


「・・・・・・」


 輝瑠の向けた視線の先に、金髪に染められ、制服を着崩し、友達と談笑する姿。

 最初に出会った華月とは印象がガラリと変化していた。それに唖然とする輝瑠と華月の視線が合う。

 しかし、直ぐに視線が逸らされ、友達と会話を続ける。


 それは華月が歌手である事をやめて、世界は塗り変わってしまった後。

 既に世界の全ての人々は月花を忘却し、ここは月花のいない世界に変わってしまっていた。

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