第13話 華月と月花
雪美が適当に業務連絡を話し終えて、さっさと教室へ出て行く。その後ろ姿を呆然と眺める輝瑠。
すぐにクラス中は喧騒に包まれる。何も予定のない輝瑠は、鞄に必要な物を入れてから颯爽と教室を出て行った。
昇降口で靴へ履き替えて出た所で華月と偶然出会う。
華月がしかめっ面をして開口一番に。
「ストーカー」
そう一言告げてからその場を去ろうとする。
輝瑠が話しかける隙もない。去りゆく華月の背中へ別れの挨拶だけでも輝瑠は言う。
「じゃあな月花」
輝瑠はそう告げて別れの挨拶をすると、振り向いた華月は苦虫を噛み締めるような顔をしていた。それから輝瑠に近づいて手首を掴むと、そのまま人気のない校舎裏へと連れられる。最近そのパターンが多い。
華月が鋭い眼光で輝瑠を射抜いて、今にも襲ってきそうな雰囲気である。
何かされるんではと身構えてしまう輝瑠。
「どうしてあたしの事を月花って呼ぶんですか?」
「夢の中で聴いた歌声と月花の歌声が一緒だったから」
「ただ似てるだけでしょ?」
「俺が聞き惚れた歌声だし、間違いはない。それにテレビに出てただろ? あのスタイルと声は間違いなく鳴野だった」
「それは、他人の空似ですよ」
「こうして連れ出して、わざわざ聞いてくるのが、何よりの証拠だと思ってる」
「・・・・・・あっそ」
華月は素っ気なく返事をし、疲れた溜息を吐いた。
輝瑠の中ではもう華月=月花という図式が出来上がっている。
「華月が月花だって、言いふらしてもいいけど?」
輝瑠を憎々しげに睨み付けて、強い感情を露わにする。もう自分が月花だという事を隠す必要もなくなったのだろう。
「あたしの身体が目当てなの?」
身体という言葉に輝瑠の脳裏に全裸の華月が思い浮かんでしまう。それに気づく華月から殺意が膨れ上がり、輝瑠は慌てて思い浮かんだあの場面を霧散させる。
「そ、そう睨まんでくれよ・・・・・・別に言いふらすつもりもないし、何かを要求するってことも・・・・・・」
そこまで考えて輝瑠はあることを思い付く。
「華月の歌声を聴かせてくれないか?」
「・・・・・・」
輝瑠はもう一度生の歌声を聴きたい欲が出て、そう要求すると華月は顔を伏せた。
「先輩に付き合えるほど、あたしも暇じゃないです」
冷たく言葉を放つ。
輝瑠はもう少し踏み込んだ。
「それって新曲作りで忙しいって事か?」
新曲という言葉に、華月が顕著に反応を表した。輝瑠を睥睨し、その顔は辛そうに歪んで、僅かに苛立ちを含んでいた。
その様子から今までより強い嫌悪感が滲み出て、言外にこれ以上踏み込むなと拒絶しているようだ。
だけど、輝瑠は華月の様子に気付かないフリをして、道化を演じる。
「月花の生歌が聴きたいなー。カラオケに付き合ってくれないかなー? じゃなきゃうっかり鳴野が月花だって口を滑らすかもなー」
わざとらしく声を上げる輝瑠に、華月は唇を噛み締め、悔しげな表情で睨みつける。
ほぼ脅迫に近い要求に、少しだけ罪悪感が残るが、強引に誘わないと華月は絶対に断るだろう。
「・・・・・・嫌がる女性に、そんな脅迫なんて最低です」
「普通に誘っても断るだろう?」
「そうですね。・・・・・・・・・・・・わかりました。今回だけにしてください」
瞑目した華月がしばらく沈黙してから、瞳を開いて嫌々要求に応え、カラオケに行くことを了承した。
それから二人はカラオケへ向かう。
前を輝瑠が歩いて、一歩遅れて華月が後ろを付いてくる。
つかず離れずな微妙な距離感は今の二人そのものを表すように離れている。その様子に輝瑠は苦笑しつつ、距離感を縮めるにはどうしたらいいのか悩むのだった。
二人の間に当然会話が無く、沈黙している。どうにか会話しようとして、歩く速度を落とし、華月の横へ並ぼうとする。しかし、華月も輝瑠に合わせて速度を落としたため、距離が一向に縮まらない。
「どうして、そんな後ろにいるんだ?」
「そんなの決まってます。嫌だからです」
「マジ声で拒絶されると、傷つくんだけど・・・・・・?」
「最低な先輩が脅迫するからです」
「それは悪いと思ってる。だけど・・・・・・これは鳴野のために動いてるんだよ」
「あたしのためなら、これ以上関わらないで欲しいです」
「なら予兆夢を引き起こさないでくれ」
「そんなの知りませんよ」
普通の会話とはほど遠い舌戦に、距離も縮まるどころが遠ざかっている。
しばらくして、駅前にあるカラオケ店に着いた。中へ入ると、店員に人数とドリンクの注文をしてから部屋へ向かった。
今更ながら女子と二人でカラオケに行く事が初めての輝瑠。強引な誘いではあったが、これは放課後デートと言ってもいいだろう。そう意識し始めて、華月の方へ視線を向けると不機嫌オーラが漏れ出ている。その様子から甘酸っぱい空気とは違う険悪ムードに、輝瑠が放課後デートと思った事を前言撤回した。
部屋の中に入り、二人は離れて座り沈黙が流れる。
輝瑠は華月を一瞥すると、スマホを取り出していた。このまま何もしないのもどうかと思い、輝瑠はテーブルの上に置いてある端末を華月に渡す。
「・・・・・・」
「月花の生歌聴けるなんて嬉しいなー」
多少強引だけど輝瑠の棒読みな台詞を紡いで、期待した眼差しを華月へ向ける。それを一瞥した華月は呆れて溜め息を吐いた。スマホを仕舞い、自棄になった華月は端末を受け取って曲を選択する。
その間、ドアがノックされてドリンクを運ぶ店員が現れ、テーブルに置いた。
すぐに店員が出て行くと、それを横目で確認した華月は言葉を紡ぐ。
「普通こんな事しないですから」
「まあ無理に連れてきたことは謝るよ」
「謝るくらいなら脅迫なんかしないでください」
華月が選曲したのは活動を控える前に発売された曲だった。
マイクを手にして立ち上がると、イントロが流れ出す。華月はしばらく瞳を閉じた後、ゆっくり息を吐いてスイッチを切り替える。
その刹那、華月の周囲に取り巻く空気が一瞬にして変化する。イントロが終わった瞬間に瞳が開かれる。そしてーー華月はゆっくりと歌い始める。
先程までの刺々しい雰囲気はどこかへ霧散し、目の前にいる華月は輝瑠の知る彼女ではない。
歌手としての月花が目の前で降臨している。
月花から紡がれる綺麗なソプラノボイスが直接脳まで浸透し、間近で聴く輝瑠は鳥肌が粟立つ。
最初の予兆夢で聴き惚れた歌声である。
落ち着いた声が次々と紡がれて、手振りやゆったりとした動きに目が離せない。輝瑠は我を忘れて月花の歌声に夢中になる。
胸の鼓動がどんどん早まるのを感じる。
「~~~っ♪」
彼女の歌声が好きという気持ちを再確認する輝瑠。このまま、いつまでも聴き続けたい。そんな欲求も芽生える。
一生懸命に歌う彼女の姿を見つめ、身振り手振り身体を動かし、おさげに結った髪が動きに合わせて左右に揺れる。
「・・・・・・?」
そんな好きな歌声だからこそ、輝瑠は僅かな違和感に気付く。
素人目でも分かるほど完璧に歌う華月。誰もが何もおかしい箇所がないと思うだろう。しかし、華月の歌声を間近で聴き続け、小さな違和感に気付いてしまう。
その声に気力があまり感じられず、それに悲嘆さが混じっているような。
よく集中して観察しなければ分からない感情。
しばらくして歌い終わった華月はマイクをテーブルに置いて、座って一息つく。コップを手に喉を潤す。
輝瑠がマイクをジッと凝視し、何やら考え事をしていた。そんな輝瑠へ華月が横目を送って。
「これで満足でしょ?」
「・・・・・・」
「ちょっと先輩、無視ですか?」
「・・・・・・え? ああ・・・・・・、もう一曲いいか? デビュー曲の始まりの春色が聴きたい」
輝瑠の要望に華月の表情が一瞬だけ硬くなった。しかし、すぐに端末を操作し、選曲する。
「これで最後にしてください」
再び立ち上がる華月。
デビュー曲の『始まりの春色』のメロディーが流れる。
歌い出しからしばらく普通に歌っていた華月だが、マイクを握る手が強く、何か様子がおかしいと感じた。
一曲目とは違い、声に覇気が感じられず、苦しそうな顔をしていた。
やがてサビの途中で華月の口が閉ざされた。
一体どうしたのかと視線を華月へ送ると、視線がぶつかる。その間メロディーは流れ続け、華月は話す気配がない。しばらく待っていると、ややあって華月は口を開いた。
「先輩はあたしの歌聴いて、どう思ってるの?」
「生き生きして楽しそうで、こっちまで気分が高揚してくる。ずっと聴いていたいとは思ったよ」
「・・・・・・そう。でも聴いてて分かりましたよね? 今のあたしには前ほど楽しそうに歌えないし、・・・・・・ただ苦しく辛いだけ・・・・・・そう見えるはずです」
自虐的に笑う華月は、触れたら今にも壊れ崩れそうな程に脆く映った。
輝瑠が思っていたより、華月の悩みは自身を苦しめているようだ。このまま放っておけば、最悪な状況へと変化し、心に大きな傷痕を付けることとなる。
悩みの原因が歌にあることは、さっきの華月の言葉で確信した。しかし、その理由までは知らない。
「歌うのが辛いのか?」
「わからないです・・・・・・・・・・・・。けど、もうあたしは歌えないかも・・・・・・」
小さく呟く華月の口から弱音が吐かれる。
輝瑠は華月のためにしてあげられる事が分からず何も言えなかった。
やがて『始まりの春色』が終わると部屋の中は一瞬静寂に包まれる。その後、テレビから広告が流れ始めた。
「ごめんなさい、これ以上はもう歌えないです。もうあたしには・・・・・・」
気まずい雰囲気が流れて輝瑠はどう言葉にすればいいのか分からず、掛ける言葉が見つからない。
お互い無言のまま帰る雰囲気が流れてしまい、このまま帰すのはダメだと思った輝瑠は慌てて別の話題を話す。
「新曲、発表するんだよな?」
その話題は今の華月には地雷となる事が分かっても、輝瑠はあえて踏み込んでみた。
「どうして先輩はあたしに踏み込もうとするの? もうあたしに関わらないでっていったはずです」
華月は輝瑠を睨みつけるが、その瞳は弱々しい。今にも存在そのものが消えてしまそうな程、危うく見えた。
「鳴野が最悪の選択を選ぶのを阻止するためだよ」
「・・・・・・これはあたしの問題です。先輩には・・・・・・関係ない事です」
どんな言葉を掛けようとも華月からは拒絶の言葉が返ってくる。これ以上輝瑠は言葉を紡ぐ事が出来ない。
輝瑠が口を開かない事を見て、華月は財布から金を取り出した。テーブルに自分の分の料金を置いて立ち上がる。
「ごめんなさい先輩。あたしもう・・・・・・帰ります。これで・・・・・・最後にしてください」
それだけを告げて部屋を出て行った。
一人残った輝瑠は華月を呼び止めることも出来ずに、ただジッとテーブルの上にある金を見つめる。
掛ける言葉も見つからず去ってしまった。何をすれば正解だったのか輝瑠は分からず、深いため息を吐いた。
「・・・・・・なら、なんであんな顔なんかーー」
華月が最後に残した拒絶の言葉。
しかし、その言葉とは裏腹に彼女は助けて欲しそうな顔をしていた。
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