第9話 女子大学生と布教

 自宅の最寄り駅から徒歩3分のこぢんまりとした場所に輝瑠が働くカフェがある。

 あまり目立たない場所に位置しているため、お客さんの出入りが少なそうで、売り上げが心配になるレベル。しかし、割と人気のあるカフェ。

 ランチタイムは普通にお客さんで溢れかえって、中には並ぶ人まで現れるほどの繁盛っぷり。

 手頃な価格とサービスが良いことでリピート客が続出し、口コミやSNSで広がって年々売上も右肩上がりの傾向にあるとか。

 そんな人気のあるカフェで輝瑠はアルバイトをしている。

 夕方頃のカフェは割と客足も落ち着いている。輝瑠は更衣室で制服に着替え終えた後、ホールへ向かう。

 レジ前にメイド服のような白黒を基調としたウェイトレス服の女性が立っていた。実はもう一つカフェが人気の理由があり、それがその女性である。


「輝瑠君おはよー」


「おはようございます」


 髪を後ろに束ねたポニーテール姿の女性が、柔らかい笑みで挨拶を交わした。

 彼女の名は堀本朱璃ほりもとあかり

 輝瑠が通う桐浜高校を卒業し、今年から大学生になった女子大生。

 パッチリとした目に、薄化粧のメイクをした綺麗な顔立ち。平均的な身長にスタイル抜群で、胸とお尻が大きく出ている。

 噂ではEカップだと言われていた。ほとんどの男子がその胸へ目が自然と吸い寄せられるほど大きいのだから、納得できる。

 高校時代に多くの男子を魅了する朱璃が、告白された数は三桁になったとか。しかし、告白を全て断り、彼氏を作ることなく卒業した。

 そんな朱璃が女子大生となった今、高校生の時とは雰囲気が少し変わったように感じられた。大人っぽい色香があるような、そんな雰囲気を醸し出している。それは大学生という肩書きでそう見えるのか、はたまた大学生になって彼氏ができたのか、判別できない。

 そして、朱璃の人気はこのカフェでも健在である。


「学校の方は相変わらず?」


「まあ、特に変わった感じはないですよ」


「まだ私が在籍してたら手助けできたかもしれないんだけど・・・・・・」


 実を言うと輝瑠は去年、何かと朱璃に色々とお世話になっていた。

 噂の事をデマだと周囲に説明し、どうにか収拾しようと色々と手助けをしてくれていた。しかし、それが逆効果となった。

 朱璃は輝瑠に弱味を握られていると、大半の生徒が思い込み始め、悪い噂が更に増えて余計に悪化。陰口は増えて、中には正義感に駆られた連中が直接喧嘩を売ってきたこともあった。

 結局、朱璃が庇った所で悪くなる一方。最終的には、朱璃は距離を置かざるを得なく、学校内で直接会話することもできず、人気のない場所で会って話す事しかできなかった。

 ただ助けてくれる気持ちは素直にありがたいと輝瑠は感謝していた。


「別にいいですよ。俺、気にしていませんし」


「気にしてなくても、無意識に輝瑠君の心は少しずつ傷を負ってるでしょ? だからもし辛いことがあればお姉さんの胸貸してあげるからね?」


「・・・・・・揉んでいいんですか?」


 しんみりした空気を吹き飛ばすように悪ノリする輝瑠。

 しかし、少しだけ本音も混じっている。

 朱璃の着ているウェイトレス服は、I字ラインの谷間が見えるデザインとなっている。輝瑠の視線は自然と、朱璃の胸元へ吸い寄せられ、ごくりと生唾を呑む。


「そ、そういう意味じゃないよ!」


 茶化された朱璃は腕で胸を隠し、顔を真っ赤に染めて、羞恥心を感じながらも非難の目を向ける。


「朱璃さんって彼氏いるんですか?」


「唐突になに? もしかして近々お姉さんに告白する予定があるの?」


 未だに頬は赤いが、朱璃もお返ししようとからかい口調で反撃に出る。


「何となく聞いてみたけど、その感じは彼氏いなさそうですね」


 もし彼氏がいたら、朱璃の豊満な胸を揉める特権が貰えるのだ。勿論、本人からの許可は必要だけど、恋人同士なら朱璃の許可次第で揉める。そう考えると少し羨ましく思う輝瑠。まあ、彼氏はいないけど。


「なによー! もっと照れたり、慌てる輝瑠君の姿が見たかったのに! 何か反応してよね!」


 頬を膨らませて可愛く怒る朱璃。何だか微笑ましく思う輝瑠である。

 他の所なら反応しているとは、流石に言えないだろう。


「そう言う輝瑠君には好きな人いないの?」


「いないですね。このままだと灰色の青春のまま高校生活を終えてしまいますよ」


「それは私に対する当てつけ? どうせ私の高校生活は灰色でしたよ」


「多くの男子から告白してきたじゃないですか。誰か一人くらい気になる人いなかったんですか?」


「残念ながらいなかったかな。ほとんどの人が本気じゃなかったし、それに・・・・・・気になる人がいたから」


「え? それ初耳です。告白しなかったんですか?」


「そうだね。私からは・・・・・・」


 朱璃が一瞬、悲しげな顔をしてから、すぐに少し怒った表情へと変わる。そして輝瑠へ八つ当たりするよう額にデコピンする。「いたっ」と口に出して、輝瑠は非難する。


「なぜデコピンされたのか意味が分からないんですが?」


「輝瑠君が悪いのだからね」


 一体輝瑠は何をしたのか聞き返そうとした途端、ちょうど店のドアが開いて鈴の音が響いた。


「「いらっしゃいませ」」


 二人は雑談をやめてすぐに意識を切り替える。

 輝瑠はお客さんに席を案内し、水を運ぶ。すぐにお客さんからの注文をハンディに入力し、厨房へ注文内容を送信した。

 少しして新たにお客さんが入ってきた。3人の女子高生がテーブル席へ朱璃が案内し、注文を取る。

 輝瑠はしばらく待機していると、先程の女子高生達から話し声が聞こえてきた。


「ねぇねぇ、月花げっかの曲聴いてる?」


「最近活動復帰した歌手だっけ? うち聴いたことないけど」


「えー!? 良い曲ばっかだから聴いてみてよ!」


「めっちゃ良い曲だよねー!」


「そんなに良いんだ。ちょっと聴いてみようかな」


「活動復帰と同時に新曲も発表するって噂だし」


「それホント楽しみー」


 最近活動復帰してから話題が再燃した歌手の月花。女子高生の会話から月花の話を聞かない日がない。

 女子高生達がテンション高く、会話しているのを耳にしながら、月花とは誰だったかと思い出そうとする。


「ああ、確か桃音の好きな歌手の名だったかな」


 小声でぽつりと口にして、ようやく合点がいった。

 それからあまり暇が無く動き回って、数時間が経った頃には客足も途絶え、暇な時間がやってくる。先に輝瑠がぼーっと突っ立っていると、一段落した朱璃が近づいてきた。


「輝瑠君お疲れ!」


「時間までまだありますけど、もうあがっていいんですか?」


「そういうことじゃ無いの! そんなだから輝瑠君に彼女が出来ないのよ?」


 朱璃からの注意に、輝瑠は一応気をつけようと軽く返事をする。

 ふと輝瑠が朱璃に一瞥すると、距離感の近さに内心ドギマギする。腕が触れそうな僅か数センチの距離。朱璃から甘い匂いが漂って鼻孔が刺激され、心臓の鼓動がドクンっと跳ねる。

 こうして朱璃が無意識に距離感を詰めて、話しかけてくるのは一年前から変わらない。男女関係なく優しい性格で、物怖じせず誰とでも話しかけ、すぐに打ち解けて仲良くなる。それは彼女の長所ではある。しかし、その距離感の近さに、男子のほとんどが、自分に気が合うと勘違いし、告白しようとする。そして、断られる。

 それが高校生の時、朱璃が人気だった理由。

 輝瑠はそれを理解していても、こうした距離感の近さに何か期待してしまう自分がいる。

 輝瑠は勘違いしないよう気持ちを落ち着かせ、さりげなく距離を取って無心になる。


「さっきの学生達、月花の話してたよね?」


「なんか最近その名前聞きますね。有名人なんですか?」


「え!? 輝瑠君月花知らないの!?」


 有名人に疎い輝瑠だが、月花の名前くらいは聞いたことはある。桃音がファンであることも。しかし、それ以上のことは何も知らない。


「二年前から女子高生の間で有名だったのよ? 半年前から活動は控えていたけど、それでも結構人気あったの。最近になってから活動再開して、それがきっかけでニュースにも取り上げられて、新規のファンが増え続けているって話。それなのに月花を知らないって珍しいよ?」


「名前だけなら桃音から聞いてました。実際ファンの一人みたいだし」


「それなら桃音ちゃんから布教されなかった?」


 そう問われて振り返ってみると、桃音からおすすめされ、曲を聴かされたことを思い出す。

 その時、輝瑠は良い曲だったことは朧気だが覚えていた。ただもうどんな曲だったか、忘却の彼方である。当時はそんなに音楽に興味がなかったんだろう。


「なんかおすすめされたような気がする」


「その様子だと輝瑠君は全く興味なかったみたいね。だから桃音ちゃん諦めたんだね。それなら月花の布教は私が引き継ぐよ! というわけで輝瑠君!」


 目を輝かせて朱璃が月花についての魅力を話し始めた。

 当時よりは少しだけ興味もあって、少し話を聞いてみるかと輝瑠は思った。

 月花の魅力。

 それは誰もが聞き惚れる歌声と若い女性が共感する歌詞。様々な種類の曲調があり、ミステリアスな雰囲気からポップアップな曲まで多種多様な曲がある。

 一度聴いてしまうと、ほとんどの人が深みにはまり、気付いた頃には全てのCDを揃えているとか。それほど月花は魅力的な歌声で、何回聴いても飽きない。

 今や女子高生だけではなく、社会人から高齢者まで老若男女、彼女の歌声に虜となっている。

 そんな月花だが、テレビやネットなど取り上げていることは多々あるけど、人前に顔を出すことがないため、未だに月花がどんな人なのか知られていない。

 朱璃から長々と月花について語っていたため、そろそろバイト終わりの時間が迫っていた。

 話している間、幸いなことに店にはお客さんは来なかった。


「朱璃さん、そろそろ片付けませんか?」


「え?! もうそんな時間!?」


 一旦、朱璃は話を中断し、二人で片づけ始める。

 その後、二人はバイトを上がって更衣室へ向かう。数分で着替え終えた輝瑠は更衣室から出ると、既に着替え終えている朱璃が待っていた。

 その速さに驚く輝瑠を余所に朱璃はまだ話足りないのか、月花の話を続けた。

 少し時間が経過して。


「というわけで、輝瑠君にはぜひ月花の曲を絶対に聞くこと! まずはデビュー曲から順番に聴くように!」


「・・・・・・わかりました、そこまで熱く語られたら聴いてみますよ」


 少し疲れた顔をする輝瑠である。

 カフェから出て途中まで朱璃と帰路に着いて、ふと輝瑠は月花について疑問に思ったことを口にする。


「そういえば月花が活動を控えていた理由ってなんですか?」


「あーそれね。色んな噂が飛び交っているけど・・・・・・。これはあくまで私の推測だけど、月花っておそらく中学生なのかなって思ってるの。声は大人びた感じの印象があるけれど、どこか幼さもあるような感じもして。それで、活動控えていたのは、高校受験があったからじゃないかなって思ってさ。もしかすると今年で高校生になるんじゃないかな? 活動復帰したのも時期的に辻褄が合いそうだし」


 朱璃の推測は輝瑠も納得出来そうな理由である。高校受験が終わって、高校生になり心機一転に新曲を出そうと思ったのだろうか。


「高校生か・・・・・・。その月花がどこかの高校にいるってことなのか」


「あくまで推測だよ?」


 朱璃とは別れ道まで月花の話が続いた。

 帰宅したら桃音に月花のCDを借りようと思う輝瑠だった。

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