第5話 夢の少女との出会い
昇降口に向かった輝瑠は靴へと履き替えた。もうすでに生徒の姿は見当たらない。今頃新しくできた友達と親睦を深めているのだろう。
労働を終えて疲労した輝瑠はどこか寄り道する気力も残っておらず、早々に帰宅する事にした。
校門が見えてきたところで、視線を上げた輝瑠は女子生徒の後ろ姿が目に映る。
佇立したまま、誰かを待っているような様子。女子にしては平均より背が高い。輝瑠の印象では女子生徒の事を上級生だと思った。
学校にはほとんど生徒は残っていないだろう。誰かを待っているのか、それとも別の理由があるのか。どちらにせよ輝瑠には関係無いこと。
一刻も早く帰宅したい気持ちで、女子生徒の横をさっさと通り過ぎようと足を早めた。
横を通った際、輝瑠はチラリと一瞥する。
黒縁メガネをかけて、髪はお下げにした地味な印象。ただ顔をよく観察すれば、端正な顔立ちをしている。ワザと地味な格好をして目立たないようにしているのか。
ふと輝瑠はその女子生徒に既視感を覚えた。どこかで出会ったような気がして、もやっとした気持ちになる。
そんな瞬きするような瞬刻、女子生徒は横を通り過ぎる輝瑠に気づいて視線が向く。
お互いの視線が重なるとき。
「あ!」
声を上げる女子生徒。
思わず立ち止まる輝瑠。何か失礼な事をしてしまったのか数秒前の記憶を遡るが、当然輝瑠は一瞥しただけで何もアクションを起こしていない。
なぜ輝瑠に視線を向けた瞬間に声を上げられたのか、その意味がわからず疑問符を浮かべる。
すると女子生徒は徐々に頬を赤く染めて、輝瑠を睨み付けた。ますます理解不能。
彼女とはこれが初対面で、睨まれるような事は当然何もしていない。
もしかしてズボンのチャックが開いたままだったから、それに気付いて頬を赤くしているのかと思った。輝瑠は自分のズボンへ視線を下げるも、チャックは開いていない。他に心当たりはない。
「あの、俺に何か用が?」
「やっぱり、あなたあの時の・・・・・・。ーーっ!? あ、あのことは覚えていないでしょうね?」
「・・・・・・? あのこと?」
女子生徒の言う『あのこと』に当然輝瑠は知らない。彼女は輝瑠と会ったことがあるような口振りしているが、対して輝瑠は彼女に見覚えはない。ないのだが・・・・・・違和感がある。彼女の声を最近どこかで聞き覚えがあった。
「忘れてる・・・・・・? そうよね・・・・・・アレは夢だし、当然覚えているはずもないわよね。同じ夢を見るなんて非現実的だし・・・・・・。それにこれじゃああたしが頭おかしい子だと思われる」
輝瑠の耳に『夢』というワードが届いた。
そのキーワードで想起したのが、突然服を脱ぎだして、全裸で歌う少女の予兆夢。
輝瑠は改めて女子生徒の姿を確認する。
パッと見、地味な印象ではあるが、端正な顔立ちとモデルのようなスタイル、身長が高いこともあり脚が長く、肌は白く綺麗である。
似ていると思った。
しかし、遠目から確認しただけで、視線が顔から下へ注がれてどんな顔をしていたか覚えていなかった。
他人の空似という可能性もある。こんな都合良く出会うはずがないと輝瑠は否定する。
「えっと、先輩は俺とどこかで会ったことあるんですか?」
「先輩? あたし入学してきたばかりだから、先輩はあなたの方では?」
「え? そう・・・・・・なんですか?」
上級生だと思っていた女子生徒が、まさかの下級生だった。
とはいえ、彼女の制服には皺一つなく、リボンの色は高校一年だとわかる緑色。それらの情報ですぐに推測できただろう。
しかし、年下だと知ってもなお敬語なのは、彼女が大人っぽく、落ち着いた雰囲気を纏っているせいでもある。
「・・・・・・」
驚く輝瑠に女子生徒が近づいて、探るような目でじーっと穴が開くほど視線が突き刺さる。
彼女の顔が目の前に、ふわりとフローラルな香りが漂って、鼻孔を刺激される。
まつげは長く揃えられ、何か言いたげな唇は柔らかそうに揺れている。黒縁メガネにお下げと地味な印象があっても、間近で見れば彼女が美人だということが再確認できる。そんな美人に見つめられると、輝瑠は緊張で居心地が悪く、視線が泳ぐ。
「えっと・・・・・・」
困惑する輝瑠。
しばらくして女子生徒が離れ、輝瑠は密かに安堵した。
「突然声を掛けてしまって、ごめんなさい。ちょっと知り合いに似ていたから騒がしくしてしまいました」
「そ、そうか」
態度を一変し、女子生徒が頭を下げて謝罪の言葉を告げる。会話が終了し、これ以上言葉を続けることは無かった。
奇妙な出会いだった。
この出会いをきっかけに、彼女とラブコメのような物語に発展するのではと、ふと輝瑠は想像した。
そんなあり得ない未来の物語が起こるはずがないと、輝瑠は頭を振ってその場から立ち去ろうとする。
しかし、輝瑠はすぐに足を止めた。
今までに感じていた既視感。
突然声を掛けてきた女子生徒の姿と予兆夢で見た少女の姿を朧気だが思いだし、二人の姿が重なる。
胸中をモヤモヤと蟠っていた事が、突然解消されたのだ。
本当は既に気付いていたかもしれない。どちらもスタイルがよく、印象が強かったが、決定的なのが声。
あの歌声に惚れていた輝瑠が強く記憶に残り、忘れるはずもないだろう。
「やっぱり、夢で見た全裸の女の子だよな」
輝瑠は無意識に、ぼそりと呟いた。
そんな小さな声が、女子生徒の耳に入ると、去ろうとする輝瑠の手首をガッと掴んだ。逃がさないよう強く握り締められる。
驚く輝瑠が振り返ると、顔を真っ赤に染め、目を吊り上げた鋭い眼光をして、殺意が混じった凄い剣幕で輝瑠を睨んだ。たじろぐ輝瑠。
「あなたやっぱり覚えていたのね!? 今すぐその記憶を消しなさい! でなければあたしが消してあげる! ちょうどそこに壁があるから壁の前に立ちなさい!」
壁の前に立たされて、一体何をするのか。何となく想像ができて、輝瑠はゾッとした。
「ま、待て落ち着け! 別に誰にも言うつもりはないし、そもそも夢の話だろ? 実際に見たワケじゃないからそこまで気にする必要はないと思うんだが」
「現実も夢も一緒よ! あんなのを見られて、あなたの記憶に残っているなんて耐えられないわ!? だから大人しくあたしにその記憶を消させなさい!」
「あの焼き付いた記憶を消すのは惜しいというかーーっうお!?」
視界の端で女子生徒の蹴りが輝瑠の膝裏を狙ってくるのが見えた。それに気付いた輝瑠は咄嗟に避ける。蹴りは虚しく空を切り、悔しげな顔で歯噛みし、再び輝瑠をキッと睨み付ける。
「どうして避けるのよ!?」
「避けないと傷害事件が起こるでしょ! 暴力で解決は良くない。ここは平和的な会話で解決していかないか?」
「あなたの記憶に残っている限り、平和的な解決は不可能よ。諦めて記憶が無くなるまで殴らせなさいよ」
拳を握り締め、殴るき満々の様子。
どこまで行ってもお互いの意見は平行線のまま。どちらかが折れなければ、この話は終わりがないだろう。ただ輝瑠が折れてしまった場合は、傷害事件が起こりかねない。どうにかして彼女の方から折れて貰わなきゃ輝瑠が困る。
「殴る以外の解決策はーー」
「ないわよ。あなたの記憶を消すのは決定事項なの。大人しくその頭を差し出しなさいよ」
輝瑠の言葉を最後まで聞かずに即答である。
どうしたら諦めてくれるか考え、輝瑠は財布を取り出した。
「な、なら・・・・・・金で解決してくれるなら」
財布の中は諭吉が一枚しか入ってなかった。
輝瑠はアルバイトをしているが、貴重な諭吉を渡せば給料日まで無一文になる。
震えた手で諭吉を掴み、僅かに葛藤する。しかし、自分の身を考えた末、取り出して彼女に差し出す。
「ちょっと、それじゃああたしが何かいかがわしい事してるみたいじゃない!?」
「これくらいしか解決方法が見つからなくてだな・・・・・・」
女子生徒は困っている輝瑠を見た後、自分が冷静じゃなかったことに気付いて、一度落ち着いてから改めて夢の事を思い返した。
「はぁ・・・・・・そもそも、どうしてあたしの夢なのに、あなたも同じ夢を見ていたの? 冷静に考えると、それっておかしくない?」
普通に考えたら、同じ夢を見る事はあり得ない。
その根本的な問題に女子生徒が口にしてようやく話が進む。
「まあ、そうだな」
しかし、既に輝瑠は彼女の言う不思議な夢を体験していた。大して驚きもなく、話を合わせるため肯定した。
そんな輝瑠の様子に女子生徒は少し怪訝な顔をして、ふとまだ名前を聞いてなかった事に気付く。
「そういえば、あなたの名前は?」
「田中だけど」
咄嗟に口に出たのは、生徒会長に名乗った適当な名前である。
名前を知られたらきっと弱みを握られると思った輝瑠はそのまま偽名でこの場をやり過ごそうとするが。
「・・・・・・それは本当かしら?」
「まあ田中なんてありふれた名前だしな」
「それで名前は?」
にっこりと笑みを浮かべる女子生徒だが、その目は笑ってなかった。
その様子から何をされるか分からない恐怖に耐えられず、観念して名乗った。
「愛瀬輝瑠」
「そう。愛瀬先輩って言えばいいのかしら?」
「先輩・・・・・・」
その呼び方は、今日から高校二年になる事を忘れていた輝瑠に、後輩ができることになる。部活に所属していない輝瑠にとって縁が無い事だと思っていた。
こうして後輩に『先輩』と呼ばれて、後輩の存在に実感し、輝瑠は少しニヤけてしまう。
「先輩・・・・・・ニヤニヤしてキモいんだけど? それともあたしの・・・・・・っ、やっぱり記憶を消しましょう」
「いやいや待て!? これは君の全裸姿を想像したワケではない!」
「ちょっと!? 余計なこと言わないでよ!?」
声のボリュームが上がって、否定する輝瑠の言葉に、冷静さを欠いた女子生徒。幸い周囲には人もいないので、誰かに聞かれる心配はなかった。
それから二人は一度クールダウンし、落ち着いてから輝瑠から口を開く。
「俺も名乗ったんだから君の名前も聞いてもいいか?」
「・・・・・・あたしの名前を聞き出して、更に弱みでも握ろうって魂胆?」
「別にそんな事はしないんだけど・・・・・・。俺ってそんな人に見えるのか?」
「人の弱みを握って置いて、更に勝手に変な想像してニヤけてる人なんて信用出来ないわよ」
まだ根に持っていた。
輝瑠はどうしたらいいか困っていると、女子生徒が溜め息を吐いて。
「・・・・・・あたしの名前、鳴野華月よ」
ようやくお互いの名前を知ったところで、華月は夢の事について話を続ける。
「話を戻すけれど、あたしと同じ夢を先輩も見ていた。これって普通に考えておかしいわよね?」
「まあ普通に考えればおかしいだろうな」
一般的な回答を口にする輝瑠に対して、華月は眉をひそめた。
「その物言いは引っ掛かるのだけれど?」
「一般的に考えたら同じ夢を見るのはおかしい。だけど俺にとって初めての経験ってワケじゃないから」
「初めてではない・・・・・・?」
「その同じ夢を見る不思議な現象。俺は予兆夢って呼んでるんだけど、その予兆夢を見ている夢の主が、俺に見せようとするんだ」
「それってあたしが、先輩にあたしの夢を見せてるって事? どうして?」
「それは俺にも分からない」
輝瑠にも予兆夢を見せられる理由は知らない。
そして今回、初対面の相手に予兆夢を見せられたのが初めてだった。
本来予兆夢とは夢の主が何かに悩み、誰かの助けを必要として、無意識に第三者の人間に夢を見せる不思議な現象。今までの例だと、夢の主は輝瑠の知り合いが登場していた。そのため、身近な人間として無意識に輝瑠へ助けを求め、夢を見せていた。
しかし、今回は華月とは初対面である。そんな初めてのケースに輝瑠は戸惑っていた。
初対面なら出会うはずもないし、輝瑠からアクションを起こせない。何もできないなら放って置く選択肢を選ぶはずだった。
しかし、何の因果か、こうして偶然出会ってしまった。いや、もしかするとこの出会いは必然ではないのだろうかと思えてくる。
「あたしが先輩に夢を・・・・・・。迷惑な話だわ」
「鳴野が何か悩んでなければ、何も起こらずに済んでた」
「・・・・・・」
悩みという言葉に、華月の目元が僅かにぴくっと動いた。そんな些細な動きを輝瑠は見逃さなかった。
「実際、何かに悩んでるんじゃないのか?」
華月から返事はなく、輝瑠を冷たい眼差しで一瞥する。彼女は無表情のまま、何かを考え事をしていると、一言「ないわ」と冷酷に答えた。
これ以上踏み込んで欲しくない意志表示が強く、華月の悩みを聞くには親密度が足りない。
どんなに言葉を掛けようが、華月が悩みを打ち合えkル事はないだろう。輝瑠は一度引き下がることにした。
話題を変えようとコミュ力不足の輝瑠が、華月の姿を見て気になることを口にした。
「夢の時は髪結ってなくて、眼鏡掛けてなかったよな? なぜそんな地味っぽい格好なんだ?」
「別にあたしがどんな格好しても先輩には関係ないでしょ」
「まあ、そうだが・・・・・・。ただ勿体ないというか」
ぼそっと言葉が漏れた。
華月の容姿はかなりレベルが高い。眼鏡をコンタクトレンズに変えて、お下げの髪をストレートにすれば、学校で一躍有名な美少女として瞬く間に噂が広がるだろう。
きっと男子生徒からモテて、告白する人続出する。
「なにそれ。もしかしてあたしナンパされてるの?」
「俺にそんな勇気無いし、女子から見たら俺はなしよりのなしらしいからな」
「確かに先輩ってそんな感じね」
「・・・・・・マジで?」
どうやら桃音の評価は正しかったようだ。輝瑠は軽く落ち込む。
「もっと積極的で、チャラチャラしたら少しはマシになるんじゃないの。女子ってそういう人に惹かれる事が多いし。あたしには理解できないけどね」
「こう見えてもプラトニックな恋愛をする主義なんだ」
「先輩からそんな言葉聞くと違和感しかないんだけど・・・・・・。それに今時プラトニックな恋愛なんて希有でしょ?」
「希少価値はあるだろ? それに俺はピュアな心を持つ乙女だからな」
「どうせあたしの事想像して、最低な事してるんでしょ。何がピュアな心よ」
「それは心外だな・・・・・・。別に疚しいことは何もしてないからな?」
「あたしの裸見てどう思ったの?」
「あの揉み心地良さそうなおっぱいに興奮した」
輝瑠は思わずぽろっと本音が漏れてしまう。
「何がピュアで乙女よ。邪心塗れで最低じゃない。本当最低」
身の危険を感じた華月は一歩引いて、胸を両手で自らを抱くように隠すと、蔑んだ視線を輝瑠へ冷たく突き刺す。
「じょ、冗談はさておき」
「本音だったわよ。視線もあたしの胸をチラチラ見てたし。やっぱりその記憶を消してあげるから、大人しくしてもらえる?」
ニッコリとした笑み。当然目は笑っていない。
再び危機感を覚える輝瑠は、恐怖で後ずさる。
「そ、それは許してもらえたのでは?」
「あたしがいつ許すと言ったの? 言ってないわよね? 勝手に自分の都合がいいように記憶を改竄しないでくれる? あたしはすぐにでもあなたの記憶を消したいの。殴られて記憶を消されるか、壁に叩きつけられて記憶を消されるか、選ばせてあげるわ」
一方の選択肢が殺人的で、逆に輝瑠が引いてしまうほどだった。
「どちらも勘弁してくれ・・・・・・」
「はぁ・・・・・・。そうね、あたしも夢だからってあんな事をしてしまったのは不注意だったわ。もうこれ以上、思い出さない事を約束して。それからーーあたしに関わらないで」
拒絶の言葉。
それに返事はせず、輝瑠は沈黙する。
華月が関わらないよう言ったところで、華月の悩みが解決しない限り、これからも同じ夢を見せ続けられる。それに予兆夢はこれから、あり得ない非日常が起こり、華月に重大な選択肢を迫られ、最悪な選択をすれば一生後悔する羽目になる。
今までの輝瑠であれば、放っておいただろうが、過去の事を想起すれば、華月を見捨てる選択肢はなかった。
「何か困ってるんなら、助けになるよ」
「そう」
華月は冷たく返事をした。
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