第4話 彼の名は田中(偽名)
これから2年A組の担任教師となる
「そんじゃー今日はここまでだ。学校に遅くまで残るんじゃ無いぞ。それとくれぐれも私のクラスでは問題を起こすなよ」
授業も無く、高校二年の授業体制についてや業務連絡の話だけで午前中が終わる。雪美が颯爽と教室を出て行くと、すぐに教室内はざわつき始めた。誰かがカラオケへ行こうと声を上げる。輝瑠は横目で声の主へ向けると、5人以上の陽キャグループがテンション高くはしゃいでいた。その中には蓮太の姿もある。今日は部活も無いから、カラオケに行くのだろう。
周囲を見渡すと他のグループもどこかへ遊びに行く相談をしていた。クラス替えをしたら連んでいた友達と離れ、すぐにグループが形成できないはずだと輝瑠は思っていた。しかし、高校一年の時に別クラスの友達もいたのか、もうほとんどグループが出来上がっている。
「早くないか・・・・・・?」
思わず口に出すと、隣に座る女子に怪訝な顔をされた。
誰かに話しかけられる気配も無く、輝瑠は高校二年もクラスで孤立することが決定されただろう。
この後、予定も無く真っ直ぐ帰宅する輝瑠にとって、誰かとどこかへ行く予定はない。教室に残る理由もないし、輝瑠は早々に教室を出た瞬間、誰かに手首をガッと掴まれた。文句を言う前に蹌踉めいて転びそうになる。しかし、誰かに支えられて転倒は免れた。
ほのかに甘い香りが鼻孔をくすぐる。
一体誰の仕業だと心の中で悪態を吐くが、輝瑠の中では心当たりは一人しかいないと確信する。
顔を上げると、茶色がかったロングストレートに整った美人顔。クールさが際立ち、スーツ姿に良くマッチしている。相手の事を知っていても、彼女に支えられ、距離感の近さに輝瑠の胸が一瞬高鳴るのを感じた。
さっき教室を去ったばかりの2年A組の担任教師ーー倉知雪美。
彼女とは高校一年の時、輝瑠の元クラスの担任を務めていた。だから顔見知りと言えるだろうが、実を言うとその前から輝瑠は雪美を知っていた。
二人の関係性は従姉弟にあたり、輝瑠にとっては姉のような存在。当時はまさか輝瑠の通う高校に勤めているとは思いも寄らなかった。
「愛瀬は私と少し付き合って貰うぞ」
先ほど感じたクールさはどこかへ消失し、あどけない笑みを浮かべるが、輝瑠にはそれが悪魔の顔に見えた。
嫌な予感を抱き、せめてもの抵抗をみせようと口が開く。
「告白ですか?」
「こんな美人に告白されて嬉しいだろ?」
「そんな美人に彼氏はいないんですか?」
「私クラスであれば、付き合いたい男性は数多くいるさ。ただ私に見合った男性がいなくてな」
「年収ばかり追い求めて、最終的には婚期が逃げていくんですよ。いい加減先生も理想ばかり追いかけず現実を見て早く相手見つけないと婚期がーーいてっ!」
額に強い衝撃が襲った。
雪美にデコピンされたと理解し、非難の目を向けると物凄い形相で睨まれた。
「それを口にしたら今度は・・・・・・殴る」
ぐっと拳を握る雪美に恐怖する輝瑠は余計なことを口走らないよう注意した。
「そ、それ体罰ですよね?」
「愛情だ。輝瑠にしかしない」
「そんな愛情はいらないんですが・・・・・・」
「特別感あっていいだろ? こんな美人に構ってもらえて得した気分になるだろ? 特に輝瑠には必要な行為だと思ってる」
「ご遠慮したいんですけど? いくら身内でも贔屓目はよくないです・・・・・・」
雪美は高校一年の時からことある事に、顔見知りの輝瑠に遠慮なしに雑用を押し付けてきた。こうして呼び止められたのも、当然雑用をさせるためである。
「私は輝瑠がちゃんと学生生活を送ってるのか、これでも心配してんだ。それに上級生を半殺しした問題児を気に掛けるのは当然だろ?」
最初、真面目な顔で輝瑠を気に掛けて、優しい笑みを浮かべた。だがそれも一瞬でからかうような顔をする。
「俺が問題児に見えますか?」
「輝瑠が上級生を半殺しとか、ウケるよ。こんな優しく気遣いある生徒はめったにいないぞ。有象無象の見る目はないな」
「有象無象って・・・・・・、教師が言うセリフじゃないぞ」
「とにかく、無駄話なんてせず来い」
雪美も無駄話につき合ってたなんて事は口にせず、渋々あとを付いていく。
雪美と付き合う男性はきっと尻に敷かれるんだろうなと思う輝瑠。
しばらく雪美についていくと、向かった先は体育館だった。
綺麗に並べられていただろうパイプ椅子は、少しズレていた。それを何人かの生徒が片付けをしている。
ここで午前中、入学式が行われて今はその片付けをしているのだろう。
「どうしてこんな所に連れて来られたんですか?」
何をさせられるか察しているが、敢えて分からないフリをすると雪美はニヒルな笑みを浮かべるのみ。
要は輝瑠が察していることをしろと言う訳だ。もう一度抵抗を試みようと惚けたフリをしようと考えていると。
「あとは頼んだぞ」
ぽんっと肩を叩き、何も説明されないまま雪美は体育館を去っていった。
「いや、何を頼まれたんだよ」
周囲の状況から何人かの生徒達がパイプ椅子を片付ける。何を頼まれたのか輝瑠は理解している。
雪美は状況から察して自ら動けとの事だろう。
指示がないと動けないワケではないが、雪美がこの場にいなければ、帰るという選択肢もある。何を頼まれたのか言葉にされなかった事もあり、分かりませんから帰りましたと言えば・・・・・・。
「・・・・・・」
帰る言い訳を探すが、雪美とは付き合いも長いから当然言い訳は効かない。
それに後が怖いと思った輝瑠は仕方なく近くのパイプ椅子を次々と折り畳んで、片付ける事にした。
まとめたパイプ椅子を4つ運んでいると、見知らぬ女子生徒が近づいてきた。怪訝な顔をされて、思わず勝手に片付けてはダメだったのかと思ったが。
「えっと、もしかして倉知先生が言ってた助っ人?」
どうやら輝瑠が手伝うことは伝えられていたようだ。自分の知らない所で勝手に決められて、不満はあるが、いつもの事である。
輝瑠は内心溜め息を吐く。次会ったときに強く抗議しようと決意を固めるが、恐らく無意味だろうと諦念する。
「多分、助っ人だと思います」
声を掛けていた女子生徒は輝瑠が助っ人だと知ると、にこっと笑みを零し、「男の子が手伝ってくれて助かるよ」と手を合わせて言った。その誰もが惚れそうな眩しい笑顔に、輝瑠はしばらく時間が止まった。
そんな輝瑠に小首を傾げると。
「えっと、どうしたの?」
「いや・・・・・・モテるんだろうなーって思って」
「私がっ!? そ、そんな事ないよ!?」
手をぶんぶん振って必死に否定する。
その後、彼女は生徒会長だと知り、驚いた輝瑠。今までどんな人が生徒会長を勤めていたのか輝瑠は全く知らなかった。たまに集会で生徒会長からの言葉を聞く機会は何度かあったが、輝瑠は話を聞いておらず、殆ど居眠りをしていたのが原因だろう。
生徒会長は少しふわっとした雰囲気で、話しかけやすく誰とでもすぐに打ち解けるような印象を受けた。
思春期な男子高校生なら生徒会長に話しかけられただけで、絶対に好きになるだろう。
それにしても輝瑠の噂を知ってか知らずか、普通に声を掛けて折り畳んだパイプ椅子をどこに運ぶのか教えてくれた。
生徒会長ならすぐに情報は伝わるだろうし、輝瑠の噂を知らない事はないはずだ。
本当に噂を知らないのか、それとも気にしていないのか。どっちにしろ輝瑠にとってはどうでもいいことである。
それから黙々とパイプ椅子を片付けてしばらく。
ようやく全て片づけ終わり、再び生徒会長が近づいてきてお礼を言ってきた。
「ありがとねー。助かっちゃったよ」
「いえ、暇だったんで」
雪美に無理矢理連れてこられたとはいえ、本当は帰りたかったとは生徒会長の前では言えなかった。
それに美人な生徒会長と話せた事で得したと、輝瑠はポジティブに捉える事にした。
「それじゃ、先に失礼します」
「あ、名前。教えてもらっていい?」
去ろうとした輝瑠に駆け寄って、名前を尋ねてきた。生徒会長に名前を知られたらまずいことにならないかと考えたが、それはあり得ないだろうと否定する。
しかし、口が勝手に。
「田中です」
そう口を滑らせた。
別に名前を知られても悪用はされないだろうが、万が一生徒会長特権で面倒事を押しつけられたらと考えた。
まあ、生徒会長がそんなことをする性格では無いことは明白だ。
「田中君? うん、覚えた。田中君ありがとね!」
再びお礼を言う生徒会長。
少し罪悪感を覚えたが、名前は訂正せずに輝瑠は体育館を去った。
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