3-3 猫の好奇心は誰を殺すかわからない。

 この探偵事務所には殺人にまつわる依頼がよく舞い込む。


 被害者が行方不明で、死体もなく、その死が観測できない事件があった。


 容疑者のアリバイがあまりにも完璧すぎて、その殺害が立証できない事件があった。


 けれど、今回の事件はどうにも、それらとは事情がまったくことなるようだ。


「……さすがに『猫に殺された』という感じじゃないですけど、ありましたね」


 僕が閲覧しているのは、近場……とはいえ徒歩にして十分から二十分ほどの距離にあるであろう住宅街で起こった事故の記事だった。


 少し古いが、ネットニュースで小さく取り上げられているそれは、なんとなく見覚えがある気がする。

 ……いや、たしかに見ていたはずだ。

 なにせここ最近の僕はといえば、魔女の探偵事務所存続のためのチャンスを探る身であり、できる範囲で依頼につながりそうな事件などを探していたのだ。


 猫探し、素行調査。そういうものが来るというのは、期待はしていても、あきらめてもいた。

 なにせ『魔女の探偵事務所』だ。

 まともな依頼など来るはずもなく、ここに来る依頼人があるとすれば、それは、まともな探偵事務所ではどうにもならない厄介な思惑のある人に他ならない。


 だからなるべく救われない人が出ていそうな事件に目を光らせていた僕は、たしかにこの事故についても、閲覧はしていたはずなのだが……


「……ああ、ああ、そうだ。高層マンションからの飛び降り自殺がセンセーショナルだっただけで、詳しい事情までは載ってなかったんだ」


 人が飛び降りて死にました。以上。


 ネットニュースにはその程度の情報しかなかった。

 あとはせいぜい被害者の氏名と年齢と性別、そして職業があるぐらいだろう。


 僕に探偵としての素養があれば、その程度の情報からでもなにかを読み解いてみせるのだろうが……

 あいにくと、僕はそもそも探偵助手だし、あの魔女探偵も、僕の探偵としての才覚をかって助手に据えたわけではないのだ。


「……ともあれ、実際にあったこの事件……事故の容疑者が、あなたのご友人……ご友猫ゆうねこ? だと?」


「君は『人格』という言葉を人間にしか用いないと思っているタイプかね?」


 スマホを見る僕の前でまるまっていた猫は、『やれやれ』とか『仕方ないやつだ』とかの、人間であれば肩でもすくめて冷笑していそうな声音で述べる。


「君、人間の君。君たちはしばしば『もっとも知的で、地球で唯一といえるほど高度な精神活動が可能で、自我のはっきりした存在』という意味で『人』という言葉を使うがね、その意味で述べるならば、猫こそが人だというのは、愚かにもこの世界で最上の知的生物を標榜する人間の多くが知らぬ真実なのだよ」


「はあ、その、つまり?」


「猫を指して『友人』だの『人格』だのという表現を扱うことには、なんの問題もないということだ。もっとも、それで猫を人間のように扱われても困るがね」


「えーっと……」


 猫の物言いは、いちいちもったいぶりすぎて、なんの話をしていたか忘却してしまう。

 そうだ。


「……それで、この飛び降り事故の容疑者が、あなたのご友人だという認識は、正しいのですか?」


「そうだね。だが、細かく述べるならば、飛び降りは事故ではなく事件だね。なにせ、犯人がいるのだから」


「その話なんですが……猫が、人を突き落としたんですか?」


「不可能だと思うのかね?」


 理屈として可能かどうか、という話であれば、まったくの不可能とは思わない。

 たとえば、人間がふとベランダの手すりから身を乗り出したタイミングで、猫が不意をつくように背中に体当たりでもすれば、バランスを崩して落ちることもありうるだろう。


 または人間がベランダ側に踏み出したタイミングで、足を次に置く場所に身を躍らせれば、踏まないようにした人間がバランスを崩してベランダの手すりをのりこえて落下……ということも、なくはないだろう。


 だが、それらは、かなりタイミングを選ぶというのか……

 長いこと一緒にいて、そのあいだずっと殺害のタイミングをうかがって、ようやく訪れた機会を逃さないように俊敏に行動しないと、成功しない。


 というか、目論見通り体当たりをしたし、足元に躍り込んだとして、成功確率はかなり低いように思える。


 もしもこれが『首筋に噛みつかれて出血多量で死亡した』などであれば、猫の犯行とわかりやすい。

 というか、僕が気になるのはそこだ。


「猫の身であれば、落下死を狙うより、もっと簡単に殺害を狙う方法はあったと思います。それとも、その……猫が、いかにも猫らしくない殺害方法をとることで、猫の犯行ではないと偽装する目的があったと?」


 アリバイ工作、というのだろうか。

 それは殺人を犯す者がほぼ必ず行うことだ。

 ……もちろんそれは、創作物での話であり、実際にニュースになるような事件において、アリバイ工作をしましたなどと報道されることは、まずない。


 そして創作物でアリバイ工作を行う者は、たいてい、罪から逃れることを目的としている。


 そう、アリバイ工作は、罪に問われることを避けるために行われるのだ。


 仮に人を殺してもなんのお咎めもない世界であれば、あらゆる犯人はアリバイ工作をやめるだろう。


「……その、人殺しの猫を裁く法律は、人間界にはないんですが……猫界にはあるんですか?」


「君の口ぶりは欺瞞ぎまんに満ちているようだね。猫を裁く法律はたしかにないとも。なにせ、人間界において、悪い猫は法に問われる前に処分されるのだから」


「それは……まあ、そうなのかもしれませんけど。じゃあ、やはり、被害者の死が落下死だったというのは、事故として処理されることを狙った猫のアリバイ工作だと?」


「そういう可能性も考えられる、ということだ。私の持つ情報も、君のものとそう大差はないのだよ。だから、猫探しを依頼したわけだ」


「…………すいません、あなたの立ち位置を確認させてもらってもいいですか? あなたは、なぜ、猫探しを依頼しようと?」


「……そういえば、君は、昨夜話した相手とは別人ということになっているのだったね」


 ということになっている、というか。

 まあ、猫に人間の見分けがあまりついていない様子なので、僕は黙って続きをうながした。


「私の探す猫は、友人ではあるが、正しく述べれば、友人の友人、ということになる」


「ああ、おっしゃっていましたね」


「私とその猫の間にいる『友人』こそが、その落下死した人間だ」


 一瞬、言葉を失うぐらいに、意外に感じた。


「人間は、猫にとって奉仕種族なのでは?」


「君は飼い犬と友情を感じる人間を否定するのかね?」


 どうやら猫の中では猫>人>犬というランク付けができているらしい。

 

「まあ、おっしゃりたいことは、なんとなくわかりました。……では、あなたは、容疑者を見つけ、その容疑をつまびらかにし、有罪であればなんらかの裁きを望むと、そういう立場だと?」


「思うに、君の額は中身の体積に比して大きすぎるのではないかね?」


 婉曲に『頭が悪い』と言われているようだ。


 猫はため息をつくようにしっぽを揺らして、


「だが、まあ、君が人間であることを加味して、及第点としておこうか。『裁きを望む』というのは、いかにも人らしい考え方だ。猫の社会に法はない。裁きの代行機関もない。裁きが必要ならば、手ずから与えるのが、猫の社会だ」


「……なるほど」


「そしてここが最も大きな勘違いなのだが、猫は、猫が人を殺したとして、そこまでの裁きを望まない」


「そうなんですか?」


「人間は犬を殺すと死罪になるのかね?」


「……ああ、まあ、法律的には……『器物損壊』にあたりますね」


 飼い犬の場合は住居不法侵入あたりがセットでついてくることになるだろうか。

 心情的にはともあれ、『裁きを望む』構造である人間社会において、犬殺しは人殺しほどの罪には問われない。日本であればまず死罪にはならない。


「我ら猫も、人を殺した猫がいたとして、そこまでの罪には問わんよ。というよりも、そこで問われる罪は『よく使っていた人間を殺されて、心情・実益の損壊を被った猫に対する補償』であり、『猫の気分を害した罪』だ。人の死などで問われる罪はない、と言える」


「では、なぜ、容疑者を探したいと?」


「私の趣味だ」


「……あ、はい。なるほど」


「客観的に見て、私の友人である人間と、その友人である猫の関係性は悪くなかった。だというのになぜ殺したのか、それを知りたい」


「そもそも、なぜ、その関係性で、猫が人を殺したと考えるんですか? ネットニュースを見る限りただの事故死ですし、そもそも、猫が人を殺すというのも、なかなか想像しがたい状況ではあります」


「現場を見たからだ。その場に私もいたのだよ」


「……」


「殺害が行われてから犯人が逃亡するまで、ぴくりとも動けなかった」


 しっぽの動きが、ぴたりと止まった。

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