第二二話 ~始まり~

「……ぅぅ」


 俳人は目を覚ますと同時に自身ですら聞き取れるか曖昧なほど小さな呻き声を発した。

 徐々に意識が覚醒し、俳人の中で様々な疑問が浮かび上がる。


「ぅっ……」


 場所は見覚えがある。

 ヒナの家だ。

 けれど家には誰もいない。

 状況が把握出来ず、誰でも良いから人に会いたい一心で声を発そうとしてガラガラに乾燥した喉に阻まれる。

 乾燥が酷く咳き込むことすら出来ないまま、出るのはやはり小さな呻くような声。


(とりあえず……水が飲みたい)


 以前の訪問である程度の勝手を知っている俳人は曖昧な思考と貧弱な力でフラフラと彷徨うようにして喉を水で潤す。

 久しぶりの水に肉体が歓喜し快楽を感じるとともに、唐突に体内に物が入ってきたことで咳き込んでしまった。


「ぁぁ、ぁーぁーあー。なンとか話セルくラいにはナったか……」


 水を得たとはいえたった一度の給水で完全回復するなどというゲーム的なことが起きるワケがなく、雑音の多い中でこの声を発せられればほぼ確実に聞き取れないだろうというほどには聴き取り辛いままである。


「今の時間……昼。けど日付的には大体丸一日経ってるな」


 スマホを見て即座にそれを理解した俳人はヒナに連絡をしようとし、連絡先の交換をしていないことに気付いてその場に土下座するかのように項垂れた。

 仕方なく俳人は自分の知っている唯一の連絡先である芹那に電話を掛ける。


「電話カケた時点デ分かリきってルことダが……起キた。ヒナの居場所知らナイか?」


 繋がってすぐにそう話しかけると少しの沈黙の後に呆れたような溜め息がスマホ越しに伝えられた。


『……目覚めてすぐそれって。……まあいいけどね。それで飛鳥ちゃんなんだけど、今そっちに行ってる。本人は戦うって言ってたんだけど昨日戦ったばかりだってことで休ませたから、それは安心して』

「ソうか……止めテくレて、ありがとう」


 感謝の気持ちはちゃんと伝えたかった俳人はボロボロの喉を酷使し『ありがとう』と普段通りの声で伝える。

 するとそれまでガサガサの聴き取り辛い声だったのに急に普段通りの声になったことで起こった驚愕がスマホから発せられた。


『……色々と忙しいからもう切って良い?』

「あア。皆の事、頼む」


 自分が居なくても皆を纏めることは出来ている。

 芹那に任せても大丈夫。

 それを確実な形で理解した俳人は喜びを僅かに声に含ませながら通話を切った。

 画面を消し、テーブルの上に伏せると俳人はふと窓の外に目を向ける。

 空は今人間を滅ぼそうとしている問題とは関係なく真っ青に澄み渡っている。

 一週間、完全に車も飛行機も飛ばなかったからか空は以前よりも澄んでいる気がした。


「結局……助けられてばっかだな。戦いでも、指揮でも……」


 この一週間、もしかしたら徹頭徹尾一人でやり切ったことなどないのかもしれない。

 皆を助けるなどと大きなことを言っておきながら及ばぬところをヒナや芹那に補って貰ってばかり、戦いならヒナが居なければ死んでいたし統率なら芹那が居なければ集団として瓦解していた。

 世界救済さいごを掲げるだけで周囲いまを見ていなかった。


「フィクションと違って現実じゃ一人で全部終わらせんのは無理だな……」


 一人で出来るという思い上がりだけでなく、一人で終わらせたいという思いが俳人の中にはあった。

 だがそれは決して孤独が好きというワケではなく、見ず知らずの赤の他人と行動すれば意思疎通に齟齬が生まれて効率が落ちるから。

 そして行動を共にするのが心を許した仲間ならば危険を遠ざけたいという思いから仲間を問題から遠ざけようとするのだ。

 大事に飾っている人形が汚れた時に綺麗に掃除するのではなく、そもそも汚れる原因に近付けない。

 過保護といえば過保護であり、仲間の軽視と言えば仲間の軽視とも言える考え。

 今は虎狼との戦いの後、ヒナとの会話でそんな考えは払拭しているが、俳人の根本的な思考のために未だその影が見えている。


「俺は間違っているのか? ……いや、大切なモノなかまを失いたくないって考えるのは間違ってないハズだ。……くそッ、強くなりてぇなぁ」


 強くなって大切なモノなかまを守る。それは自分が皆を守るという考えである以上軽視的なモノ。

 だが軽視するというのは大切にしていないとも言えるが弱いままでは何も出来ない。弱ければ戦うことすら許されずに襲われて死ぬ。

 守るために強く在りたい。

 大切にするために傲慢さを捨てたい。

 仲間への感情、強さの在り方への葛藤ジレンマが複雑に渦を巻く。


「ただいま」

「おう、おかえり」

「なんだ、目覚めて――」


 習慣的に帰宅を告げたヒナに、悩む俳人は心ここに在らずといった風に軽い調子で返事して再び空を見上げた。

 あまりにも自然に行われるやり取りにヒナも自然に返し、途中で俳人が目覚めているという事を再認識する。


「目覚めてる!?」

「お!? お、おう」


 お手本のように綺麗に二度見して大声で驚愕を示すヒナの声に反応した俳人は驚愕に肩を跳ね上げながら改めてヒナの姿を認識した。


「あまりにも自然にしてるから驚いたよ……」

「俺はヒナの声に驚いたよ」


 幻かと疑うように忙しなく瞬きを繰り返すヒナの様子をおかしく思った俳人は少し愉快そうに頬を緩ませながら、軽く揶揄うようにそう返した。

 気付けば聞き慣れた喋り方やすぐに出てくる軽口に安心したのか、ヒナは僅かな苦笑と共にその場にしゃがみ込む。


「……心配かけたな」

「全くだよ。虎狼との戦いから三日後にすぐ重傷って……私が不甲斐ないばかりにすまない」


 怪我をし過ぎだ、と茶化そうとしたヒナだったがそのどちらも自分が弱かったからだという自責の念が強く、徐々に項垂れてそれは次第に謝罪として頭を下げる姿勢となった。


「俺さ……さっきずっと考えてたんだよ。どうしたらいいんだろう、って」

「……私も最近よく考えるよ」


 どうしたらいいかという曖昧な話。

 けれどお互いに自分の所為で苦労させているという思いがあったため、二人の中では輪郭すら曖昧な話が色まで付いた明確な話となっている。


「強くなって皆を守りたい。けどそれは傲慢だ、ヒナも芹那も智也も輝樹も総司も千遥も正貴も他の奴らも、皆を、仲間を守ろうっていうのは仲間として共に歩もうとしてくれる奴らを『守ってやる人間』だって心のどこかで見下してるんじゃないかって思う。一緒に死線を潜り抜けてくれたヒナ……お前が居なければ俺は今頃死んでいたのに俺は守るべき奴だと思っているんだ……」


 葛藤を耐えるために頭を掻きむしるかのように髪の毛を鷲掴みにする俳人。

 ぐしゃッと髪を掴み、膝を抱えるように蹲る。


「うん。……うん」


 そんな俳人の手を包み込むようにヒナは手をそっと触れ、肯定と同意をするように間を開けて二度頷いた。


「なんとなく分かる。私は……アンタじゃないから全てを理解は出来ないけど、仲間を守りたいって気持ちは分かるし守る事で守った相手が逆に傷つくんじゃないかって恐怖も理解出来る」


 経験がないからヒナには共感が出来ない。

 けれども理屈としては理解が出来る。

 過度に干渉することで失敗する。何かを綺麗な状態で維持しようと磨き、磨きすぎることで傷つき逆に駄目になるという事だ。


「良いんだよ、守っても。大切な誰かを守るのは悪い事じゃない、アンタが私を守ろうと思うのも悪い事じゃない。私はアンタに負担を掛けないようにって無理して逆に迷惑かけた。多分アンタも同じ、だろ?」

「……ああ。俺が言い出したことでヒナに無茶はさせたくない、そう思った」


 心当たりがあった俳人は重々しく頷く。

 それと同時にヒナも同じことを考えていたということに驚愕を禁じ得なかった。


「私もアンタもお互いに無茶させないようにと思って自分が無茶して、その姿を見てまたお互いに無茶して……考えてたことが同じなんだから話し合えば良かったのに、負担を分け合えばよかったのに何もしなかったからこうなった」

「……そうだな」


 無茶を見て無茶をする。

 無茶をされたから無茶を重ねる。

 キリのない鼬ごっこは確定した破滅だ。


「守りたいときに守れば良いんだよ。お互いに足りないモノを補い合うのが私たちに必要な事だ、足りない何かを埋め合うのが仲間だろ?」

「ああ、その通りだ」

「だから、これからは、お互い遠慮なしに行こう。私はお前が死にそうな姿をもう見たくない、自分の所為でアンタが傷つくのは嫌だ」

「俺もだ」


 死を覚悟した時、互いに助け合った二人。

 自分の不甲斐なさで相手を死なせそうになった二人。

 二人は互いに非を認め合い、そんな単純な事に二度も死にかけてようやく辿り着いたのかと苦笑しながら見つめ合い、吹き出すように声を出して笑い合う。

 少しして落ち着きを取り戻し、静寂が訪れるが難題を解決して晴れやかな気分となった二人は、決して嫌な沈黙と感じることはなく互いに微笑んでいた。


「……あのさ、その~もうこの辺もある程度落ち着いて来たから他の所に行こうと思うんだ」

「うん。それで?」


 ゆっくりと口を開き、この地を離れることを告げる俳人。

 言い辛そうにする姿を見ながらヒナは何を言われるか察しつつも気付いていない体を装って意地の悪い笑みを浮かべる。


「だから、一緒に……『一緒について来てくれないか』」

「……ふふっ。ああ、一緒について行ってやるよ」


 耐え切れずに小さく笑ったヒナは気恥ずかしそうに赤らめた顔を隠すために俯けられた頭を嬉しそうにポンポンと叩く。


「そうだ、流石にお前もそろそろ面倒だろうし、良い機会だから教えるよ。けどこれは二人っきりの時だけな?」

「ハッ、ようやく教える気になったか。…随分と長かったな」


 今も以前も、一度たりとも皆に教えた偽名すらヒナに呼ばれた事がないを気付いていた俳人。

 他人の感情や行動原理に疎い俳人とてその意味には何となく気付いており、またその行為を通じてヒナが求めているものも気付いていた。

 だから俳人は自身の信頼の証として、それに応じることを決めた。


「俺の本当な名前は……俳人、重見俳人だ。改めてよろしくな、ヒナ」

「おう、心機一転改めてよろしく頼むよ。俳人」

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World Corrupt 軒下晝寝 @LazyCatZero

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