第一九話 ~人の性~

 予定通り七時に目覚めた俳人。

 大きな欠伸とともに眠りで固まった身体をほぐすように身体を伸ばすと、俳人はヒナとともに身支度を整える。


「結局……何も起きなかったな」


 顔を洗い終えたヒナがタオルで水を拭き取りながらそう呟いた。

 同じく顔を洗い終えた俳人は「そうだな」と思考を巡らせていてあまり返事に意識を割いていない様子を見せる。


「睡眠じゃ収納魔法は解除されない。可能性としては三つ。一つが意識の強さに依存するもので、睡眠時は無意識に使われていて失神とかの意識が薄いときは強制解除。二つ目は死亡時にのみ強制解除。三つめがそもそも解除されない。昨日言ったように保存則があるから最後はほぼ確実に消去出来るから実質二つだな」


 そしてその残された二つだった場合、収納魔法を使う上ではもう考える必要はなくなる。

 何故なら失神も死亡も普通に暮らす分には縁遠いものだからだ。

 死亡はこの世界では近いものではあるが、あまり外に出なければ遠ざける事は出来る。


「結局それ調べてどうするんだ? 悪用を恐れて秘匿するのか?」


 危機に陥った人間は何をするかが分からない。

 だがこれは断言出来る。

 この危機的状況で、誰かが必ず食糧の独占を行うと。

 危険にあふれたこの世界で野性的な行動を取るのは当然であり、以前までならば武力での独占しか手がなかった状況で収納魔法という

手段を手に入れれば誰でも独占可能になるという予想にヒナは秘匿の道を尋ねるが、意外にも俳人は首を横に振った。


「魔法に必要なのはイメージ。つまりこの状況じゃ隠しても別の誰かが簡単に見つけて悪用する。食糧の保存場所の問題や腐敗の問題を解決しようと思ったら悪用の意思がなくても自然とそうハズだ。てことで、俺がやるのはその逆で情報の拡散」


 目的は大きく分けて二つ。

 名声の獲得と格差の防止。

 時が来れば誰かが簡単に見つけてしまうようなことであっても、荷物の保存を容易にするという利便上それを見つけて公表すれば名声を得ることが出来る。

 誰かごく少数の人間が収納魔法を見つければ、そのごく少数の人間が悪用する可能性は高い。

 この世には法律ルールで禁止されているからやらないだけで犯罪・蛮行・悪行そのものには忌避感を抱いていない、という人間が少なからず存在している。

 それ以前は『善良』と見なされていた者も一度ルールから解放されたら蛮行に走る者もいることだろう。

 ならば初めから大勢の者に広め、彼らの中で収納魔法を使った食糧などの独占は『悪』だと認識させればいい。


「定数と変数みたいなモンだ。悪用前提の奴は一定数、グレーゾーンの奴らは変数。何もしなければグレーゾーンは無限大かもしれないが前もって変数の上限を決める条件を付けりゃ悪用する奴を減らせはする」

「言われてみたらそうだな。下手に隠すよりも広めた方が良いか」


 虎狼の戦いでネットを通じて全世界に魔法の存在は広まっている。

 隠せば余計な厄介ごとを招くかもしれない。

 そして今後活動する上では情報発信の先頭に立った方が楽に動ける。


「ま、今全てを考える必要はない。皆に指示出してネットに情報出したら森に行こう」


 答えに辿り着くための情報ピースが欠けたまま考え続けても答えは永遠に出ない。

 なら考えるよりも動いた方が遥かに生産的だと俳人はタオルを亜空間に投げ込み、指示を出すべく皆の下へ向かった。




「今のところは特に具合が悪くなってないから昨日のヤツは全部食えるはハズだ」


 森へ再びやって来た俳人は亜空間から取り出した植物を手に同じものがないかと周囲を見渡す。

 だがそこにあるのは昨日と同じ鬱蒼とした緑だけ。

 情報量の多い中で自分の欲しているものを見つけるのは俳人たちには不可能に近く、目を凝らしても見つかる気のしない緑の光景に俳人は早々に見つけることを諦めた。


「ま、一番の目的はそれじゃないし良いけど」


 今回は魔物の調査が主な目的だ。

 緑毛の狼は二人がかりでも手ごわい相手だった。

 兎たちの実力も踏まえるとこの森に住む魔物の実力は全体的に高くなる。

 それ事実なら他の者たちにここでの採取をさせるという計画が難しい。

 今後の食糧難を考えて森全体の脅威調査、そして魔物の弱点の発見を今回の目標としている。


「魔物の姿はあったか?」

「いや、まだ見えてない。全体像が分かってないけど入ってすぐだしここは魔物の縄張りではないんじゃないのか?」

「確かに……そんな所だろう」


 中心までの距離を考えれば今二人がいるのはかなり浅い森の外側の部分だ。

 水場の関係を考えると魔物が居るのは比較的深い領域だろう。


「つーかホント植物でごちゃごちゃしてるな……メンドクセェ」


 無秩序に伸びた道を遮る枝のせいで迂回を強いられ、全く進めている気がしない状況に苛立った俳人は風を圧縮して防御壁として扱いながらもう一つ、風の刃で伸びた枝をバッサリと切落した。

 昨日は樹液を警戒していたが、今回は防御壁で飛び散った樹液を阻みつつ魔法で樹液を絞り出すことで枝に触れでも樹液が掛からないようにして安全を確保する。

 絞り出した樹液は時間経過によって別物質として霧散するため危険はない。


「魔力消費はあるが楽で良いな」


 兎たちが止めたのは中央にある巨大樹の破壊。

 今こうして二人を阻む大量の植物の破壊は止められていないため余程の大規模でない限り、人が余裕をもって通れる道を切り拓く程度の破壊ならば問題ないないのである。


「初めからこうすりゃ良かったな……」


 あまりにも違いすぎる進行速度に思わず足取りが警戒になるのを自覚しながら歩いていると目に見えて俳人の歩く速度が落ち初め、完全に停止した頃には俳人は腰を深く落とし、木刀を握り、目は一方向を見つめながら聴覚は全方位に向けられていた。

 戦闘期間は一週間にも満たないながらも確かに経験を積んだヒナは突然の俳人の行動に狼狽えることなく素早く木刀を構えると、俳人に背を向けて俳人とは逆方向をジッと見つめる。

 完全に警戒モードに入った二人。

 不意打ちは不可能だと理解したのかガサリと遠くの方で音が鳴り、次の瞬間には複数の足音が二人から一定の距離を保ちながら周囲を跳ねるように駆け巡る。


「……ふ~」


 背後の吐息すら聞こえるほどに森は静寂、あるのは吐息と円を描く複数の足音。

 警戒で二人の思考は引き延ばされ、二人を取り巻く足音は永遠のようだ。

 けれども足音は螺旋を描くように少しずつその距離を縮め始める。

 一定の距離を超えた時、植物に阻まれていて見ることの出来なかった魔物たちの姿がハッキリと二人の目に捉えられ始めた。

 既知の生物で言えば猿だ。

 それも現実的な猿ではなく二次元的にデフォルメされたような小さく丸く、しかしデフォルメのようには可愛くなくかなり醜悪な容姿をしている。

 皺だらけの顔は険しく、黒一色の瞳は白と黒の目に慣れた二人には恐ろしく見えた。


「的が小さいな……」


 そう呟くと俳人は木刀から右手を離し、鉤爪のように大きく曲げる。

 どの方向から襲われても良いように中央やや左寄りに木刀を構え、右手はすぐ加速出来るように自身の身体に引き寄せられていた。

 徐々に握る力を強める俳人は左から右へ左から右へと猿たちの周回方向に合わせて目を忙しなく動かす。


「……三。分かり難くしてはいるが音と速度から察するに敵は三匹」

「ああ、了解」


 猿の見た目は二人には判別出来ない。

 俳人に出来るのは音の関係ない視界から得られる周回速度と音の方向だけ。

 時折一匹が攪乱させるように立ち止まったり足音を不規則にしているが正確に音を聞き取り周回速度と合わせて考えれば三匹だと分かった。


「オラァ!」


 加速度的に距離が狭まり、やがて手を伸ばせば届くほどの距離まで近づく。

 様子を窺うのみで攻撃しなかった事が猿たちには弱気な姿に見えていたらしく、ある程度近づいたら攻撃するのではなく今の距離まで近づいても猿たちが攻めることはなかった。

 至近距離で周囲を回ることで狙いを付けられにくくする目的もあったのかもしれないが、経験を積んだ俳人の研ぎ澄まされた集中力は動体視力を引き上げ、ストレートのように出された右手は一匹の猿の首を正確に捉えることが出来た。

 意識よりも先に捉えたことを理解した身体は押し倒すように俳人の膝をより深く曲げ、猿を全力で地面に叩きつけさせる。


「セアッ!」


 弱気と思っていた得物からの不意打ちに動揺して思わず足を止めた猿たちは、俳人の叫びに動揺することなく行動を起こしたヒナによって首狙いで叩き殺された。

 一匹目の死で動揺した猿は、二匹目の死によって正気を取り戻し、敵わないと判断して一直線に逃げる。

 向こうから襲って来たにもかかわらず逃げるという状況に呆気にとられた俳人は猿の肉体の霧散によって支えを失い、僅かに体勢を崩し、その衝撃ですぐ周囲の警戒を行った。


「……敵が来る様子はなし。大丈夫だな」


 数秒の沈黙。

 魔物の気配がないと理解した俳人は息を吐きながら小さな魔石を回収する。


「抵抗力は弱かったし前以て気付きさえすれば簡単に倒せる敵だな。芹那に情報を伝えればアイツらに関しては問題ないだろう」

「そうだな、アンタが素手で倒してるあたり耐久力は低そうだな」


 体格差があるため当然と言えば当然だが俳人は猿を素手で倒した。

 それも一撃で、だ。


「一応は楽に倒せる相手もいるみたいで少し安心だ」


 特別身体能力に優れているワケではない俳人でも倒せるという事は力が弱い幼子でもない限りは誰にでも可能性があることを意味する。

 俳人が他者と比べて優れているのは状況を分析するための『冷静さ』。

 つまり戦闘においてある程度の落ち着きさえ持てれば大多数の者が猿に限っては容易に倒すことが出来るという事だ。


「虎狼との戦いである程度戦いの感覚が身に付いたからそう思うだけか?」

「いや、実際速度以外は大したことないと思うぞ? 木刀で叩いた感触もゴブリンに比べたら全然弱い」

「なら大丈夫だな」


 一度冷静になり戦闘経験を重ねた自分だからその感覚なのではないかと考え、ヒナの保証の声で安堵する。

 大多数の一般人に向けて発するべき情報を戦いの戦闘に立つ者の視点で語ることは禁忌。

 それの愚かさを少しは理解しているつもりの俳人は、他者に戦闘のアドバイスをするときは安易に答えを出してはいけないと安堵と共に胸に刻んだ。


「ヒナは体力まだ平気か? 集中し過ぎて疲れたなら休んでも大丈夫だからな」

「ん~、それはむしろヒナが聞きたい。敵のことに先に気付いたのはアンタだ、集中時間で言ったらそっちのが辛いんじゃないのか?」


 俳人自らの選択の結果とはいえ俳人は大勢のために多少の無茶をしている節があり、ヒナはそれを心苦しく思っている。

 言っても止めないことは僅かな付き合いから理解している為止めるではなく助力をすることを選んだが、俳人の負担を半減出来ているとはヒナ自身思っていなかった。

 むしろほとんど手助け出来ていないのではないか、却って邪魔になっているのではないかという考えすらある。

 人間はしばしば『自分がこの世で最も不幸だ』と勘違いすることがあるが、今ばかりはヒナもそんな考えを抱けないほど俳人が苦難していることを理解していた。

 助けたい、けれども俳人のやっていることの一端すら理解出来ない。

 説明をされていない以上理解出来ないのは当然と言えば当然だが、俳人は自分一人の力で今やるべきことの多くを見つけ出しその為に動いている、という事実がヒナの中で一種の劣等感や自力で理解しなくてはいけないという強迫観念を生んでいた。


「暇な時はパズルゲーやってるタイプの人間だぜ集中力は平気だ。体力も……まだイケる」


 呼吸のリズムと合わさらない動作に多少息は粗くなっているもののやっている事と言えば足場の悪い場所を歩き、集中力を研ぎ澄ませて小さな猿を掴み地面に叩きつけたくらい。

 見栄でもなんでもなく、事実として俳人は休憩するほど体力を消耗していなかった。


「その言葉、信じるからな?」


 もちろんヒナに俳人の身体状況コンディションを把握することは出来ないためそう言うしかない。

 嘘を吐いていた場合『信じる』という言葉で罪悪感を抱かせて考えを改めさせる、という意味も含めてヒナは信じたいという思いと共に真っ直ぐな眼差しで俳人を見た。


「おう。ちったぁオニーサンを信じなさいな」


 メリットがないため嘘を吐いていない俳人は二ッと笑みを向ける。

 その表情で嘘を吐いていないと完全に信じることの出来たヒナはそれに応じるように笑みを不器用に真似た。


「さ。いこーぜ」

「世界を救うために、な」

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