第二〇話 ~石~
薄暗くも麗らかな陽光。
脳がまだ学校で寝泊まりをするという状況に慣れていないのか目を覚ました俳人は眠い目を擦りながら状況を理解するように記憶を探った。
「まだ五時半くらい……さっさと顔洗って朝の稽古でもすっかな」
周囲に光が漏れないように手で軽く画面を覆いながら画面を点けるとそこには『5:28』の文字があり、まだ日の出から二〇分ほどだという事が分かる。
声は漏らさぬ軽い欠伸を漏らしながら俳人はスマホ片手に顔を洗える程度には広い水場へと向かった。
その道中同じようにして起きたヒナとも合流し、軽い準備を済ませて二人はグラウンドの中央で向き合う。
「やっぱ風あるとさみーな」
「まあ、日が出てそんなに経ってないしまだ春だしな」
風に
大きく髪を風に揺らされるヒナは純白の髪色をオレンジの強い金髪に変え、肌色はアルビノのような白から引きこもりの印象を受ける白に変わっていた。
俳人の仮説によれば『魔への適応結果による色素の変質』であるこの変色は戦っている芹那はもちろんのこと、ネット上でも多数の報告が挙がり、さらには俳人の周囲における非戦闘員にも見られる現象である。
「……今日で何日目だ? 魔物が出て、他人助けて、腕ぶっ壊しかけて、かと思ったら治って、話す魔物と出会って、ヒナに泣かれて説教されて……色々あり過ぎて分からん」
「泣いてねぇ。……今日で六日目だな」
「泣いてないっけ? あーいうシチュだとヒロインが涙目ってのがデフォだからてっきり泣いてたと思った、てかその理屈だと俺のヒロイン誰もいねぇな」
疲労が最も溜まっていた時期だったために曖昧な記憶を思い出すように腕を組み、それと同時に最も親しい異性であるヒナがヒロインじゃなかったらフィクション的には自分のヒロインは誰もいないことに気付いてふざけるように軽い調子で笑う俳人。
「テメェの彼女も嫁も絶対メンドクサイだろ。昔がクソ過ぎて基本寛容だから仲間としては問題ないが男女の仲は勘弁だ、グダグダウジウジと迷走しまくりで……己は思春期か?!」
「年齢的にはまだギリ思春期だな」
「私は私を一般化したくはないけど……多分女は大体がそう思う。だからテメェがその状態のままなら余程のべた惚れ――惚れた弱みでもない限りは仲間からヒロインは出ないんじゃないか?」
一度仲間になって行動を共にすれば重度の能天気でない限りはどれだけ欠点を見ないようにしても俳人の欠点は嫌でも理解してしまう。
そのうち英雄として育った俳人の下に何も知らずにその名声のみでやって来る者はいたとしても親しい者からそれ以上の関係になる可能性はかなり低い。
言外にそう言われ、人生で一度もモテたことのない俳人は元々あまり期待はしていなかったものの場のノリとして露骨にガッカリして見せた。
「ま、良いよ。そーいう事は最低限責任を持てるようになった安全な世界で考える!」
青春時代にモテなかった時点でその類のことについてはとうの昔に諦めている俳人はそう言ってガッツポーズのように拳を握る。
「現実逃避じゃないのか? ……まあ、関係ないし、さっさと始めるか」
「人は逃げに生きる生き物だもの。……ま、お喋りはこの辺にしておこう」
会話を切り上げた途端、戦っておらずまだ準備運動の段階にも関わらず二人の表情は一瞬にして険しくなり、雰囲気も気軽な状態から重苦しいモノへと豹変した。
最後に肩のストレッチとして腕を組み、自身の方へ強く引き寄せた二人は一度だらりと力なく腕を垂らしたかと思えば俳人は両手を鳥の爪のように軽く折り曲げ、ヒナは様々な対処が可能なように軽く拳を握り二人はそれぞれ胸の位置までそれを持ち上げる。
三日目の組手のように石の着地を合図にすることはなく、二人が構えた瞬間から組手の開始とした二人だが、一向に動かない。
じりじりと足を滑らせるように二人とも近付いてはいるが未だにどちらも相手の出方を窺って攻撃に転じはしなかった。
「フッ!」
先に動いたのはヒナ。
素早さで勝るヒナは二歩で俳人との距離を完全に詰め、緩く握った右拳を硬く握りしめて俳人の顔面に目がけて打ち出す。
「甘いッ!」
けれども戦闘に慣れつつある俳人にそれは通用しなかった。
加速する際の、走り出す瞬間に腰を落とし、僅かな前傾姿勢で直進する。
走る上では当然の姿勢だが、命のやり取りをする戦闘においてその僅かな時間の有無は大きな差だ。
僅かな時間の間で俳人は即座にヒナの意図を理解し、対応してみせた。
「オラッ」
続いて俳人が攻める。
ヒナの拳を受け止めた俳人は、そのまま左手をヒナの右腕上を滑らせるように移動し腕の根元を掴むことで回避を封じた。
指先を僅かに曲げた俳人の右手刀を見たヒナは急いで回避しようとし、腕を掴まれていることにそこで気付く。
咄嗟に回避から防御に回ろうとするヒナだったが、後手に回ったヒナにそれを防げるはずもなく俳人の鋭い手刀を左首筋に受けた。
するとヒナの身体が大きく崩れ、俳人はヒナの右腕を掴んでいた手を離す。
軽度の脳震盪によって意識喪失を引き起こし、勝負がついたと息を吐いて瞬きをした瞬間、俳人の腹部を鈍痛が襲った。
「くっそ、完全に油断したッ」
「思った以上にあっさり引っかかってくれてありがとよ」
意識喪失と思ったのはただの擬態、演技でありそれにまんまと引っかかった俳人は脱力し緩んでいた腹部にヒナの拳を受けてしまった。
自身の失態を悔いると同時に俳人は口には出さないもののヒナの巧妙な演技に称賛の念を抱く。
だがやられたままで居られるほどおとなしい性格をしていない俳人はすぐさま雑念となっているその二つの思いを振り払い、ヒナが離脱する前に攻撃を仕掛けることにした。
四指を纏めて放つ突き手。
意識の誘導として打ち出された素早い攻撃にヒナは素早いだけで力が籠っていないことを指や腕の硬直具合から読み取り、動じることなく最低限の軌道の観察だけで回避する。
目論見が失敗した俳人は内心で舌打ちをしながら気持ちを落ち着かせ、今度は拳を握って一発一発に力を込めた。
さっきとは違ってフェイントではなく一発一発が確かな威力を持った拳であると理解したヒナは苦い表情をしながら一発一発をしっかりと見極めて回避する。
長く感じる攻防の中、ヒナは打ち出される瞬間から観察していた攻撃を打ち出す前の予備動作から観察し始めた。
初めは紙一重で躱していた攻撃も、慣れるうちに予備動作を観察する余裕が生まれたことで当たる素振りすら感じない。
攻める俳人の表情が険しくなり、避けるヒナの表情が僅かに和らぐ。
連打によって体力が尽き始めた俳人は、そこで何故か決めに掛かるかのような大振りを見せた。
フォーム的に言えば相手の体勢を崩した、決して避けられない場合に使う決着の一撃。
体力の消耗を見抜いていたヒナは最後の賭けの一撃だと判断し、その大振りに全神経を集中させる。
俳人の身体が仰け反るほどの一撃、それを鋭い目つきで見つめるヒナは――身体を地面に衝突させた。
「……は?」
「ハァ、ハァ……ッブネー!? マジで負ける所だった!」
仰向けに倒れ、苦しそうに息を切らして腰に手を当て空を見上げる俳人の姿を下から仰ぎ見るヒナは状況が一切理解出来ないように身体を硬直させる。
力むあまりに無呼吸連打状態だった俳人は胸や肩を大きく動かして呼吸しながら額に滲んだ汗を拭った。
「なにが……起きた?」
「あれ? 結構強めに蹴ったんだけどまだ気づいてない感じ?」
蹴ったという言葉に反応してヒナは身体を起こしながら自身の両足を見る。
パッと見では何もなっていない。
だが恐る恐る両足首に手を伸ばし、揉むように触れると忘れていた感覚を思い出すかのように少しずつ足首を痛みが襲う。
「足払い……」
「そ。ヒナの意識が完全に俺の拳に向いてんのが分かったからな、遠慮なく足払いした」
決着の一手を教えられたヒナだが、直前まで負けるとは露ほども思っていなかったため納得出来ないという感情をありありと見える顔つきで俳人を睨んでいた。
「簡単に言えば、戦闘の中で成長を実感したがゆえの慢心、って感じだな。初めはギリギリ、だけど段々余裕が出てきた、攻撃を見続ける。そんな感じで俺の手に集中して下を疎かにした。攻撃は手だけだと思い込んだ。……俺の成長速度なんて高が知れてるからその慢心はよく分からんな」
そう言って説明を終えた俳人は組手後のストレッチをしながら「は~、若いって良いわね」と井戸端会議の主婦をイメージしたような口調で意地悪くも
「色々やってるが……あまり魔物が来ないな」
今日も引き続き森を調べている俳人は中々魔物と遭遇しない状況に、そもそもの数が少ないのかそれとも別の要因があるのかと考えながら一歩一歩足元を確かめながら森を旋回するように探索していた。
「異物だから様子見てるのか? にしては今日で三日目だから長い……よな?」
「ああ。けど魔物からしてみれば飯は森の中で十分賄えるから俺たちを襲う必要はない。それが理由かもな」
魔物が人を見れば無差別に襲い掛かる低知能の存在なのか、それともある程度の知能を有した存在で未知数の相手を襲うよりかは現状の生活を続けた方が良いと理解出来ているのかは分からない。
魔物同士の繋がりは不明だが兎たちによって俳人たちが森を大きく破壊する事はなくなっている。
そのため自ら襲い掛かることはないのかもしれない。
真相は不明だが襲い掛からないというのならば好都合には違いないだろう。
多少の苦戦はあるかもしれないが冷静に対処すれば勝てる相手だ。
森の中の魔物が今までに出会った存在だけならば他の者たちにこの森を任せることも可能になる。
「明日からはこの森に来なくても――」
少し安心したように話していると唐突に俳人の背嚢からスマホの着信音が鳴り響く。
正体不明の音に息を潜めていた魔物たちが一斉に騒ぎ出し、それに驚くヒナを尻目に俳人はスマホを操作した。
『富家くん!? 今何処?!』
鬼気迫る芹那の声音とは裏腹に、俳人はスマホの着信音に驚き騒ぎ出した魔物たちの中に自分の知らない魔物が僅かに紛れていたことに驚きながらそれに応じる。
「森だ。何かあったか?」
そんな能天気な思考からは考えられないほど素早く俳人はヒナにジェスチャーで指示を出しながら自身も装備を確認し、靴紐を結び直し、それらの確認を済ませると同時に出口に向かって駆け出していた。
『魔物が出たの! 石の鎧の魔物! 体高は二メートル強、人型なんだけど普通の人間の体格じゃなくて何て言えば良いのか……そう! アメリカの太った人みたいな体格! 止めたんだけど男の子が一人戦おうとして怪我した! 直撃じゃないのに地面を割った時の破片で怪我しちゃって!』
「落ち着け。俺たちがすぐに行く、それまでなんとか持ちこたえろ」
恐怖からか、はたまた動揺からか声が常に普段よりも大きくなっている芹那に俳人は落ち着かせるために焦燥の気持ちを抑えて敢えて抑揚のない声でそう囁く。
『ご、ごめん』
「構わない。それよりもその石の魔物、人に反応は?」
『するわ。男の子が襲い掛かった時も反応したし今も反応してるからそれで今頑張って高校のグラウンドに誘導してる』
「よし、ならそのまま誘導してくれ。後……二分くらいで着く!」
事前の探索である程度の道は作っているとはいえ安全とは程遠い森の道。
それなりに距離がある事も考慮し、辿り着く前に怪我をしていては駄目だと安全を取った上で急げる時間が約二分。
それよりも早くしようとすれば体力の消耗も怪我のリスクも跳ね上がってしまう。
だが――
『それは流石に……無理、かな』
その言葉を最後に芹那は石の魔物の足止めに向かったのか戦闘音を残して通話を切った。
連絡が途絶したことに一瞬死んだのではないかという考えがよぎり、俳人は止まりかけた脚に力を入れ直す。
(急いだら怪我をする? ……英雄が
芹那は覚悟を決めて、もしかしたら自分の命が散るのすら覚悟をして、辿り着いた俳人が皆を助けるのを、俳人が辿り着いて自身すら助けるのを信じて足止めをしに行った。
にも関わらず自分は保身に走っていた。
あの日の『誓い』は何だったのだと
「……ヒナ、スマン」
「は? うわッ! ちょ!? おい!」
ヒナの悲鳴のような叫びを無視して俳人はヒナを抱き抱えた。
それと同時に俳人は意識を集中させ、加速の魔法をイメージすると同時に自分の周囲の超狭範囲に入った枝を切り刻む魔法をイメージする。
高校が隣接する産業道路に通じる出口に向かって俳人は木は避け、枝を切り刻んで直進した。
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