第一二話 ~魔~
「さて、昼飯も食ったし……やりますか」
レンジの熱が未だ残る弁当の容器を片付け、そう呟くと俳人は鞄の中から戦闘に用いた二本の武器を取り出した。
「やるって……武器の整備か?」
昼食後は休むように長い無言が続いていたため突然の発言に少し肩を撥ね上げながら状況的にはそれしか思い浮かばなかったヒナはその必要があるのかと首を傾げる。
刃のある武器ならば整備は欠かせない。
だが二人が使っているのは木刀、そして俳人はさらに金属製の鍛錬棒。
ヒナが整備する理由が分からずにいるとそれを否定するように俳人は首を横に振った。
「いや、整備ではない。調べるんだよ」
「調べる? 破損とかか?」
「違う。ただ……さっきの戦いでおかしなところがあっただろ? それについて、な」
破損ではなくおかしなところの調査。
それに武器が関連している。
戦闘なのだから武器が関係しているのは当然であり、既に一昨日までに比べたら全てがおかしな状況ゆえに改めて『おかしい』と考えると森に隠された木のように心当たりがなかった。
「決着」
「ああ……確かにな」
記憶を探るも思い出せずにいるヒナに俳人が答えを告げると、ヒナはその一単語で納得する。
「火事場の馬鹿力で済む話じゃないだろ。それで済むなら球速だけはメジャーに勝てるわ」
「もしくは槍投げで世界獲れるな」
「おお、物を投げるって行為で野球をイメージしてたが動作で言えば確かにそっちだな」
単純な計算で言うなら俳人と虎狼の距離10mを1秒で移動したとすると時速は36km、槍投げの速度は約2倍、だが投げる物の重さは約6倍もの差がある。
多少の負担はあったものの肩や肘を壊してもいない。
運動していない人間ゆえにある程度ダメージが尾を引いてもおかしくないにも関わらずその気配がないのだ。
「他にも、そもそも形状的にはただの棒なのにどうして胸を貫いたのか。骨格が人間や虎、狼どれのものであっても胸部である以上は胸骨や肋骨があるからただ肉を貫くのとは違う。……それも十分おかしいが」
貫通という結果に重要な鋭利さが鍛錬棒には欠如している。
鋭利さがない状態での貫通というのは必要なエネルギーが圧倒的に違うもので、不可能ではないのかもしれないが少なくともあの瞬間に俳人が発揮した威力では不可能だと断言出来ることは確かだ。
「あれはもうファンタジーの領域じゃない?」
「俺もそう思う。だからこそ調べなきゃいけないんだ」
ならば手を尽くすしかない。
調べ、対抗する術を見つけるも良し。
調べ、己がものとするも良し。
結果として多くを得る可能性があり、失うものは時間と労力のみだ。
だとすれば調べる以外の選択肢はないハズだ。
「とすると、魔法とかか?」
「ああ、俺はその可能性が高いと考えている。理由としては全身の変色の速度だ」
魔法と変色速度。
単語だけを繋げれば何ら関連性のない要素にヒナはまたしても首を傾げる。
「朝起きた時点で変色はあって、ずっと感覚で速度を計ってたんだがそれにしては範囲が合わん。加えて言うなら白くなかったところからも侵食が起きている。侵食が未知の影響であることは確かで、……虎狼との戦闘の影響を除いたときに右腕の侵食速度が速すぎる。ま、結論言えば最後の一撃の瞬間、一瞬で右腕全部侵食された」
初めは細かく理由を説明しようとしていた俳人だったが、途中で説明下手な自分では長くなるであろうことを察して手短に結論だけ述べることにした。
「まあ、詳しい理屈なんて今調べても無意味だから簡単な理由と結論だけで良いよ」
「なら有難くそうするが、虎狼は魔法を使うのに詠唱をしていた様子はなかった。火球の追尾は急な回避やハプニングなんかには反応出来ていなかった。つまりプログラムのような決まった軌道をなぞるのではなくある程度融通の利く術者の意思操作によって動いているワケだ」
戦闘における攻撃魔法において決まった動きしかしない魔法というのは不便にもほどがある。
少し動かれれば回避され、回避されないようにするには多大な魔力が必要になる、攻撃方法としてはこの上なく非効率だ。
「……あ~。言わんとしていることは察したわ。要するにラノベにありがちな魔法に重要なのはイメージってヤツだろ?」
「ざっくり言えばな。イメージだけで発動するのは流石にないがイメージは重要のハズだな」
そもそも相手側にとってこの世界は完全なる未知。
人間の言語など知る由もない。
だが実際には魔法あっての事ではあるが言語を利用した意思疎通が出来た。
翻訳は異なる言語の同じ意味の単語の照らし合わせ。
対象の言語を知らねば本来不可能であり、虎狼がそれを可能としたのは意思で効果が決定される魔法の曖昧さを利用したからだと考えられる。
「発動の為の予備動作はなし、詠唱の有無は分からない。どう調べるんだ?」
「ん~……ひたすら念じ続けるしかないだろうな」
新たな発見をするには地道な仮説と実験の繰り返しをするしかない。
それはどんなことでも共通している事で、簡単に物事が進むのならば科学技術はもっと発達している事だろう。
「試そうにも選択肢が多すぎてホントに砂漠で砂金を見つけようとするみたいだな。……まあやるしかねーけどさ」
「めんどくさくて嫌になるぜ、まったく。見つけれたら色々出来て楽しいんだろうけどよ」
事の膨大さに苦虫を噛み潰したような表情のヒナと魔法でどんなことをしようどんなことが出来るだろうと妄想に耽る俳人。
捕らぬ狸の皮算用で緩んだ表情になる俳人に、ヒナは気が早いと苦笑し魔法の検証へのネガティブな感情を僅かにではあるが薄らがせた。
「意識という手掛かりがあるんだ、見つけられないことは無いだろうよ」
「……なあアンタ。ソレ、俗にフラグって言うんだぞ」
「……ハハッ」
「ハイハイ、ワロスワロス」
言われてようやく自分の発言がフラグであることに気付いた俳人は苦し紛れに裏声での笑いを捻り出す。
そんな頼りなさにヒナはさっきまでとは違った一抹の不安を感じながら無視するように魔法の検証に取り掛かった。
そして俳人はあからさまな対応に項垂れてから魔法の検証に取り掛かる。
冥想。
ひたすら魔法という未知を手に入れる為、魔法に必要であろう魔力という未知の感覚を探り当てるために己の中の感覚に意識を向け続けて周囲に無音を広げる。
胃腸の蠢く感覚、鼓動の感覚、全身を駆け巡る血液の感覚、感じられる全ての感覚を同時に意識し、俳人は小さな氷が生まれる光景を想像した。
だが氷は生まれない。
ならばより細かく想像をと空気中の水分が集まり立方体を形成し氷に固まり、僅かに膨張する姿までもを思い描く。
けれどもやはり、氷はおろか水さえも集まらない。
これでもダメか今度はより詳細にと泥沼に嵌まったように水の分子構造を想起しながら同時に氷の姿もイメージした。
結局どれだけ細かくイメージを重ねようとも魔法が発動することはなく、一時間近い冥想を経て俳人が諦めかけ始めた時ヒナが魔法の発動に成功する。
「……」
「成功……したのか。一体どうやったんだ?」
ヒナの掌の上には小さな氷が乗っていて、イメージの明確さが欠如したからか今は水が絶えることなく少しずつ流れていた。
魔法が成功したことは紛れもなく喜ばしいこと。
だが当の本人であるヒナはなにか別のことを考えているようで、俳人の言葉が意識に届いていないのか反応する事なく神妙な顔つきをし微妙に焦点の合っていない目で掌を見つめている。
「ヒナ?」
「……あ、ああ。なんだ?」
「なんだじゃなくて……いや、一体どうやったんだ?」
何か異変があったのではないかと心配し問い詰めようとした俳人だったが、ヒナが無意識だったのなら問い詰めたところで無意味だろうと断念し元の質問に戻った。
「……強くイメージをした。本当にただそれだけだ」
やはり何かを考えるような少し上の空な様子で呟きがちにそう述べるヒナはそこでようやく気が付き、無限のように湧き出る水を打ち切る。
そして掌から零れ落ち被害を受けたカーペットに目を向け、濡れた部分にそっと触れ、憂鬱そうに溜め息を吐いた。
「ひょっとして魔法を使った影響で疲れたのか?」
魔法を使ってからずっと憂鬱かつ
状況から見てそうとしか思いつかなかった俳人は、なら何が原因だと訊ねるがヒナは決して口を開こうとはしない。
「? ……まあ、魔法の使用条件に関係ないなら無理には聴かん。今言った条件は本当で、言いたくないことは条件とは関係ないんだな?」
ヒナに話す気がないと理解した俳人は返答を諦めてそれだけを訊ね、それに対してヒナは首を縦に二度振ることで両方を肯定した。
「なら良い」
他人の事情に首を突っ込むなど面倒、そう考えている俳人は短くそう返すと一瞬でそのやり取りを思考から追いやってヒナの述べた条件を満たすように魔法行使を強くイメージする。
今にも唸り声を発しそうなほどにする俳人だが、どれだけ待ち望んでも魔法行使が成功することは無かった。
「なあ……もう寝よう。芹那に休むように言われたんだから無理するもんじゃ――」
「随分と余裕そうだな……」
何故か出来ない魔法行使。
何度も試して心が折れる前に止めさせようという気遣いからか、ヒナは早い就寝を促す。
だがそんな同情としか取れない言葉が今まさに打ちひしがれている俳人に意図通り伝わるハズもなく、俳人は無意識のうちに棘のある言い方をしてしまった。
「いいから。どう捉えようと構わない。だから今日はもう寝よう……」
「だから――」
そんな状態の俳人に何を言っても意味を成すハズがない。
通常ならばそうなる。
だが英雄を志願し英雄候補と謳われた俳人とて人の子。
成熟した精神を持った大人ならば話が変わるかもしれないが、年齢的には未だ高校卒業直後の一八歳であり社会経験がないゆえにその歳であっても不安定な精神のままだ。
けれども英雄となるために達観しなくてはいけないという強迫観念からか、目に映る震えたヒナの手を目にして言葉を詰まらせることが出来た。
「――ちッ」
舌打ちとともに自己嫌悪に浸る俳人。
劣等感に冷静さを欠き八つ当たりをしてしまったことに対する後ろめたさが、その表情を陰らせる。
「分かったよ。寝りゃ良いんだろ、寝りゃ」
「ああ」
嫌々ながらの了承の態度を隠す気がないながらも寝てくれるという言質を取ったことに安心したヒナは寝る準備のために立ち上がり、俳人は布団の受け取りや準備を手伝おうとその後を追った。
「で、俺の寝る布団はどこに置いてあるんだ? 見た感じ布団サイズの収納場所はなさそうだが……」
着いて来た先はヒナの寝室。
女子が何の躊躇もなく自分の寝室まで同行を許すことに驚きながらヒナが気にしないなら、とあまり遠慮することなく部屋を見渡す。
同行を許したのは物はほとんど無いからだろうか。
部屋の中にはベッドとパソコン、数着の似たジャージ、そして娯楽本が置いてあるだけ。
恐らく趣味の物のほとんどが専用の別の部屋に置かれているのだろう。
「ん。それ」
「ラノベみたいなやり取りをすることは一生ないと思ってたが今やるわ。……俺はソファーで寝るッ」
ヒナが指差したのは、他の何物でもないヒナのベッドだった。
そして多くの
「休むのにソファーは駄目、だろ?」
「……俺普段布団で寝てるから柔らかいベッドだと落ち着かない」
事実、俳人は普段布団で寝ている為、ソファーに変えると大して休むことが出来ない。
確かにそれでは休めない、と本当に布団かを確かめられないヒナはつまらなそうに口をとがらせる。
「ちっ、つまんないなぁ。折角弄れると思ったのに」
関わって間もない人間と一緒に寝るつもりはないと拒絶する俳人。
雰囲気を変えるためか、それとも本心か、恐らくその両方であろうヒナはハッキリと拒絶されて肩を竦めた。
「そ、そういえば歯ぁ磨いてねぇなー」
「歯ブラシはねぇからな? 来客なんてねぇんだから布団も歯ブラシもあるワケがねぇ」
「……おおう、確かに」
考えてみればその通りだと思わず素の反応を垣間見せる俳人はすぐに表情を戻し、どうしようかと思考を巡らせる。
「ん? ああ、芹那から渡された荷物に歯ブラシはあったな」
「よし、なら歯を磨こう、そうしよう」
芹那からの荷物を思い出したヒナの言葉に、俳人は弄りから逃げるように歯ブラシを受け取り寝る準備を整えた。
「んじゃ、おやすみ」
「おやすみ。アンタは無理しすぎだからちゃんと寝てくれよな」
「……おう」
暗闇の中不意に瞼が開く。
決して低い気温ではないが、立夏の夜の冷気がその身体を寝ている間に冷やしていた。
身体の冷たさを自覚すると同時に鳥肌の立った両腕を撫でながら両脚をソファーの外に出し、音が出ないようにゆっくり立ち上がる。
自身の荷物の中からスマホを取り出し画面を点けると表示された時間はもう間もなく深夜一二時になろうかという時刻だった。
僅かに寝癖の立った頭を軽く掻きながら木刀だけを持って再び無音を心掛けて玄関まで歩き、自身の靴に片足を差し込む。
「やっぱりか」
不意に聞こえたその声に肩を跳ね上げ、恐る恐る背後に振り返った。
するとそこにいたのは未だ寝ているハズのヒナ。
俳人と同じように僅かな寝癖をつけているヒナは悲し気な眼差しで俳人を見ている。
「……どうして分かったんだ?」
最早言い訳は出来まいと悟った俳人は諦めたように片足の靴を脱ぎ、茶化すような軽薄な笑い交じりにそう訊ねた。
「引っかかるところは色々あった。高校にいた時にどうして一人違う所にいたのか、とかな」
だが当然その程度の手掛かりで俳人の行動を予測することは出来ない。
決定打は何だと俳人は次の言葉を待ち、ヒナはゆっくり口を開く。
「確証に至ったのは今日。……魔法が使えなかったからだ」
「そうか……」
魔法が使えないと分かった時の露骨な態度の変化。
あの時は別の理由かと思っていたが今こうして向き合った時点で、あの時の態度の変化がそうなのではないかという心当たりが芽生えていた。
「言った通り魔法の行使方法は言ってしまえば『ただ念じるだけ』だ」
正確には他の要因もあるのかもしれないが、核となる手段は間違いなく意思の力である。
そしてそれはとある一つの真実を導き出した。
「アンタはあの時魔法を行使しようとして『行使出来なかった』つまりアンタは魔法行使に集中出来ていなかった。馬鹿はともかくアンタがあの程度の行使法を思い浮かばなかったワケがない、つまり思考力と集中力。総じて脳作業が出来る
「ふっ……確かにな」
意思を必要とする行為に失敗するという事は意思が不十分ということに他ならない。
その程度の事も想定出来ない、その事実に俳人は自虐的に笑う。
「となると、だ。出来ない理由は脳疲労になる。それで脳疲労の原因は徹夜、と」
「あ~はいはい。だから寝ろっていったのね」
不可解な行動全てに合点がいき、正にお手上げ状態とばかりに両手を上げる俳人。
「ならなんで徹夜をしたか。答えは深夜警備」
「はいはい、その通りですよー」
諦めたように振る舞う俳人はいい加減な態度でヒナの答えを肯定した。
そしてヒナは俳人に対して苛立ちを見せる。
だが理由はそんないい加減な態度が理由ではない。
ヒナは別の理由で俳人に対して苛立っていた。
「どうして……一人でやるんだ?」
適当な態度を見せていた俳人がその問いかけに動揺を見せる。
動揺とはいっても反射的に反応し、指先がピクリと僅かに動いた程度だ。
「ん~。そりゃ他の奴らにこんなこと頼めないだろ? 自分の意思なら兎も角、休みなしで徹夜とかどんなブラック企業だよ」
むしろブラック企業でも少しの休憩はあるんじゃないのかと俳人はケラケラ軽い笑い声を発する。
当然そんな返しでヒナが納得するワケもなく、露骨に眉を
「じゃあ……なんで私に声を掛けなかったんだ?」
「それは……休ませた方が良いと思ったからだ」
不満の隠しきれないヒナ。
誰が見ても嘘を吐いていると分かる表情で苦し紛れの言い訳を述べる俳人。
「私は……手伝ってやるって言ったよな? アンタにとって私はそんなにも頼りないか? ただ一言『一緒について来てくれないか』ということすら出来ない頼りなくて情けない奴ってことか?」
「ち、違う!? そうじゃない!!」
「ああ、違うよな。アンタにとって――自分以外は……他人の言葉なんてどうでも良いんだもんな」
怒りからかヒナは震えるほど強く拳を握り込んでいた。
それもそうだろう。
ヒナは俳人にとって行動を共にする『仲間』であったハズ。
にも関わらず俳人が行ったのは一種の裏切り。
決して仲間にする仕打ちではない。
「アンタは何でもかんでも一人でやろうとする。仲間を作っているように見えてその実大事な場面は自分一人でやろうとする。少なくとも……英雄のやる事じゃない」
「ッ!?」
怒りに震える拳とは裏腹に淡々と述べられる冷たい言葉。
自身の行いを他人の目から突きつけられ、俳人は大きく狼狽する。
「行き過ぎた個人主義。あたかも『自分は冷静です』『自分には余裕があります』と言わんばかりのふざけた口調。救助の時のカッコつけた態度。そして……英雄願望。お前のやっていることはただの中二病だ」
娯楽の飽和したような現代社会。
探せば今と同じようなシチュエーションは腐るほど出てくるハズだ。
そして今の俳人は、何度も見たことのある問題を解いて一〇〇点を出して調子にのる子どもと同じ状況。
紛れもない『思春期に見られる背伸びしがちな言動』。
これを中二病と言わずしてなんと言おう。
「頼れよ! ゲームと同じ感覚でいつまでもいるつもりか!? なんでもかんでも一人で出来るワケないに決まってるだろ! もしかしたらアンタにも過去辛いことがあって他人と接するのが心のどこかで怖いのかもしんねぇ。でも、だったら今後は私を頼れ! 少なくとも私は、アンタが嫌いだともアンタに頼られるのを嫌だとも思ってない!!」
興奮したヒナは遂に俳人の胸倉を持ち上げるように掴み、締めた。
もちろん身長差のせいで苦しさを与えるほどではない。
だがその気迫が俳人に伝わる。
「俺は…………」
「頼むから私だけでも良いから頼ってくれ。じゃないとお前が潰れちまう……」
辛そうな声音。
胸倉を掴む手から徐々に力が抜け、やがてぶらりと垂れ落ちる。
「……」
「……もう寝るぞ」
なにも言えない俳人。
それを感じ取ったヒナは無抵抗な俳人の腕を掴み、押し倒すようにベッドの上に放り投げた。
呆然としたように考え込む俳人は受け身を取ることなくそのままベッドに衝突し、痛みのない衝撃で意識を元に戻す。
「次同じ無茶しようとしたらぶん殴るからちゃんと憶えとけよ」
「……分かった」
心ここに在らずな様子で返事を返す俳人。
だが説教されたことや、その結果ヒナに心を開き、疲労が溜まっていたということですぐに眠気が襲いかかり思考を止めさせた。
「ヒナ」
微睡む意識の中、最後に言っておかねばと僅かに残っている俳人の理性が口を開かせる。
「なんだ?」
「……ごめーーいや、ありがとう」
ヒナは謝ってほしくて俳人を説教したのではない。
それを理解した俳人は『ごめん』と言いかけてから『ありがとう』と言い直し、その直後に寝息を立て始めた。
「……ホント、変わった奴だよ。オマエ」
自分の言いたいことだけ言ってすぐ眠りに落ちた俳人の背中をチラリと見ながら呆れるようでいて面白がるような小さな笑いを零し、ヒナもゆっくりと下りる目蓋と同じようにゆっくりと意識を失っていった。
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