第一一話 ~休息~
『富家くん、今日はもう休んで』
芹那の命令を受け俳人はヒナと二人休んでいた。
だがその場所はどちらの学校でもなく、産業道路にほど近いヒナの家。
これは二人が静かな場所を求めた結果であり、英雄に至らんとする者が人々に易々と傷付いた姿を見せるモノではないという考えの結果でもあった。
「悪いなヒナ、別にものすごく離れているというワケではないが少し離れててな……」
「あ~別に良いよ。実時間じゃ一日にも満たないがアンタと話して悪い奴じゃないってのは分かってるし」
お互い満身創痍で良からぬことを考える気力すら残っていないことを理解しているヒナは身の安全を確信しているのか大して気にする事もなく、髪から湯気を漂わせながら気にするなとばかりに手を振る。
「そうか……」
「それに欲求不満になったとしても理性と理屈で動くアンタが、自分で言うのもなんだが現状アンタに次ぐ実力者である私を手放すような馬鹿をするワケがないからな」
ヒナに手を出すという事はヒナが身重の身体になる可能性があるという事。
そうならなかったとしても二人の間に亀裂を生むことは必至。世界の救済を掲げる俳人が脳が疲弊しているとはいえ一時の欲で身を滅ぼす愚行はしないという確証は付き合いの短いヒナとて理解出来る話だ。
「だな。魅力が無いワケじゃねえが……少なくとも無理矢理は俺の趣味じゃねえ」
「いや、そこまでは聞いてねぇよ」
自己完結で納得していた部分に聞いていない情報を追加され呆れた苦笑いを見せるヒナ。
すると俳人は肩を竦めながら苦笑し返し、その所為でズキリと痛んだ頬の傷を撫でる。
気が緩んでいるのか、余程痛いのか、隠す気のない様子にヒナは土で汚れた俳人の身体を見て思い出したように男物の服を持っていた荷物の中から取り出し自身の家に置いていたバスタオルとともに手渡し風呂に入るように促した。
互いに疲労が溜まっていてそこまで気が及ばず失念していたが俳人は全身濡れた状態であり、一部は泥に覆われている。
このままでは破傷風などの危険性や単純に風邪の可能性がある。
そういった様々な可能性を考えた俳人は異性の家で風呂に入るという気恥ずかしさよりも風呂に入ることを優先した。
「まあ家主がそう言ってることだし……有難く入らせて貰おうか」
「ああ、シャンプーやトリートメント、ボディソープなんかは好きに使って良いから。日用品の買い出しが面倒で大量に貯蔵してあるからいくらでも置いてるし」
風呂用品の使用許可を受けながら俳人は風呂場へ続く扉を開ける。
すると中からはさっきまでヒナから漂っていた甘い香りと同じ香りが流れ、熱を孕んだ湯気が俳人の鼻腔を広げながら鼻をくすぐる。
「おーい変態。そういうのはせめて見えないところでやれー、無頓着な私でも流石にキモイと思うから」
「変態ではない。変態紳士だ。……と
「それは分かるけど……」
そんな下らない会話を切り上げ、俳人は脱衣所に着替え類を置き、汚れた服を脱いだ。
つい普段の癖で洗濯籠らしき容器に入れそうになったが使い物にならない姿を見て風呂場で水分を絞り出してから袋に入れてゴミ箱の中に捨てる。
「イテテ……火傷に加えて爆発の衝撃で飛んできた石で出来た傷がハンパねぇな」
椅子に腰を下ろしながら浴室の鑑に身体を映し怪我を見る。
身体は主に肌色と白と赤と黒で出来ていた。
本来の肌色。
なんらかの影響で色素の抜けた白。
火傷の痕の僅かな赤。
そして刺さった木刀が焼けて炭化した刺青のような背中の黒。
「ホント、ファンタジーの主人公はスゲェな。身体能力と言いバケモンだろ」
冷えた身体に掛かるお湯は徐々に身体の感覚を取り戻し、初めは掛かっているという感覚で熱など感じていなかったが感覚を取り戻したお陰でお湯の熱を感じることが出来る。
そしてそれと同時に全身の異常、末端の痺れに気が初めて付いた。
「疲れ……低体温による麻痺……極度の緊張から解放されたことによる筋弛緩……どれかは分からんが情けないな」
指が震え、思うように動かない。
いくら拳を握ろうとしても指が動かず、気を緩めればゆっくりと手が開いてしまう。
「ヒナが風呂を上がるのが遅かったのもコレが原因か……」
初めは女だからという事で納得していたが今思えば確かにそれだけにしては長かった。
きっと緊張から解放されたからだろうと顔を俯かせる俳人は手に意識を集中させながら頭に大量のお湯を浴び続ける。
頭から流れ落ちた湯は全体に伸び、蓋のようになっていた背中の炭を洗い落とし、初めは黒かった湯を少しずつ赤く変えていく。
「朝と比べて明らかに広がりを増しているこの白は一体なんなのやら。……もし死の宣告とか言われたら笑うに笑えねぇな」
顔は完全に白く、目は色素を失い透明になり血管を透かした真紅、髪もほとんどが白く通常の『黒髪に僅かな
身体も既に大部分が白く、残っている部分と言えば左腕肘から先と両脚脛半ばから下。
これまで痛みで険しい目つきになっていたため気付かなかったが、更には視力も若干の低下がみられた。
「状況としてはアルビノと似たようなモンか。少し目を開けば光が酷く
ズキリズキリと痛む目を閉じる。
軽くはなれども未だ眩い光に俳人は溜め息を吐きながら掌でシャンプーを泡立て始めた。
「悪い、背中の木片を取ってくれ」
全身を洗った俳人は身体から湯の熱気を発しながらヒナに背を向けて腰を下ろした。
もちろん俳人とて初めは自分で済ませようと思っていたがやはり背中という事もあり中々手が届かず、弱った目では鏡越しに見ることも出来ないため致し方なくヒナに背中を任せることにしたのだ。
「あ、ああ……」
だがヒナは大して驚くこともなく、分かっていたかのように用意していたピンセットでゆっくり慎重に背中に刺さった木片を取り除く。
取り除いた部分から滲み出た血や内部に僅かに入り込んでいた炭を汗拭き用のシートで拭い、時間を掛けてゆっくりと全ての木片を取り除いていった。
「悪い……」
「あ? 何がだ」
「私のせいで……私を庇ったからこんな傷が……」
ヒナの心を後悔と自責の念が支配する。
あの時慎重に動いていれば、そうすればこんな怪我をさせずに済んだ。
そんな思いがヒナの頭の中をぐるぐると循環する。
「別に良いよ、気にしてねぇし。後遺症がありゃ嫌味の一つや二つ言ってやるつもりだったがなんともないからな」
特段肉体美を気にするような趣味は持っていない。
身体の美しさを誇るボディビルダーやナルシストなら気にするのかもしれないが、基本的に実用性重視である俳人は見た目、それも背中の傷など大して気にしないのだ。
そもそも痕が残るほどの重傷とも思っていない。
普通に安静にしていれば傷痕が残ることはまずなく、残ったとすればそれは自身の所為。
となればヒナを責める理由が俳人にはないのである。
「でも……」
「あ~……ヒナさん? 気にするなと言っても気にするのが人間だけど、さ……キミが悔しそうに力んでいる手は今俺の背中にあるの!」
顔を苦痛に歪ませ、声を震わせながら俳人は叫んだ。
力んだ手は俳人の背中の皮膚を歪ませ、傷口から余計な出血をさせている。
「あっ……わ、悪い」
「ホントヤメテ、ステータス方式の世界だったらワンチャン俺死んでる。死因が女の子の自責の結果になっちゃう。てか俺にダメージ入ってるから他責になってる」
痛みで興奮した影響でふざけた口調の口数が増える俳人。
「もう終わった?!」
「え、ああ。多分全部取れた」
「ならもうインナー着るから!」
終わった以上、上裸でいる趣味のない俳人は終わったことを確認して風呂に入る前に渡されていた服に着替える。
着慣れた安物のポリエステル100%のインナーと綿のシャツを素早く着た俳人は疲れたようにあからさまに息を吐いた。
「てかそう言えばなんでヒナが俺の服を持ってるんだ?」
ある程度緊張を安らがせたお陰で精神的な余裕が出来た俳人がふと尋ねる。
「芹那から渡された」
「ああ、大体のサイズで渡せば合うしな」
ヒナもダメージがあったとはいえ俳人に比べれば軽微なもの。
それ以前に俳人は重い物を持っている。
更に荷物を持たせるワケにはいかないと考えたのだ。
「その時飯も渡された。……あと、今日はもう休めって」
ヒナが鞄の中から袋の中に入った二人の食事を取り出すとその袋の中に一枚の紙が入ってることに気付く。
何かと思って四つ折りにされた紙を開くとそこには大きく『休め!!』と書かれていた。
「だとさ。今日はもう外にゃ出れんな」
「初めから出る気ないっての。過労死するわ」
ケラケラと愉快そうに笑う俳人にヒナは呆れたように小さく溜め息を吐く。
面倒だという理由以外にも、こんな状況で外に出るのは明らかな自殺行為だからだ。
「だな。流石に雨の中は俺も嫌だ」
「そうだ。……ん? そういう話?」
論点が微妙にズレている感覚を覚えたヒナは僅かに首を傾げる。
ズラした自覚のある俳人は挑発的な笑みを浮かべながら背嚢の中からスマホを取り出した。
外に出ない以上今の二人に出来るのは情報収集と情報発信、そして多少の検証くらいだろう。
「はぁ……情報は少ないな……」
現時点では魔物に立ち向かおうとする者たちは極少数だ。
俳人たちの活躍によって多少は増えているがそれも微々たるもの、発信される情報はほとんどが既知のものであり得られる情報と言えば自分とは違う視点での考察くらいのもの。
まだ時期ではないことは重々承知ではあるがそれにしてもあまりにも情報が少なすぎる。
自分が救うよりも早く世界が滅ぶのが早いかもしれない。
そんな不吉な考えをしてしまう程度には人々が無抵抗だった。
「あ、そうだ……原因は分からないが私も肌の一部が白くなってたぞ」
「そうか……。……は!? え? は? マジで!? どこら辺?!」
ヒナから発された驚愕の事実。
だが俳人は情報量の少なさに打ちひしがれ一度生返事を返してしまう。
そしてヒナの言葉を理解した途端ソファーにも深くたれかかっていた俳人は身体を撥ね上げ、全身の痛みを忘れてヒナに詰め寄った。
「お、落ち着けよ。変色は顔の一部てか鼻の頭と胸から腹に掛けた身体の前面、背中は確認出来なかった」
「鼻!? ……ムムム」
白変していた部位を聞いて鼻の先端を視力低下の為に大きく近付き、超至近距離で鼻の頭をマジマジと見つめる俳人。
「ちょ!? ち、近いって……」
「確かに鼻の先が白い。元々がかなり白いしこの部屋は薄暗いから気付かなかったが確かに変色してる」
「だ、だから近いって言ってるだろ……」
「え……あ、スマン……」
異性に慣れていないヒナは恥ずかしそうに顔を赤らめながら少しずつ顔を離し、鼻しか見ていなかった俳人はヒナが遠ざかることで入った顔――唇でヒナの言っていることを理解し気まずそうに離れた。
「そ、それで……どうしてそんなに反応したんだ? 自分も変色してるんだから別に特別な事ではないだろ?」
「ああ、理由は仮説が確証を持ち始めたからだな」
「確証?」
「そう。確証」
原因が分かったのかと問いかけるヒナに俳人は恐らくは、と言った様子で肯定をする。
突如現れた魔物、ネット上ではモンスターと呼称しているその存在はヒナも他の人々も知る通り殺せば魔石だけを残して霧のように拡散して消える。
そしてまだ検証していない他の者たちが知るところではないが、容器に入れた状態であっても同じように変わらず霧散した。
現実にもドライアイスのように固体から気体へと昇華する物質は存在している。
だが状況があまりにも不可解すぎるのだ。
固体よりも液体の方が密度が高い水などの異常液体を除けば固体よりも液体、液体よりも気体の方が密度が低い、つまり体積が大きくなるというのが普通。
にもか関わらず容器に入れた時霧散の仕方に変化はなかった。
物質の三態で体積が変化するにもかかわらず容器内での霧散に一切の影響がない。
突如現れた存在だ、突然消える可能性だってあるかもしれない。
そう言ってしまえば元も子もないのだが、物質に干渉し現実として人の命を奪っている以上最低限の法則はあるハズである。
霧散する場所に要素は不明だが血の影響が及ばぬところからという法則性があったように霧散にもある程度の法則があるハズだ。でなければ生きた状態ですら霧散する可能性があるのだから。
その法則、未だ不明ながら仮説の立てようはある。
例えば霧散後の肉体は通常の物質とは干渉しない。
例えば物質としての状態が不適合ゆえに干渉しない。
俳人の考えた仮説はこうだ。
異なる世界ゆえにこの世界とは違う原子論で世界が動いているのではないか。
魔物の根源が異なる世界だということは可能性としては極小ではないと俳人は考えている。
なぜならば今日戦った虎狼が言葉を操ったから。
例え言葉を聞けようと、例え言葉を発せようとも、言葉の意味を知らねば意思疎通が不可能。
けれども虎狼は確かに二人の言葉を理解した。
ゆえに虎狼が本当に生まれた地はそれなりの確率で異世界だろう、と。
「なんつーか……すっげえ面倒な話だな」
「まあ、多分……勘交じりだが意図的な侵略じゃないだろうし。その辺は楽で良いよな」
「ん? どうして意図的じゃないと思ったんだ? そんなこと言ってたっけ?」
勘交じりとはいえ『意図的ではない』、そう判断した理由が共に行動していたヒナであっても覚えがなかった。
「いや、言ってない。てか言ってないからこそそう思ったんだよ」
「ワケ分からん」
得た情報が無いにも関わらずそう考える理由が分からずヒナは余計に頭を悩ませる。
「常にそうというワケではないけど『情報が無い』というのも情報に成り得る場合がある。今回で言えばあの虎みたいな狼みたいな……虎狼が一切上司に関する言動をしていなかった。この地の脅威、って言った辺りこの辺を支配するつもりはあったのかもしれないが指示で動いている感じがしなかったんだよ。あくまで私欲で支配しようとしている感じ、街を徘徊するゴブリンとかの動きも規則性がない感じだった。仮に異世界に干渉する術を見つけ意図的にそれを行ったとしたら世界規模という辺り巨大な組織だ。だが動きが単調かつ無意味なモノが多かったという事は組織的な侵略ではないんだよ」
仮に組織的なモノだった場合大量にいるゴブリンはどの個体も装備をしていない点から考えて生み出された人工生命のような数を造って侵略する生物兵器の一種となる。
そして生物兵器という事は一定の指示は下されるハズなのだが、その様子がない。
やること成すこと全て不規則。
生物兵器として造るのならば謀反が起きないように指示に従う機械をなどを装着したり、指示を遂行するだけの最低限の知能は与えるものだ。
にも関わらず無秩序な破壊行為。
となると組織的な侵略という可能性はゼロではないがかなり薄くなる。
そして組織的な侵略が否定された場合、残る可能性は双方の意思が介入しない奇跡的偶然な世界同士のなんらかの干渉というモノが残るのだ。
「へぇ……同情するワケじゃないケド、その仮説だとアイツらも被害者ってことか」
「お、同情しないんだな。普通なら同情すると思ってたわ」
「対話と交渉が可能なら兎も角いきなり襲い掛かってくるなら普通に殺すに決まってるよ」
ヒナの人物像を把握しきってはいない俳人はヒナが多少なりとも躊躇すると思っていただけに良い意味で裏切られたかのように楽し気に笑う。
「だな」
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