第九話 ~未知~

「ぐッ!!」

「にぃッ!!」

 

 迫る火球。

 ぬかるんだ地面の影響で思うように動けずギリギリでしか回避が出来ない。

 火球を躱せたのは奇しくも回避を困難にさせていた雨のお陰。

 泥にとられた足は摩擦がなくなったかのように地面を滑り、仰け反るように体勢が崩れる。

 鼻先をジリジリと焼く熱風。

 火球が通ったのは僅かな隙間を開けた上空鼻先五センチ。

 けれど、直撃はせずとも地面に衝突した火球はその形を失い周囲に爆散。

 戦っていた二人の背中を叩くように強烈な爆風が吹き付ける。


「完全に慢心してたな……」


 爆風で散った小石で出来た傷から染み出る血を拭う俳人。

 ズボンは右膝の外側が地面との摩擦で消滅し、シャツは背中の部分を大きく失っていた。

 大怪我と言えるダメージ量。

 だがこれは全て一〇分にも満たない僅かな時間で負ったモノだ。




「ちょっと腹減ってきたな」

「ん、そうだな。俺はともかく見るからにガリガリなヒナに断食させるワケにはいかんな」


 俳人は男であり以前まで高校生だったことから運動をあまりしておらずともそれなりの筋量と運動をしていないがゆえのちょっとした脂肪量はある。

 だがヒナは女であり、高校を中退した引きこもり。

 上半身の筋量は乏しく、少食なのか引きこもりを彷彿とさせる自堕落な脂肪すら乏しかった。

 さらに、俳人から言わせれば男ならともかく女の断食にロクなメリットはない。

 それら事も含め、俳人は校内にいる魔物を粗方討伐をしたことを確認し、それで終了とした。


「今に見てろ、筋肉つけてムキムキになってやる」


 俳人の物言いに少し腹を立てたヒナは頼りない腕で皆無の力こぶを作り、そう宣言する。


「お、マジで? その時にはぜひお腹の見える服をば。個人的な性性癖になるが……女の腹筋って良いヨネ!」

「知るか。誰がそんな腹壊しそうな服着るか」


 中々に良い笑顔で聞かれてもいない自身の性性癖を暴露する俳人にヒナはヤレヤレといった表情で頭痛を堪えるように額を抑えた。


「てか、ここにいる奴らの飯はどーするんだよ?」

「うん? ああ、それに関しちゃ抜かりはナッシング! 既に藤井芹那に連絡してある。もう間もなく着くハズ、てか連絡はしなくて良いって言ってるからもう配給済みかもな」


 実際、二人が体育館に入った時にはヘラヘラと笑う俳人の言葉通り芹那の率いるメンバーが既に到着していて纏まった物資を置き、それらを配給している所だった。


「やあ、事前に連絡した通り必要な物は全て持って来てくれたみたいだな」


 置かれた物資を一瞥した俳人は静かな体育館中に届くように大きく、けれどもそれを悟られない程度の普段との僅かな声量差で配給を支持する芹那に語り掛ける。

 なぜわざわざそんなことをしたかと言うと、偏に元々体育館にいた者たちに藤井芹那を認知させるため。

 芹那が俳人の指示で来た、と言っても体育館の者たちにその真偽は分からない。

 その真偽を全員に理解させるためというのが一つ。

 そして芹那が富家葉石から指示を出されるような富家葉石に次ぐ立場の存在である、ということを認知させるため。

 世界を救う、という通り俳人はこの地に長期滞在をするつもりはない。

 いつかこの地を離れるその時、この地の統治平定を一任出来るような存在を作り今のうちに基盤を造ろうとしていたのだ。


「え、ええ。避難生活に必要な物資は指示通り全て……どうしたの? 飛鳥ちゃん」

「い、いや、なんでもない」


 僅かに顔を俯かせ、手で顔を隠すようにしているヒナは俳人の企みを理解したのか隠すように、されども耐え切れず吹き出すようにふふっ、と小さく笑う。


「ヒナに関しては……気にしなくて良い。それよりも何か異変はあったか?」


 理解されていることを理解した俳人は誤魔化すように何か有力な情報があったかと尋ねる。


「そうね……強いて言うなら初めて見るモンスターが現れた。それくらいね。ただ昨日会ってなかっただけでしょうから異変とは言えないでしょうけど」


 昨日の芹那の実働時間は六時間にも満たない。

 僅かな時間だから新しいモンスターに出会うのは当然だろう、そう考える芹那は「あまり面白みのない話ね」と笑って片付ける。

 実際、俳人も同じような考えゆえに特に感情を揺らすことなく遭遇時の対処の参考、程度の認識だった。


「出会ったのは獣のモンスター。灰色の毛の虎のような狼のような表現が難しい容姿だったわ」

「キメラみたいな感じか……」

「特徴としては速度。けど攻撃向きではなく回避や逃亡向きという印象が強かったわね。速度は確かに速いのだけども一直線で方向転換する時は明らかな隙が出来る、そんな感じね」


 特徴を聞いた限りでは実力不足の俳人にとって戦いたくない、戦うべきではない相手だ。

 俳人は体力面で他者に劣り、脚も決して速いワケではない。

 勝てない、ということはないだろうがそれでも時間が掛かるのは必至。

 少数ならばまだしも多数や連続で相手取るのは避けるべきというのは確かだ。


「……なにも言わないってことは他に報告することは無いんだな?」

「ええ、何の異常もない異常な光景よ……」

「……そうか」


 異常を日常を受け入れるしかない。

 そんな悔しさを耐えるような表情をする芹那に声を掛けようとするものの掛ける言葉が見つからず口を噤む俳人。


「それで? どーすんだよ、これから」

「ん~? そうだな、人手は足りてるからハッキリ言って手持ち無沙汰なんだよな」


 正直な話でいえば現状、俳人が一般の者と接してもメリットらしいメリットがない。

 多少の英雄視があるため進んで接したい、そう思う者も少なくは無いだろうがそれでも半数以上が接しあぐねている状況だ。

 英雄視を除けば一般人から見た富家葉石という存在は突如現れた謎生命体を殺す凶悪――とまでは行かずとも凶暴という認識が多いだろう。

 確かにモンスターは一般人の目から見ても人間の命を脅かす凶悪な生物。

 だがだからと言って『殺す』というのは一般人からすれば受け入れ難い行為である事も確か。

 魔物という存在を比喩するとすれば『犯罪者』だ。

 もっと言えば『殺人鬼』。

 決して望まれる存在ではない。

 襲われれば誰だって抵抗はするだろう。

 しかしその抵抗が『殺し』となれば人々の認識は大きく異なるのは火を見るよりも明らかだ。

 それが正当防衛であったとしても一般人というのは目の前で行なわれる『殺し』を許容出来ず、相手が殺人鬼であったとしても殺せば殺人者のレッテルは免れない。

 そして富家葉石を殺人者として認知させる事は容易。

 これまで俳人が遭遇し、殺した魔物のほとんどがゴブリンという『人型』だ。

 確かに人型生物を殺せば殺人者というワケではない。

 猿を一匹殺したところでそれを咎める者はいても、それを殺人と呼称する者はいない。

 だが魔物は『未知』の存在。

 例え殺人を平然と犯す好戦的な存在であったとしても、その対象に『人』という可能性が少なからず存在している限り、富家葉石が人型のモンスターを殺したという事実がある限り少なからず人は富家葉石を殺人鬼を謗るだろう。

 ゆえに今、俳人が人々と接することは避けるべきなのだ。


「…………外、行くか」


 つまり今行なうべきはこの場からの退散。

 判断しかねているとはいえ……むしろ判断しかねている今だからこそ安心させ冷静に考えさせるために俳人は彼らと接するワケにはいかなかった。


「正直言って私はテメェが何を考えてるのかなんて分かんねぇし、少なくとも今は聞く気も知る気もねぇ。けど目的が世界救済ってのは賛成だ。私も動きづらい世界は面倒だからな」


 人々が真実と違うことを考え、けれども本人が訂正しても聞く耳を持たれるワケがない。

 そんなままならなさに歯痒い思いをしていると唐突にヒナが口を開いた。


「まだゲーム感覚があるから断定は出来ないけど、多分私は魔物と戦うのが好き……というか冒険とかスリルのたぐいが好きだ。けどそれを思う存分楽しむために自由が必要だ、だからテメェの目的の一つであるソコが変わんねぇ限りは手伝ってやるよ」


 ヒナにとっては他愛ない会話の一つなのだろう。

 一切表情を変えることも、目も合わせることもなくただ淡々と告げられる言葉に俳人は戸惑うように忙しなく瞬きを重ね、ヒナの横顔をジッと見つめていた。


「どうして……急にそんなことを?」


 横顔を見つめるその表情には隠そうとしても隠しきれなかった眉のひそみがある。


「さあ? ……ただ何となく。何となくこうした方が良い、そう思っただけだ」

「なんだそれは……」


 ほとんど何の理由も無い、ただ直感に従っただけ。

 その行動理由に俳人は呆れるような声音を使いながら楽しそうに、嬉しそうに頬を綻ばせた。


「まあ――」


 だがそんな緩んだ表情がグラウンドに踏み込んだ瞬間、一瞬にして険しくなる。

 正確にはグラウンドに踏み込んだ時、目に飛び込んだ存在を認知した瞬間険しくなった。


「気ぃ抜くなよ、絶対」

「分かってる。アレは……段違い・・・


 そこには何かを待ち構えるかのように単身佇む人型の異形の姿があった。


「……おいおい、負けフラグか? やめてくれよ、俺は戦うしかねぇんだよ」


 季節ゆえか少し前まで晴れ渡っていた空は気付けばどんより暗く曇り、僅かずつ水滴を垂らしている。

 それは創作物フィクションならばまるで悪い事がある前兆。俳人にはそれが負けフラグのように思えて仕方がなかった。


「んなくだらないこと言ってる暇あったら――」


 お互いに虚勢を張るような言動。

 引き攣った笑いで発せられるヒナの言葉は最後まで続くことは無い。

 ゆっくりと挙げられた灰色の体毛に覆われた異形の腕。

 警戒すべき対象の一挙手一投足に集中しなくてはならないからだ。


『オマエ……タチガ…………』

「ッ!?」

「リアルでかよ……」


 静かに伸ばされた指はヒナ、俳人と二人を順に指す。

 だがその指の警戒も忘れ去ってしまうほどに二人はその異形が喋ったことに驚いていた。

 くぐもった日本語、低く鈍い獣の声。

 その二つが同時に二人の耳朶を揺らす。

 聴き取り辛い日本語は異形の成す口の形とは関係なく紡がれる。


『オ前タチガ……コノ地の脅威。喜べ、私が相手をしテやろウ』


 小さな口の動きとは裏腹に校舎まで轟く声は体育館に避難していた者たちを観客として呼び寄せる。

 校内の魔物は全て倒したとはいえ侵入していないとは言えない状況。

 曖昧な安全しかない校舎に広がる一般人たちの声に思わず目を向けてしまった俳人は虎と狼の混ざったような異形、芹那が遭遇したという魔物を人型にしたような異形の初撃を回避出来なかった。


『この身体は酷く軽い。爪も脆く拳を撃つのみ。だが無抵抗の相手に直撃させたとてやはりこの程度でしかない』


 常に虎狼を注視していたとしても回避は出来なかっただろう。

 だがダメージは俳人が想定していた何倍も軽微だった。

 硬いと思っていた拳は柔らかく、その威力のほとんどは速度によるモノということは誰の目から見ても確かである。


「で? な~んで俺らにそんなことぶっちゃけたのかな~?」


少しでも動きが単調になれば。そう思って神経を逆撫でするような声音と口調、表情で虎狼に語り掛けるが意味を成さない。

 むしろ初めからそんな言動は理解出来ていないばかりの落ち着きよう、けれども確かに発言を理解して虎狼は俳人の問いに律義に答える。


『そんな弱点を補うべく私はある力を得た。……私の姿を見た瞬間忍び、殺さなかった今、最早お前たちに勝ち目はないと考えよ』


 文字通り目にも止まらぬ速さで初めにいた辺りに戻った虎狼はまるで爪で切りかかるように腕を大きく後ろに引き、その掌の上に拳ほどの大きさの火球を生み出し、切りかかる動作と共に火球を二人に向けて飛ばした。


「ッブネ!」

「ッァ!?」


 速く、されども虎狼よりは遅いスピードで火球が二人に迫る。

 比較対象が段違いな所為もあるが火球の軌道は確かに見切れている。

 だが目に身体がついて行かない。

 加速した思考と肉体のズレ。

 未熟な肉体では速い火球はギリギリでしか避けることが出来ない。


「こっちは飛び道具がないんだよ!」

「ばッ!? 待て! ヒナ!!」


 射程の差にヒナが俳人の制止の声も聴かず飛び出した。

 だが仕方のないことだろう。

 避けてばかりでは何も変わらない。

 けれどもそんなことは当然虎狼側も分かっている事で、俳人に向けられていた火球がこの瞬間だけ全てヒナに集中する。


「~~~~ッ!!」


 回避は間に合わない。

 そう判断したヒナは咄嗟に頭を庇うように顔の前に両腕を交差させた。

 直撃まで残り4メートル。

 直視していれば眩い光が目を刺すほどの距離。

 死を覚悟しながら目を閉じようとした瞬間、ヒナの目に飛び込んできたのは黒い短木刀と俳人の顔だった。

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