第五話 〜身体の異変〜
焼けるような、ヒリヒリと身体の表面を広がる感覚が深くまで突き刺さる。
身を緩やかに蝕む熱と、一瞬にも満たない刹那の激痛で意識が強制的に呼び起こされた。
「痛ッ! ……かった気がした。まあ日焼けを三倍にしたくらいの辛さがあることは確かだな」
感覚的には火だけをつけたガスコンロの上、耐えられるギリギリの位置に腕を晒し続けるかのような熱さと刺す感覚が大量に貼られた湿布と長袖のワイシャツの下で広がっている。
「あン? ンだこれ」
原因不明の腕の熱を冷ますために校舎端の男子トイレへ赴き袖を捲り湿布を剥がすとその異常が表へ出てきた。
別に火傷を負っていたワケではない。
刺し傷切り傷が腕を這っていたワケでもない。
這っていたのは『白』。
模様、というワケではなく蔦や蛇が絡みつくように、前腕を廻り肘を通り上腕を駆け上がって肩の辺りで止まっていた。
よく見れば掌や指先も白く、前腕部にも見覚えがあるような形状をした白い線が腕を這う主線に繋がっている。
虫刺されを自覚すると途端に痒くなるように、熱と鋭い痛みを増した腕を静めるように俳人は無駄なほどに放出した大量の水道水に腕を晒した。
だが効果はない。
むしろ逆効果だと言わんばかりに、腕の熱と水の冷気のコントラストによってその熱と痛みが際立つ。
スイカに塩を掛けると甘さが際立つように、熱と痛みが増したおかげで一つだけ分かったことがあった。
それは熱と痛みを感じるのが不自然な『白色』と自然な『薄茶色』の狭間から生まれているということ。
「白い部分じゃなくてその間だと? 今なお広がる痛みが『侵食』として、その侵食によって発生した苦痛ということか? それとも白と普通の部分とで肉体が変化していると仮定して、その拒絶反応か? ……分からん」
熱と痛みが生じる理由、そもそもとして何故一部分だけ白く変質したのか、俳人は寝起きの脳を最大限活性化させるがやはり答えは出ない。
昨日からずっと理解が追いつかないと悔しそうに歯を食いしばりながら顔を上げた俳人はそこで更なる異変に気付いた。
今までは腕の方が強く感じていて気付かなかったが、鏡に映った自分の右側の頬や首筋にも白い線があったのだ。
それは腕に比べとても細く横に伸びている。
けれどもただ横に細く長く伸びるのではなく、ところどころが下に向かって伸びようとしていた。
「流石にこれは隠せねえよな……」
腕だけならば隠しようはいくらでもあった。
だが顔や首は怪しまれることなく隠すことは出来ない。
確実にバレてしまう。
「このタイミングで変な病気とか勘弁してくれよな」
今はまだ死ぬワケにはいかない、そう鏡に映った自分を睨みつける俳人は勢いよく吹き出し水飛沫を散らす蛇口を閉める。
「あ……」
腕や頬、首筋の『白』によく似た白磁の壁。
光沢を放つ壁に付着し、垂れる小さな水の姿によって一つの仮説が生み出された。
根拠と呼べるものは存在しない。
皆無だ。
にもかかわらず、垂れる水の姿、白い線の形状、そしてその位置。
共通点などないに等しいそれらが、たった一つの記憶によって結合してしまったのだ。
「モンスターの血、が要因の一つか」
そう、昨日一番初めに殺したゴブリンの返り血。
その位置と同じだった。
形状が同じかまでは分からないが、その形状は少なくとも液体がものに付着したまま垂れる時のもののソレ。
腕の主線に関しては思い当たる節がないのだが、少なくとも細かな『白』は記憶の返り血に関係していると断定したくなるほどに一致している。
「掌と指先に関しちゃモンスターの実験の時の血、か」
やはり主線に心当たりはないがそれ以外は心当たりと完全に一致していた。
「熱と痛みだけなら耐えるが……平気なことを願うか」
きっとこれはファンタジーの領域。
昨日起きたばかりの非常に情報などあるワケがない。
そう考えた俳人は大量の湿布を足元のゴミ箱に捨てると、袖を直して皆の下へ向かった。
~~~~~~~~~~
「あ~知っている者もいると思うが、この緊急事態に対応するべく商品の所有権の放棄つまり無断での商品の回収を許可するという事を日本全体で各社長がネットで発信した。これでなんの憂慮もなく必要なモノを手に入れることが出来る――が、当然ながら独占はしない。秩序なき世界になった今、秩序を作ることが出来るのは我々の他にいない、そしてこれは綺麗事であると同時に我々が生きるための賢い判断だと思ってくれ。無用な独占は人々から不要な反感を買い、それは後々自分たちに災禍として降りかかる。自身も他者も生き延びるための必要な事だと理解を得たい。……それでは今日の指示を出す――」
ありきたりな説明で全員が納得するワケじゃないというのはありきたりな状況ではない今だからこそ理解している。
これが平時ならば綺麗事を言っておけば何ら問題はない。
だが今は緊急時。
緊急時ほど人の本性というのは目に見える形で襲い掛かる。
ゆえに多くの者が納得出来る理由を提示するというのがこの場における正解だろう。
万人を救おうとする平和主義者には『優しい平等』を。
己とその周囲を守ろうとする現実主義者には『先を見据えた安全』を。
少なくともこの場に『守り』を重視しない者はいない。
今この場には死を恐れ己を『守る』ことを選んだ者たちだけがいる。
そうでなければ皆、俳人が助ける前に死んでいた。
生きたいと願い身を隠していたから俳人は彼女たちを助けることが出来た。無抵抗に、隠れなければモンスターたちに呆気なく殺されていた。
元々この高校にいた者も同じ。
モンスターがいたのは何も道路やショッピングセンターだけではない。
高校も例外ではなかった。
今は俳人たちが戦ったためその姿はないが、来た時点では多数のモンスターがいた。
逃げも守りの一種。
守る事を選んだ結果俳人に救われ導かれることになったのだ、ならば『独占しない』という行動に少なからず自他を『守る』という結果を絡めてやれば少なくともこの場の全員が納得することが出来るのである。
「――という事で、いつ停電するかが分からないから回収する食糧はしばらく生モノメインに。断水に備えて身体を拭くためのシートの備蓄と衣類の回収。それと並行して探索隊として俺リーダーでこの辺りを見て回る、自衛のためにも戦って貰うからこっちは志願制で残りのメンバーは年長者であり一応の戦闘経験がある藤井芹那をリーダーに動いて貰う」
単純な危険度と戦闘力で言えば芹那も探索隊にいた方が一日におけるモンスターの討伐数や救助数は増やせるだろう。
だがそうした場合、既に日を跨いで警備していたとはいえモンスターが襲い掛かってくる可能性のあるショッピングセンター組の戦闘力はゼロに等しい。
モンスターを殺した、人々を救った。
そういった『プラス』の数だけで言えば戦力の集中を図るべき。
けれども死者という『マイナス』の数や士気の低下、死体放置による病気の蔓延、多くのことを考慮した時選択するべきは確実に戦力の分散。
とはいえ明確に死を感じる役割を担う者はほぼいないだろう。
人の死に関しては分からないが、この場にいる全員の目の前で『モンスター』の死は見させた。
目の前で消滅するという非現実的現実はあるものの、そこに至るまでの全ては普通の生き物と変わらない。
襲い掛かる時の醜い表情も声も、攻撃された時の汚い絶叫も、四肢を流動する赤い血も、全てが本物だ。
昨日倒したモンスターはゴブリンが殆どだった。
人型生物という分より人間の死を彷彿とさせやすい。
例え異常を見たとしても『地獄』を見ていない彼女たちには『探索隊』は難しいだろう。
「ハイハ~イ、私探索隊入りま~す」
などと考えていると授業中教師に当てられないようにするかのごとく顔を背けていた者たちの中から一人の少女が手を挙げた。
「名前は」
「
「空手剣道柔道などの戦闘経験は」
「ない。けど週一で10キロ走ってるから体力と逃げ足の自信はあり」
「覚悟は」
「出来てる」
「最後に……動機は」
「腐りたくない」
「オーケー、俺も昨日まで戦闘経験皆無だったから気負う必要はない、現状実力差なんてほぼ無いだろうから頼りにさせてもらおう」
自主的に運動していた分比奈美の方が強いかもしれない、そんな風に考えながら戦闘連携を取る上で距離を無くすために友好の証とばかりに手を差し伸べ、比奈美はそれに応じる。
「他は? ……いないみたいだな。なら他のメンバーは指示通りに動いてくれ」
指示出しから行動開始に意識を切り替えさせるために手を二度打ち鳴らし、芹那とアイコンタクトを取ると比奈美を連れてその場を後にする。
「武器は選り好み出来ないから木刀だ。俺も一応持ってるが……ま、剣道部に木刀くらい置いてあんだろ」
木刀を武器にするという言葉に比奈美は昨日の俳人の戦う姿を思い出しそれに自分を重ね合わせて自分の戦う光景を想像していた。
「飛鳥氏はどうして一人でいたんだ? 親とか友達は?」
「親は知らね。高校中退して以来投資で稼いだ金で一人暮らしの引きこもりやってたからな。昨日は本屋行ってたんだよ」
「中退……歳は?」
「16。ちなみに中退の理由は『面倒だったから』な。親が学歴に五月蠅い奴らでさ、仕方なく適当な進学校に入ったものの15なってすぐに始めた投資の方で楽に稼げるって分かってたしそれで稼いだ金もそれなりに貯まってたから親元で生きる理由も無いって気付いてアホらしくなってやめたんだよ」
外に出る格好にしては随分と人目を気にしない格好をしていたから自由な性格だとは思っていたが、想像と自分を上回る自由な生活に俳人は思わず「おおぅ」と漏らす。
「そういうこと言うの気にしないんだな。普通は自分のことなんて放さないもんだと思ってたわ」
「あ? 自分から言う意味は確かにねーけど、隠す理由もねーんだから聞かれりゃ答えるに決まってんだろ」
「みんながみんな飛鳥氏みたいな考え方なら俺も他人と話すのが楽だろうな」
「そー言われりゃ私もアンタと話すのは楽だな。……それと気持ちわりーからその『飛鳥氏』ってのやめろよな、普通に『ヒナ』でいいぜ?」
「ま、話しやすい相手に距離作る意味ねーか。んじゃ有難く『ヒナ』と呼ばせて貰おうか」
俳人は基本的に他者を『名字(名字の一部)+氏』で呼ぶ癖がある。
これは距離感を意識する為。
少なくはあるが友人は作っている、がそのほとんどが『~氏』呼びだ。
根本的に人間関係を『損得勘定』と考えている俳人はあまり自分に踏み込まれないように意図的に距離を作っている。
「適当に使いやすいの選んでくれ。戦いの中で使いやすいのを選びたいならある程度絞ってからそこら辺の竹刀袋に突っ込んで持って来ても良いからな」
「了っ解。つっても当たりゃ確死の相手に動き制限される武器選ぶなんて気はねぇけど」
多少扱い辛くとも死ぬよりかはマシだということを理解しているヒナは適当に三本程木刀を見繕うと近くにあった紫色の竹刀袋にそれを入れた。
「一日の長があるからな、戦いに慣れるまでは守ってやるよ」
もっともそれは一日の長があるから、ではなく集団を率いるリーダーだから。
しかしそれを言った途端にヒナは吹き出すように笑い始める。
「一日の長が本当に一日の経験差って初めてだ」
「笑いの沸点低いわ! 突然何かと思えば笑いどころそこかよ!」
変なところで笑うヒナの姿に脱力を禁じ得ない俳人は呆れたように溜め息交じりにその場から離れ、放置された子どものようにヒナはその後を追った。
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