第二話 〜異変と危機〜

 ツイッターの情報を手当たり次第に眺める。

 日本語で書かれたツイートを場所など関係なく全て。


「マジか……海外でも……」


 長年の読書によって身に付いた速読術を駆使して高速で画面を動かしていると1つのツイートが目についた。

 それは英語の出来る者が翻訳をした内容。

 特筆すべき内容はこれといって無いが、少なくとも日本国内のみの問題では無いことが分かる。

 そして海外でも同様なことを知ると同時に机の引き出しから大量の画鋲を取り出し、スマホ片手に壁に貼られた世界地図に画鋲を突き刺す。


「くくっ、マジかよ?! ネットの繋がる場所全部でバケモンの発見報告って……こりゃあ地球全体で起こってるって考えたほうが良いな」


 噂の域を出ないが海上でもゴブリンのような、怪物が発見されたらしい。

 人口に関係なく、都市で、山で、森で、砂漠で、海で等しくその目撃情報が挙がっていた。


「…………アカウント名は『富家葉石とみやようせき@冒険者』」


 本名の重見俳人しけみはいとのアナグラムとみいしの読み方を変えネットゲームのキャラ名で頻繁に使用する名前を付けたアカウントを新たに作成し、真っ白な壁を唯一の背景にして撮った後ろ姿をアイコン設定して文字を打つ。


「まずは『ガスの元栓』と『サバイバル知識』を少しツイート……っと」


 ゴブリン以外にも他の種類がネットに挙がっていた。

 その怪物たちが建物を破壊する可能性などを考慮しガスへの注意を促す。

 俳人の家でも電気以外のライフラインは生きていたのだ、他も同様と考えると余計な危機は避けるべきだ。

 そしてこの状況がいつまで続くのかが分からないうえにライフラインが潰れる可能性やもう既に潰れている可能性がある以上食糧同様に水も希少になる。

 水の浪費を避けるため皿にラップを敷いて洗う、などの消費数の効率化や水の楽な運搬方法などを纏めツイート。


「次は『怪物を倒したら石になる』っていうツイートっと」


 その石の画像付きでツイートし、電源を切ってから木刀2本と三尺(90cm)の鍛錬棒を木刀袋に入れ、小学生時代に授業で作った背嚢にいくらかの荷物を詰め込んで着替えて外に出る。



 道中一切怪物とは遭遇しなかったにも関わらず、産業道路と呼ばれる大きな道路に出た途端に多くの異形の姿が目に入った。


「おい! 大丈夫か!?」


 逃げようとしたものの道が無く、乗り捨てるように散乱した車の中に腰が抜けたように力無く座り込む社会人らしき女の姿が見え、俳人はそれに駆け寄る。


「な、何なのよ!? アレは!」


 未知と恐怖を他人にぶつけるかのように、成り立たない会話で叫ぶ女。

 俳人は苛立ちに一瞬だけ分からない程度に顔を顰めた。


「良いから一度落ち着け!! 俺だってアイツの正体なぞ知らん! 分かるのは殺しに躊躇が無く一発でコンクリのブロックを貫通する攻撃力があるってだけだ!」


 女よりも大きな声で怒鳴り、威圧することで冷静さを取り戻させようとする俳人は木刀袋の中から鍛錬棒を取り出して両手で握りしめる。

 その見るからに重そうな5kgの金属棒に自分が対象なのかと僅かに恐怖する女だったが、俳人はそれを気に留めずに怒鳴り声に導かれて隠す気も無く背後から寄って来た血走る眼で睨みつける狼のような人型の異形に攻撃した。


「ひッ!」


 絶叫を上げようとするも恐怖のあまりまともに声を発せない女は短く息を漏らし、俳人はバットのように振った鍛錬棒を狼の異形の腹に当てて後ろに体勢を崩させるとすぐに足払いを掛け、倒れたところを死ぬまで叩き続ける。


「っぁ〜! 流石に運動してないモヤシがこれ使ったら腕が死ぬ!」


 攻撃力重視で鍛錬棒を使った俳人だったが、筋力が女子以下で骨も強くない貧弱野郎が使うには無理があった。


「んで話を戻すが……大丈夫か?」


 魔石を回収し鍛錬棒を木刀袋に収めた俳人は背嚢の中から絆創膏や消毒用アルコールなどを取り出して見せる。

 背嚢から取り出された中身に安心した女は首を横に振った。


「腰が抜けてただけよ、怪我はしてないわ」

「そうか、なら早く逃げろ」


 今なお聞こえる悲鳴と醜い咆哮を止めるため駆け出──そうとし、腕を掴まれ阻まれる。


「逃げろ、ってどこによ……」

「家……ってこの近所じゃないのか?」


 大量の車の中にいたということで車を要する程度には遠い場所と思いつき、女はそれを肯定した。


「そこはどうだ?」

「駄目。さっきみたいな化物が入って行ってた」

「そうか……」

 

 人の多い分かりやすい場所を人を襲う異形が見逃すわけもなく、避難場所として提示したショッピングセンターは既に異形で溢れていることを知る。


「俺は戦う。進んで戦う気……最低でも自衛の為に戦う気覚悟があるなら俺に着いて来ても構わない、覚悟がないならこのまま北上した先の高校にでも避難するといい」


 剣を取るか否か、そう問いかけると俳人は長木刀の柄を差し出した。


「……持ち逃げするとは思わないの?」


 剣を取ろうと手を伸ばし、恐怖したように手を引き戻した女は自衛目的を手に入れるだけ手に入れて戦わずに逃げることを思いついたのかそんな問いを掛ける。

 俳人はそんな選択肢が出るとは考えていなかったのか少しキョトンと呆けてから悪人のように「くっ」と声を出すように失笑した。


「それでアンタが無事なら別に良いんじゃないのか?」


 なんてこと無いように笑い飛ばす俳人に女は苦笑し、剣を取る。


「少しの間一緒に戦ってあげる。子ども相手におんぶに抱っこなんて耐えられないわよ!」

「ふはは、暫しの間だけ人々を救うために立ち上がったこの富家葉石のお供になることを許して進ぜよう!」


 英雄に成り切るように俳人は拳を天に向けて高らかに突き出した。

 さも当然のように言い淀むことなく自信に満ち溢れながら叫ぶ俳人は、助けられた女の目には一瞬だけ本物の英雄のように映る。


「……って、誰がお供よ!」

「ええ……そこはノッてくれないと」


 分かっていないな、とばかりにヤレヤレと肩を竦めて首を振る俳人。

 少なくともさっきまで並々ならぬ恐怖を感じていた女はそんなふざけたようなテンションに合わせられるワケがなく、溜め息を吐きながらその場で軽く木刀を振るった。


「……私は藤井芹奈ふじいせりな。よろしくね、よーせきくん」

「ま、今の名乗りで分かるワケねぇか……。富岡八幡宮に大家に葉緑素と石英で富家葉石」

「随分独特な説明ね。……分かりやすくはあるのだけども」


 漢字を伝えるために選択した単語が一々常人は選ばないであろう単語ということで思わず脱力してしまう芹奈。


「ま……とりあえずそこ入るぞ」


 一度周囲を見渡し、異形の姿はあれど人の姿が無いことを理解した俳人は芹那の格好を見てショッピングセンターを指差す。


「どうして? 戦うんじゃなかったの?」

「あのね、目的は戦いじゃなくて救出。手段であって目的違う。さらに言えばハイヒールで戦う素人がどこいんのよ。藤氏にゃ自殺願望ねーだろ」


 ただでさえ戦いづらいスーツ姿がなのだ、ハイヒールなどという見栄のために靴としての実用性を捨てた靴を履いたまま戦うというのは愚の骨頂だ。

 指摘されて気付いた芹那は打ち鳴らすように片足で地面を叩く。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「どうだ? まともに動けるか?」

「ええ、多分靴擦れは大丈夫だと思うわ。新品だから少し固くて動きづらいけどね」


 つま先で地面をトントンと叩き靴を合わせる芹那はその場で数回ジャンプして動いた時の履き心地を確かめていた。


「木刀使うならついでにこれ着けとけ」


 この状況で店が機能しているワケもなく、もぬけの殻となった店の一画で入手した手袋グローブを投げ渡し、自身にあったサイズのものを右手分だけ装着する俳人。


「葉石はそれで良いの?」

「俺の場合両利きだから素手の方がやりやすいアクションもあんだよ。ま、藤氏は気にせず手ぇ怪我しないように両方着けとけ」


 グーパーグーパーと手袋グローブで鈍くなった右手の感触を確かめながら近くにあったいくつかのアイテムを背嚢に入れ、芹那を伺うことなく歩き出す。


「ねえ、葉石くん。君はどうしてこんなことをするの?」


 こんなこと。

 曖昧な質問ではあったが言わんとしていることはすぐ理解出来た。

 混沌という言葉が相応しいであろうこの現状、常人ならば我が身を優先し逃げるのが当然。

 そんな最中でなぜ人を助けるのか。


「……俺は人間らしく生きたいんだよ」

「人間……らしく?」

「ああ。ハッキリ言って『人間らしさ』なんて決まったモンじゃないし俺にも分からない。善く生きようとするのも悪事を働くのも人間の行いだから人間らしいと言える、だから俺にとっての『人間らしさ』の一つは『自分に素直』ってことだ」

「素直……ね。まあ、ある意味人類全員がそう生きてるのは確かね。今の私で言えば『死にたくない』って恐怖と『子どもに頼りっきりになりたくない』っていうプライドの保護で動いているワケだし」

「その素直さの中で、俺の本心が何を思ったのか……英雄願望か戦闘願望かそれとも別の理由か分からないが、俺は人々を助けるって選択をした」


 明確な回答ではない。

 だが人の心はそういうものだろう。

 自分の心を終始完全に把握している者はいない。

 ふとした拍子に自分が自分で分からなくなる。

 誰だってそうなのだ。


「俺は……少なくとも自覚出来る限りの表層自己は『救えるものを救わないのは何かが違う』そう思……と敵のお出ましだ、武器を構えろ」


 話が終わろうとした瞬間、見覚えのある緑たち──ゴブリン三匹が二人の前に現れる。

 相手側も遭遇を予期していなかったのか、それとも聞こえていた声が俳人だけだったからなのかは分からないが驚愕で一瞬身を硬直させるも武器を構えた二人の姿に意識を元に戻して突進を仕掛けた。


「キモいキモいキモい!!」


 近づくゴブリンの醜悪な姿に嫌悪感を隠さない芹那は子どものように乱雑に我武者羅に木刀を振る。

 意図した剣筋など一切なく読めないゆえに近づくことが出来ないのかゴブリンは様子を伺うように芹那をジッと見つめていた。


「そいつの攻撃は絶対に当たるな! 特に腕に注意しろ、脚は今の突進のスピードでたかが知れていると分かったが腕は一撃でコンクリのブロックを余裕で貫通する程度の威力だ!!」

「それ『程度』って言わないぃいいい!?」


 俳人からの注意喚起を聞いて余計にゴブリンが恐ろしく見えてきたのか、芹那はさっきまでよりも力の籠もった雑な攻撃の嵐を生み出す。


「大丈夫だ、俺だって……『首の骨を折る程度の能力!』」


 軽い恐慌状態に陥った芹那を落ち着かせるためにか俳人はそう叫びながら両手で掴んだ鍛錬棒を一匹の首に全力で強打し、首の骨が壊れる感触が手に伝わった瞬間に反転して右から飛び掛かってきていた残った一匹の首も破壊した。


「ったい! やっぱり反動ダメージ強いわぁ」


 二匹連続で倒すというのは素人には無理があり痛んだ肘と掌を触りながら芹那の様子を見る。


「ちょっと! 終わったなら助けてよ!」


 今も最後のゴブリンの視線を釘付けにしている芹那は俳人の姿を目にして助けを求めた。


「ン〜……じゃあもうちょい耐えてちょ」


 芹那のこと以外を全く意識していないゴブリンの様子に俳人は都合が良いとばかりに背嚢の中からロープを取り出し、鞭のように振って足に絡め意識が芹那から逸れたところで軽く頭を叩き体勢が崩れたところを右手の鍛錬棒で抑えながら左手のロープで縛り上げる。


「……何してるの?」

「ん、確認作業?」


 力を入れづらいように後ろ手に縛り、それに座るように腰を下ろす。


「ちょっと待って? なんでナイフを取り出したの?!」

「グロいの苦手なら離れて違うとこ見てな」


 折りたたみ式の少し大きなナイフを手に五秒待ってからゴブリンの指にその刃を当てる俳人は慣れない手付きと身動きするゴブリンの抵抗によって断面を揺らがせながらも関節に沿って刃を進めた。


「うっ……何をしてるの?」

「さっき見たようにこのバケモン……分かりやすくモンスターとするが、このモンスターたちは死ぬと初めからそうだったかのように魔石を残して消える。殺せりゃ問題無いように思えるが実力が拮抗してりゃそうも言えん、だから死なないために調べるんだ」


 ゴブリンの指を一部完全に切り離した俳人はナイフの上に切り離した指を載せてじっくりと観察をする。

 一秒、二秒と経ち三秒なろうとしたその瞬間、指がその先端から順に消滅して行った。


「断面じゃなくて指先から……ね」


 断面からならば色々可能性はあった。

 空気との接触による変化。

 ダメージによるカスケード状の連続反応。

 だが消えたのは指先から。

 しかもまだ生きている本体の方は消えていない。


「更にゃ遅れて血も消えるのか」


 指に残っていた血はまるごと消え、断面から吐き出された血液は床に残っていた。

 だが可能性に思考を巡らせている間に少しずつではあるが血が消滅している。

 それに関しては生きている方の断面からの血も同じなのか外周部から順に消えていた。


「つまりは血には何かしらの定型要素があった。けれども空気中に霧散したか形を留めるためのエネルギーがあってそれを消費し尽くしたか、どれにしても血液は重要なんだな」


 恐らくモンスターは元々は形状としては弱い存在なのだろう。

 直接的な要因か間接的な要因かは不明ではあるが『血』の何らかの要素によって形を保っているのだ。


「魔石は……ここ。心臓もここ」


 まるでモルモットを扱うかのように軽々しく生きたその肉体のナイフを滑らせる俳人。

 共に行動するにしてもそうで無いにしても戦うことになる可能性の高いこの世界、安全な今の内に血や肉に慣れておこうと考えたのか芹那は表情を嘔吐感に歪めながらも必死にその光景を目に焼き付ける。


「よし、もう良い」


 今必要そうな最低限のことを知れた俳人は血を吹き出す心臓から魔石を直接取り出すとスッと立ち上がってゴブリンを見下ろす。

 瞬間、手についていた血もゴブリンの身体も消え去り結ばれた綺麗なロープだけが残っていた。


「さ、人助けの始まりだ」

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