44話 乱交と上下つるつる

『大和シンクの襲撃も意に介さず。屋敷が崩壊するほど激しい乱交か。瓦礫の朝に男女六人仁王立ち~川口獅子は上も下も〝つるつる〟だった!』


 川口は宿の一室で苦悩していた。手には昨日の夕刊がある。


 目覚めたら、屋敷はなくなっていた。

 壁も天井も崩壊し、瓦礫と化した一帯から煙が立ち上っていた。


 にもかかわらず身体に傷はなく、代わりに何故か全裸だった。その全てに対し、


「なんだこれはぁあああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 と思わず叫んだ。思わず叫んだ、なんて人生初ではないかと思う。


 あまりの驚愕に呆然と仁王立ちになっていると、瓦礫から見覚えのある姿が五つ出てきた。

 それは屋敷で雇っている使用人たちの一部、魔術師たちだった。


 大和シンクが来るから暇を取らせると言ったのに、「我々が防いでみせましょう」と、いい顔で答えた、普段から勝手に『獅子の五本指』などと自称する困った男女五人組である。


「う……ぅう、なんとか無事か。一体なにが起きたのか」


 起き上がった五人は、やはり全裸だった。そのくせ電脳創衣は身に着けている。


「……お前たち、何故裸なのだ」


 色々訊くべきことはあったと思うが、まずそれが口から出た。

 しかし、その五人もあっけに取られて言った。


『旦那様こそ』


 もっともすぎて、お互いに絶句した。そこをパパラッチにやられたのである。


 川口は、ひとを見る目には自信がある。

 そうでなければ、まがりなりにも一代で大グループを築くことなどできはしない。


 その目が、大和シンクの人格はまともだと判断した。愛する女の形見とも言うべき《大いなるグレイト術式コード》をやすやすと渡すわけにはいかず、初対面で口論になったものの、世間で言われているように非道な人間ではないと、直接話して確信したのである。


 故に、使用人に暇を取らせ、帰る場所のない紅秋だけ残した。止めろとは言ってみたものの、どうせ紅秋は、あの大宮ソニックという男を通したときのように、ろくすっぽなにもせず川口のところにシンクを連れてくるだろうと踏んでいた。もし少々対抗したところで敵うはずはないし、シンクは女性を無闇に傷付ける者ではないと見た。


 訪れたシンクと今一度冷静に腹を割って話し、内容次第では《大いなるグレイト術式コード》を渡しても良い、と考えていたのである。


 が、待っている間に川口は本当に眠ってしまい、目覚めたら屋敷も服もなくなっていた。


 さらにソニックは真っ黒になって倒れ、紅秋も倒れていた。立っていたのはシンクと、顔中に傷跡のある女だけ。どう見てもそいつらがこの事態を引き起こしたことは明白だった。


「紅秋になにをした! 見損なったぞ……己が目を信じたことを呪ってやりたい気分だ!」


 激高してシンクに殴りかかったが、女のほうに「なんだよいきなり」と、気絶させられた。


 その後紆余曲折の末、包帯ぐるぐる巻きのソニックに事の顛末は大枠説明されたのだが、あまりに荒唐無稽でまだ百パーセント信じられてはいない。

 とりあえず夕刊にすっぱ抜かれた内容に、翌日になっても苦悩しているというわけである。


「あの、旦那様」


 紅秋が訪ねてきたのは、そんなときだった。


 同じ宿の別室で、自分を気絶させた女が介抱していると聞いていた。「ああ、入りなさい」と促すと、少しだけ扉の間から大きな目を覗かせ、続いて全開にする。見慣れた愛嬌のある顔は、気まずそうに伏し目がちだった。


「……紅秋?」


 紅秋はうつむいたまま、浴衣の裾を掴んで下唇を噛んでいる。


「……見たか」


 あの記事を読んで、軽蔑したか呆れたか。観念し、軽く息を吐く。


「できれば、お前にだけは見られなくなかったが」

「すいません」


 紅秋は否定しない。


「勝手に……いけないとは思ってましたが、どうしても、見始めたら、止まらなくなって」

「そうか……まあ、むしろ笑ってもらったほうが助かる」

「笑うなんて!」


 紅秋が顔を上げる。


「そんなわけ……ないじゃないですか。わたし、胸が詰まって……今までなにも知らなくて。でも……感動、しました」

「感動?」


 川口はぎょっとする。


「あれのどこに感動要素が?」

「え?」


 紅秋はまばたきをした。


「だって……あれを見たら、旦那様が今までわたしをどういう目で見てたか想像するだけで……涙が出そうで」

「おいおいおいおい」


 川口は戦慄する。


「ちょ、ちょっと待て! ち、違うぞ! 私はそんなことはしていない! 世間の者たちが私にあらぬ嫌疑をかけ続けるのはいつものことだが、否定しないのは、余計に波風が立つからだ。もちろんお前をそんな卑猥な目で見たこともないし、むしろ娘のように思っている! お前にだけはそんな誤解を」

「卑猥? なにを言ってるんです?」


 紅秋が怪訝な顔で目をすぼめていた。


「……ん?」

「え?」


 顔を見合わせる。話の噛み合わない父と娘のような間ができた。


「乱交と上下つるつるの話じゃないのか?」

「蕨ちゃんの残した手紙のことですよね?」


 ほとんど同時に言い、お互いの言葉にまた妙な間ができる。


「……蕨の?」

「つるつる?」

「いや、蕨はつるつるでは……って違う! ああなんだ……そういう、ことか」肩の力を抜き、川口は大きく息を吐く。「てお前あれを読んだのか!?」

「は、はいっ! ……だ、だからすいません、って」

「……ああ、そうか……まあ、もういい。あれを受け取ってから、随分長い時間が経った」

「でも……嬉しいです」

「なにがだ?」


 一度は片手で手を覆った川口は、その隙間から紅秋を見た。


「改めて言ってもらうと照れますね。『娘のように』とか」


 川口が目を見開いて顔を背ける。


「な、なんのことだ」誤魔化そうとするがあまりに白々しい。

「やー、いいです、別に。今までとなにか変えてほしいわけじゃないです。でも、あの……ひとつ、お願いしてもいいですか?」

「……なんだ?」

「まずそれを言う前にふたつ、謝らなきゃいけなくて。ひとつは……ごめんなさい。シンクを止めるどころか屋敷を滅茶苦茶にして。旦那様が裸にされるのも止められなくて」

「後者はどういう意味か気になるが、まあいい。こう言ってはなんだが、お前に使命を与えたのは、暇を取らせても帰る場所がないことを引け目に思わせたくなかったからだ。《大災害》相手にそう過大な期待はしていない」

「それはそれで酷いっ」

「で? それでふたつか」

「いえ……あとひとつは……わたし、旅に出ます」

「……なんだと?」


 川口は一気に眼光を険しくする。


 やや怯みながら、紅秋は寿命の件を説明した。これまで川口には一切寿命のことを話したことはない。しかし今回、INO値が尽きる寸前で林胡に救ってもらったこと、しかしこのままではまた遠くない将来尽きてしまうこと……だからそれを増やし、林胡に返す手段を探すため、この町を出るのだと言った。


「それなら……私の会社で働け。社会貢献度の高い業」


 紅秋は川口の唇の前に、人差し指を突き出した。かつて、蕨がそうしたように。


「ありがとうございます。でも……それは嫌です」

「……紅秋」

「わたしは、旦那様に、蕨ちゃんが間違ってたと思ってほしくないんです。後悔も、できればしないでください。だから……わたしは行きます。その代わりひとつ、お願いです」


 紅秋は後ろ手に腕を組み、川口に笑いかける。


「ちゃんと寿命を増やせたら、ここに、帰ってきてもいいですか?」


 川口はその願いに、即答できない。

 迷ったからではない。喉に嗚咽がせり上がり、口を閉じていなければ漏れ出してしまいそうだったからだ。


 うっすらと涙を浮かべて自分を見る川口に、紅秋は目を細め、それからおどける。


「あ、でも、髪は普通に切りますよ? 長いとうっとうしいので。旦那様も、そろそろ伸ばしたらどうです? けどあのおかっぱ頭はどうかと思うなあ。ちゃんと流行りを取り入れて」

「あの時代はあれがナウかったんだ!」


 ムキになって言い返す川口に、紅秋は噴き出す。照れ隠しが入っているのもお見通しだ。

 しばらく笑ってから、紅秋は川口の手を両手で握った。


「行ってきますね」

「……ああ、行ってらっしゃい」


 川口は憑き物が落ちたようにさっぱりとした、酷く優しい目で笑った。


「いつでも、帰ってきなさい。紅秋」

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