42話 家政婦 VS 《大災害》⑤

 シンクの《寿命譲渡》に対し、紅秋は《反射》で効果を打ち返した。つまりまた寿命はシンクのものとなっている。

 その状態を固定すべく……つまり再度の《寿命譲渡》を不可能にするため、紅秋は《固着》の術式を詠唱する。気付いたシンクは《解魔》のコードを打った。ただし先程よりもずっと簡略化したコードにしており、効力が不完全である。


 結果、紅秋とシンクの術式はどちらも完全に発現することができず、せめぎ合う。


 ここに至って奇跡的に、一瞬でも入力が遅れたほうが負けるという状況ができていた。


「解ってんのか!? 俺の譲渡を拒んだら、あんたは今から死ぬんだぞ! それに……そうだ! 一度固着されたって、俺には何度だって《解魔》で」

「違う、よ」


 紅秋にはシンクほどの余裕がない。うわごとのような声で応じる。


「《解魔》が《大いなるグレイト術式コード》だって言うなら……《固着》も、だ」


 シンクがはっとする。事態を正確に理解する。


 紅秋がオリジナルで組んだ術式は、《大いなるグレイト術式コード》になり得る、と。そして《大いなるグレイト術式コード》同士なら、先にかけたもののほうが優先される。


 つまり一度固着されれば、永遠に《解魔》できない。


「何故こんなことをする!? 死にたいのか!」


 シンクの問いかけに紅秋は答えない。集中し過ぎて紅秋の瞼は眼球が零れそうなほど見開かれ、頭痛に襲われていた。それでも指は止めない。


「林胡」その様子を見たシンクが、呼んだ。「頼む!」

「林胡さんっっ!!」


 紅秋があらん限りの声を振り絞って絶叫した。


 今林胡がシンクに味方すれば、もうどうにもならない。紅秋は指を止めず、頭を止めず、言葉を紡ぐしかなかった。

 林胡は目の前で起きる魔術の打ち合いに、明らかな戸惑いを見せていた。

 可能性に賭け、紅秋はまくし立てた。


「力を貸してよ! 本当に一緒に死ねれば満足なの!? 死なせたくないとは思わないの! 理屈なんて要らないから心の底を教えてよ!」

「……紅秋」

「ふざけないでよ」


 自覚すらしていなかった思いが、剥き出しになっていく。


「みんな、みんな。勝手に託して、満足げな言葉を残していなくなって。汚くてもなりふり構わなくてもみっともなくても恥ずかしくてもいいからわたしは!」


 脳裏には、蕨の姿があった。


「生きててほしかったよ!

 わたしの寿命が残り四年なら! 二年はあげられた!

 死ぬ前に打ち明けてくれたらそんなの悩むまでもなかったのに!

 もっと一緒にいたかった! 色々教えてほしかった! 大切だってひとつも伝えてなかったのに、してもらうばっかりでなにも返せなかったのに。

 託していなくならないでよ。わたしを見込んでくれるなら、一緒に生きてよ!」


 もう自分がなにを言ってるのか正確には解らなかった。誰に対してなにを言っているのか、なにを言うべきなのか。それよりも切実に、今、絶対に指を、口を止めてはならないと思った。そうすれば二度と手に入らないものを失うのだと、それだけは確信していた。


「意味解んないよ! みんな、凄いのに。わたしの知らないことをたくさん知ってて、経験してて、できないことをできるのに。どうして諦めるの? 選択肢はいくらでも、これから、作れるのに!


 生きられる奴が死のうとするなよ!


 わたしが幼いから解らないのかもしれない。でも、なら、だからこそ止めてやる! 問答無用で身勝手で我が儘に、あなたたちの積み重ねた数十年を、尊敬して、かつ無視して、今の判断を間違ってると決めつける!


 止められるものなら止めてみろ!

 わたしの残り僅かな命全部で。


 32,564じゃ、終わらせないッ!!」


 呼応するように、澄んだ音がした。


「お……ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 それはソニックが砕けた拳で自らを封じる氷を殴って砕く音だった。

 眉はハの字。しかし目には、かつてない熱が宿っている。


「くっ、ハの字!?」

「乗ったぁああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 しかしもはや構えることもできない。頭からシンクに突っ込んでいく。

 その前に立ちはだかったのは、ナドロ・リニオを抜いた林胡だった。


「どいてくれ、ねーさんっ!!」

「……考えてみりゃ」


 林胡はソニックを思い切りはたく。もう、攻撃の反動は起きない。


「うぉおっ!」ソニックが横倒しになった。

「林胡!」シンクが助かった、という顔で見る。

「チョコバナナパフェ」


 そして、林胡の呟きに表情の動きが止まる。


「……え?」

「マカロンタワー」

「ん?」

「……約束って、言った、のに」


 もう一度シンクがなにかを言う前に、林胡は振り向きざまナドロ・リニオを手放して、その頬を掌ではたいた。


「うぇぇえっ!?」

「守る前に死ぬなぁっ!」


 シンクの足が地面から離れ、指が緊張を失う。すなわちコードが途切れる。


「おおおおおおおいっ!?」


 仰向けに倒れたシンクが叫んだ。

 紅秋の《固着》がシンクを包み、透明な膜となって浸透していく。

 同時に紅秋が膝を突く。大きく、荒い息を吐き、呆然と林胡とシンクを見た。

 林胡の目は、赤く充血し潤んでいる。


「いつか……ころしてやるっていった。それまで、しなせないから……!」


 嗚咽にまみれた声を聞きながら、紅秋の身体から急速に力が抜けていく。


「……はは……やった」


 今度こそ、深い眠りに誘われるのを感じた。


(蕨ちゃん……)


 目を閉じると、暗闇の中に蕨の顔が浮かぶ。


(わたしは……結局十七で死んじゃうけど……)


 その顔は、「しょうがない奴やな」という感じの、見慣れた笑みだった。


(長生きしたよね……? 力の……限……り……)


 全身を包む心地良い疲労に意識を委ね、途切れる寸前、


「なんだこれはぁあああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 雇用主の叫びを聞いた気がした。

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