41話 家政婦 VS 《大災害》④

「…………は?」


 思わず間の抜けた声が出る。


「な、なにを、言ってるの」


 声が上擦る。嬉しい、などとは欠片も思わなかった。想定もしていなかった。


「紅秋……あんた、今日INO値ゼロだろ」

「どうして……それを」

「俺は追われる身だから自分のINO値を役所まで行って測定できねえ。だから、《寿命測定》の術式を組んだ、ってだけの話だ。今日、あんたに会って運命だと思ったんだ。最後の日にこんな才能の奴に出会うなんてな……ってことで、昨日のうちにこっそり測定させてもらった。さすがにびっくりしたけどな」


 シンクは余った菓子をやる、というくらいの調子で言葉を重ねる。


「会って間もないが、紅秋の能力の特異さは、世界の誰とも似てないと言い切れる。

 俺が死んで《神十七》が寿命を持った後、世界はきっとまた徐々に変わっていく。《異能》を失ったあいつらはウェヴサービンのように、代わりの力を求める。その過程で、世界はまた今より良い方向に変わるチャンスができる。

 そのとき、紅秋の力はきっと大きな意味を持つ。

 だから紅秋に寿命を譲渡することは、俺の最後の役割……そんな気がするんだ」


 紅秋は声が出ない。なにかを言いたいのに、頭が真っ白だった。

 シンクは林胡に向き直る。


「林胡。お前がどうするかは……お前に決めてほしい。

 もちろん生きてくれるなら、寿命の数百年くらいはお前に渡す」


 いつの間にか涙で顔をぐしゃぐしゃにしている林胡は、何度も首を横に振る。


「失いたく、ないなら……っ、連れて、けよっ……!」


 酷く幼い声で絞り出した言葉に、シンクは「なんて顔してんだ」と笑う。


「おい、ちょっと待てよ」


 無粋な声色を挟んだのはソニックだ。


「まとめにかかってるとこ悪いが、俺がんなこと許すわけねーだろ?」

「ああ、言うと思ったぜ」


 シンクは特に動じることなく、素早く右手を動かす。

 実行すると、ソニックの足元から水が噴き出した。


「こんなも……んっ?」水が身体に絡みつき、そのまま凍る。「う、腕が……っ!」


 殴ろうとした腕が動かなかったことに愕然とする。シンクは意地悪な笑みを浮かべた。


「だから、んだ。

 寝てる間に全て終わってた、ってことにしねえのが、お前たちへのせめてもの義理……そして感謝だ。悪いけど、そこで見てろ」


 改めてシンクが、紅秋に向き直った。


「シンク。わたしは……」

「戸惑うのも無理はねえ。本当なら今日、死ぬって覚悟を固めてたんだろ?」


 どういう顔をしていいか解らない。胸元で手を握る紅秋に、シンクは敵意がないことを示すように、両手を掲げた。


「けど、あまり硬く考えなくていい。さっきはああ言ったが、どう生きるかは紅秋が決めればいいさ。どうせ俺はもういなくなるんだ。《譲渡制限》もねえし、なんなら世界中の人間に寿命をばら撒こうが自由だ。これからのことは、ゆっくり考えてくれ」


 シンクの口調は清々しさに満ちていた。今から自らの寿命を全て譲渡し、死のうとしている人間とは思えないほどの晴れやかさだ。


「今日会ったばかりの奴を信用できないかもしれないが、信じてもらうしかねえ」

「そんな……そんなことは気にしてないけど」


 確かに、たったひと晩の付き合いだが、シンクだけでなく、林胡やソニックを含め、これらの出会いが紅秋にもたらしたものは言葉にし尽くせない。初めての体験が目白押しだった。その中で見たもの、聞いたこと……過ごした時間の密度はこれまでの人生で最も濃かったと言っても過言ではない。とても長い、ひと晩だった。


「よし。なら……譲渡するぞ」


 シンクが電脳創衣のリングを通した両手を、広げる。

 ソニックが「おいこら! 待て! ざけんなじいさん!」と叫ぶが黙殺された。


 高速でコードが打ち込まれてゆく。メカニカルな音がかちゃかちゃと響く。

 シンクの身体から光が揺らめき、立ち上る。

 これまで見たどんな光よりも美しい、と紅秋は思った。

 白く、それでいて様々な色が溶け合っている。

 光は集まって玉となり、圧縮され、拳大となった。

 玉が、紅秋に向かってゆっくり、吸い込まれるように飛んでくる。


 そのとき何故か紅秋の脳裏を、走馬灯のようにこれまで体験した様々なことが瞬時に流れていった。その最後に、蕨の残した手紙の一節が現れた。


『力の限り、長生きしなさい』


 紅秋は両眼を全開にする。


 胸に握り締めていた電脳創衣の表面を指がなぞり、術式を実行する。


 カキンッ。


 という音と共に玉が勢いよく弾き返され、シンクの胸に激突して吸い込まれた。

 繰り出された魔術の効力を弾き返す《反射》だ。


「……ああっ?」


 一瞬、シンクがあっけに取られる。


 その隙を紅秋は見逃さない。


 先程描いたばかりのコードを、さらに劇的に短縮するイメージを脳裏に描き、呼吸を止めて一気に描く、描く、描く……その様子は鬼気迫る、という表現でも足りないほどだった。


 術式が展開される。


 虹色の淡い膜がシンクの周辺に現れる。

 なにが起きようとしているのか理解したシンクは、コードを刻む。


「なんのつもりだ、紅秋!」


 叫びながら、さっきよりも高速の打突音が鳴り響く。

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