七章 長い夜の終わり

40話 死んでも会うことはできないよ

 紅秋に両親はいない。正確には、会ったことがない。


 父と母の両方ともINO値が73,000以下の人間であり、子を設けることは許されていなかった。しかしふたりは紅秋を生み、それと引き換えに、死んだ。


 そうして生まれた紅秋は劣等人と位置づけられ、僅か6,314のINO値を与えられた。ずっと後に、それは劣等人にしても短い値だと知った。もしかすると両親も劣等人だったのかもしれない。しかしそれを調べる方法はひとつもなかったし、本気で気になったわけでもなかった。


 似た境遇の子はそう多くないものの、ゼロではない。紅秋は劣等人や、残りのINO値が僅かになった人間たちの集まる町の、施設で育てられた。同年代はほぼおらず、見た目は皆二十歳前後だったが実際には数十年生きてきた者がほとんどだったのだろう。周囲の多くに、紅秋は可愛がられた。


 ただし、そのほとんどが、一年ともたずいなくなった。


 だから紅秋にとって他人の死とは、いつの間にか会えなくなることだった。

 幼いころは今以上にピンと来ず、ただ、昨日までいたひとがいなくなってもう会えないことがとにかく悲しかった。「わたしも死ぬ」と、泣きわめいた。


「死んでも会うことはできないよ」


 と、当時傍にいたひとは言った。もう顔も声も覚えていない。


「君は両親が命と引き換えに生んだのだから……命を託されたのだから、生きられる限り、生きなければならない」


 そんなことを言われたと、朧気に記憶している。

 そのひとも、いつの間にかいなくなった。


 蕨は、紅秋にとって最も長く一緒にいた相手だと言っていい。

 生まれる子どもはほとんど特権階級の一部である現代では、子どもは学校に通わず、家庭教師による英才教育が一般的である。学校は、能力が劣る人間を一括で訓練するための場所であり、年齢は関係ない。紅秋が大人たちに交じって学習を続けていた八歳のとき、入学してきたのが蕨だった。物知りでなにをやらせても優秀な蕨に紅秋は大いに懐き、蕨もプログラミング能力が桁外れの紅秋に注目し、一緒に過ごすようになった。


 十三歳になるころには、心のどこかで安心していた。

 蕨はきっと、いなくならないのだと。それまでのひととは違って、ずっと一緒にいられるのだと、根拠もなく思い込んでいた。


 しかし、結局蕨もいなくなった。


 だけど随分長い間一緒にいたからか、上手く飲み込めなかった。他のひとと同じようにすぐ忘れることもできず、悲しむこともできず……ただ、いないんだという思いと、いやまだどこかにいるんじゃないかという思いがいつまでも留まり続けた。


 蕨の、川口宛のメモリーブックを読むまでは。




「……あれ?」


 瞼を開けると、景色は変わっていなかった。

 うつ伏せに倒れたはずが仰向けに横たわっている、くらいの違いで、まだ空は明るみ始めたばかりだった。


「あれ? 気が付いたか」


 靴を履き、背を向け両手で術式を展開し続けているシンクが一瞥してくる。


「わたし……」

「ああ、ほんの数分だけ気を失ってたみたいだな。精神が弛緩したんだろ。ちょっと待てよ、とりあえず魔術で可能な範囲で、あいつらの応急処置をしてる」


 その『あいつら』には、ラナとウムライも入っていると、訊かずとも解った。

 遅れて、転がっていたソニックと林胡がもぞもぞと動き出す。

 よろめきながら、ほとんど同じタイミングで立った。


「うぁー、酷ぇ目に遭った。あの服、気に入ってたのになあ」


 上半身裸で、顔まで真っ黒になったソニックは、ふらついているくせに軽口を叩く。


「クソニックが格好付けるなんて十年早い」


 林胡も、実際のダメージはともかく、表情は飄々としている。


「ねーさん、十年前からそれ言ってんじゃん……十年経ったんだけど」


 唇を尖らせたソニックを、林胡はガン無視する。


「シンク」

「ああ。よくやってくれたな」


 シンクの笑いかけに、林胡は応じない。


「……聞いたよ」


 酷く深刻な声に、紅秋にはそれがなんのことか、すぐに解った。

 シンクの初期設定寿命が、今日尽きることを言っているのだ。

 シンクもなにを、とは聞かない。腰に手を当て、軽く息を吐いた。


「そうか」

「あたしがなにを言いたいか、解る?」


 一旦目を伏せ、それからシンクは叱られた子どものような上目遣いになって林胡を見た。


「すまん」

「そんな言葉を聞きたいわけじゃ……!」

「俺は怖かったんだ」


 林胡の言葉を遮り、シンクが語調を強めた。


「お前を失うことが」

「……え?」

「正確には、お前との関係を失うことが。

 俺がいつ死ぬつもりか知れば、林胡はきっとそれを止めようとするだろ。そうなれば、今までのように軽口を叩き合える関係ではいられなくなる。

 お前がどう思っているか知らないが……俺は、本当にお前に救われてきたんだ。

 ひとりで中央を出て……旅を続けた。望んで変えたはずの世界を見て回った。

 そしたらさ……抱いていたはずの信念は砕け散り、正しさはただの思い込みだと知った。

 俺が……俺たちがしたことはなんだったのか、解らなくなった。

 最後にすがったのは、死んだ仲間との約束。あいつらの分まで、生き抜くこと。

 でも正直、それすらもう、一杯一杯で……追われて、戦って、恨まれて……本当はもうずっと、いつでも終わりにしたかったのかもしれない。

 それでも今日まで進んでこられたのは、他愛もない言葉を交わせるお前が、隣にいてくれたからだ。

 どんな理由でも、林胡だけは失いたくなかった」


 終始笑みを浮かべて言うシンクに、林胡は唇を真一文字に引き結ぶ。


「……ずるいよ」

「ああ」


 シンクは林胡の前まで歩くと、少し背の高いその頬に手を伸ばし、もう一度笑いかけた。


「だから、すまん」

「……寿命は、どうするつもり?」

「ああ。それなんだけどな」


 シンクは林胡から手を離し、振り向いて指差す。


「あいつに譲渡しようと思う」


 その先に、紅秋がいた。


「…………は?」

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