39話 《魔拳》は負けん
「おおおおおおおぉおっ!」
ソニックが突っ込む。爆発をかいくぐり、正面に起きたものは殴り飛ばし、行進する。
空気が一瞬、収縮し、明滅する。
それが爆発の場所を見分ける目印だ。が、そんなことは最初から解っている。問題はそれを認識して身体を動かすころには、もう爆発が起きているということだ。
だから、身体を動かし続けた。拳を、脚を、まるで演舞でもするように、架空の敵と殴り合うように、攻撃を繰り出し、回避行動を取り続けた。爆発の予兆を感じたタイミングで、攻撃あるいは回避の角度を修正する。それなら、一から動くより遥かに速く対処できる。
身も蓋もない言い方をすれば、数打ちゃ当たる、に近い。が、それを繰り返すうちに身体が状況に馴染み、考えるより先に、ウェヴサービンの繰り出す攻撃を肌で先読みした。
爆風で顔も上半身も真っ黒になったソニックが、止まらない。
徐々に、徐々に、近付いてくるにつれ、余裕しかなかったウェヴサービンの表情が、曇り出す。爆発の数を増やしても、ほとんど前に進めず立ち往生になっていたソニックは、一歩、また一歩と前に出る。時に後退し、横に跳びながら……。
気付けば目の前にいた。
「な……っんだとぉおおおおおおっ!」
「へ……っ」
笑いを漏らしたソニックの両手は、既に血まみれである。革手袋は見る影もなく破れ、もはやまともに握り締めることすら困難なほどだ。
がくん、と肩から力が抜け、両腕がぶらりと垂れ下がる。それを見たウェヴサービンは余裕を取り戻した。
「なんだその手は! そんなもので僕を殴れると!?」
ソニックはハの字眉で笑みを深め、ウェヴサービンの肩を掴んだ。
頭を引く。ウェヴサービンが意図を察するがソニックは発声を許さない。
「もう一度言ってやらぁ。《魔拳》は」
渾身の力で額を額に叩き付ける。
「負けん!」
頭突きじゃないか!
とみなまで言えず、ウェヴサービンの形を成していた煙は霧散した。
ソニックはそのまま前のめりに倒れ込む。
「……経ったろ……三百秒……ッ」
満足げに笑って、瞼を閉じた。
そのとき、草原を紅い光が覆った。
温かい光だった。
惨劇を思わせる赤ではなく、一日が終わり、闇が訪れる前に最後の美しさで心を慰めるような、それでいて全てがここから始まるような情熱の血潮を感じさせる紅だった。シンクを起点に伸びる無数の細かい光線は、世界のあらゆるものを優しく串刺しにする。
「な、なんだ! なんだこれは!」
倒れ伏すウムライの背中に、再度浮き上がったウェヴサービンの顔が驚愕している。
「接続……っが」
声が途切れ、顔が消えた。
そしてラナ・ウムライの身体が淡く光り、ふたりが分離する。うつ伏せに倒れるウムライをベッドにして、ラナが仰向けに倒れていた。
「これが《解魔》の《
実行したシンクは棒立ちになりながら、効果が世界を塗り替えてゆくのを眺めていた。
シンクの《譲渡制限》も、林胡の《応報》も解除される。
しかし同時に、ガーゼに染み込む水のように薄ぼんやりとした光が、世界に滲んでいった。
それは、朝日だった。
静寂が訪れる。
が、すぐに突き破られた。
「が……っ!」「ぁぁあああああっ!?」
ウムライとラナの苦悶だった。
が、驚くこともなくシンクは短く叫ぶ。
「紅秋!」
「うん!」
そして紅秋は滑らせ続けていた指を止め、コードを実行した。
先程シンクは紅秋に言った。
「あの庭園は、紅秋の術によるものだな?」
屋敷の庭にあった冬とは思えない色とりどりの植物と、温暖な空気。だがその植物が生育していないことをシンクはひと目で理解した。
いわば瑞々しさを保った生花のまま、プリザーブドフラワーになっているのだと。
「そうだけど……いきなりなんで」
「あれは状態を固定する術だろ?」
「あ、うん……《固着》。老化防止を魔術で再現できないかなって色々試してたとき偶然」
「その原理は滅茶苦茶興味あるが、とりあえず後だ。いいか? 俺が《解魔》を実行した直後、ウェヴサービンはすぐまた接続を試みるだろう。そいつをなんとかしない限り、同じことの繰り返しだ。紅秋の《固着》で、奴らの《解魔》状態を固定してくれ」
「でも……あの術は」
数分で組める規模のコードではない。そう言いかけ、言葉を飲み込んだ。
シンクから向けられた視線が、それしか方法がないことを伝えていたからだ。
紅秋の力が必要だ、と。
紅秋の瞳に意志が宿ったことに気付いて、シンクは軽く目を細めて笑う。
「協力してくれるか?」
紅秋がゆっくり、大きく頷いた。
かくして《解魔》は《固着》する。
ウムライとラナを虹色に淡く光る膜が包み込み、たちまち透明になって消えた。苦悶を浮かべていたラナとウムライは全身の力を抜いて、気絶する。
そして今度こそ、朝焼けに照らされた空間に静けさが訪れる。
術式を実行した構えのまま、紅秋は長いこと動けなかった。
「……終わったの?」
独り言のように、呟く。シンクがその肩を叩いた。
「ああ。よくやってくれた」
何故だか紅秋はそのとき、単に《固着》を成功させたことではなく、もっと、遙か前……今まで組み上げてきた全ての術式を認められたような気になった。
今日までの積み重ねは正しかったのだ、と。
「……ああ」
急激に気が抜けて、立っていられなくなる。
「え、おいっ?」
シンクが掴もうとするが間に合わず、床に座り込んだ。
「はは……なんか、凄い一日だったなあ」まだ頭の中が整理できない。「徹夜初めて、かも」
勝手に瞼が降りてくる。上体がふらついて、倒れる。
「お、おいっ、紅秋!」
(……そういえば)
急激に抗えない眠気に襲われる途中で、思い出す。興奮状態で忘れかけていたことを。
(夜が明けた……わたし、今日、死ぬんだっけ)
INO値が尽きた人間は、その日の夜明けから少しずつ空気に分解されていき、遺体も残らない。実際に見たことはなかったが、痛みも苦しみもないまま、段々感覚が鈍くなり、恐怖などを感じることもなく、消えるという。
それもあって、紅秋はずっと死ぬということについてピンと来ていなかった。
しかし、このたった数時間の経験により、思った。
(…………………………………………………………………………やだな)
意識が、暗転する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます