38話 あとよろしく

 続けてシンクは、コードの解説を依頼する。

 紅秋は気を引き締め、それぞれのコードの意味や発動方法について説明した。さすがにシンクの理解は早く、六割方説明したところで「なるほどそういうことか」と十を知った。

 そして紅秋の両肩に手を置き、真っ直ぐ見てくる。


「いいか。今から俺が屋敷の範囲全てを《解魔》する。そうすれば奴らと、それを操るウェヴサービンの接続が切れて止まるはず。だが……それだけじゃ不十分」


 それから、幾つかの短い言葉をやり取りし、最後にシンクはこう言った。


「協力してくれるか?」


 紅秋がゆっくり、大きく頷く。

 シンクは歯を見せて笑い、それからソニックと林胡へ向き直って全力で響かせる。


「お前たち! あと三百秒もたせろ!」


 言うが早いか、シンクは、草の上に立ち上がる。

 足は靴を脱いだままで、裸足の指には、手の指と同じように一本一本リングが通っている。


「シンク。まさか」

「六十三年、鍛え、考え続けたんだ。魔術で《異能》に勝つ方法を。結局道半ば……。

 だがこれが! 今日までの最適解ッ!」


 跳び上がる。


 電脳創衣から伸びるコードの先にある二十個のリングが、かちゃかちゃとメカニカルな音を立てる。手足十本の指の動き、腕と脚の角度、位置、そして音が立つリズム……全てがコード入力であるとひと目で知れた。


 それはまるで遠い過去の時代、シャーマンが全身全霊を以て神を己が身に降ろす儀式の舞踊にも似ていた。ひとつも無駄な動作はなく、一切ミスは許されない。大胆かつ繊細に、鬼気迫る集中力で、見るものに呼吸を忘れさせる。シンクの脳裏に組み立てられたコードが、ひと文字ひと文字現実に落とし込まれていくのが目に見える気すらした。


「凄い……」


 紅秋は自覚なく、感嘆を漏らしていた。

 今日まで、コードをどう組み立てるかは修練しても、入力の仕方を気にしたことはなかった。蕨が残してくれた電脳創衣は掌サイズで携帯性に優れており、片手操作にはすぐ慣れた。恐らくそれは紅秋の好みを知る蕨が、向いている方法だと気遣った結果に違いない。それに甘え、自分の中の常識にしてしまっていた。


(入力を、無意識に『極めた』とでも思い込んでいたのかもしれない)


 それに気付くと、頬から火が噴き出しそうなほど熱くなる。


(わたしは無知だった)


 知らないことがいくらでもあることすら、知らなかった。知らなくとも周囲の魔術師たちよりできることは多かったし、だからか、紅秋に忠告してくる者もいなかった。いや、もしいたとしても、それが忠告だと気付くことはなかった。


 紅秋の組んだ《解魔》は、シンプルなコードの繰り返しが多いものの、まともに構築すれば紅秋自身でも完成に数時間はかかる。しかしシンクは、三百秒と言った。聞いたばかりのコードをアレンジし、その時間でやれる、と確信したのだ。


(わたしも……!)


 紅秋は電脳創衣を握り締める。そして確実にコードを刻み始める。




 ソニックは巻き起こる爆発の中、戦い続けていた。


 詠唱なしで前触れなく起こる無数の攻撃を、初めは防御するのが精一杯だった。が、目と身体が慣れてくると、先読みでウェヴサービンがどこに爆発を起こすのかが読めてくる。ようやく五連撃まで対応できるようになり、かわすもしくは打ち返す対応が可能になってきた。


 ただしウェヴサービンはまだまだ余力がある態度だ。


「ははは! やるな《魔拳》! なよ!」


 またひとつ爆発が起き、ソニックが後ろへ跳ぶ。


「ちっ、ひとの発言をちくちくディスりやがって」


 その背中に、なにかがぶつかった。一瞬だけ首を振ると、林胡の背中だった。


「あ、ねーさん」

「あ、じゃねーよ。なに手こずってんだ」


 背中合わせに言葉を交わす。


「あとちょっとなんだが」

「クソニック、あたしを殺したいの? 時間がかかるほどあたしの寿命は削れるよ」


 剣呑な、だがそう言えばどう反応するか知り尽くした声が飛んでくる。まんまと思いどおりに、ソニックは唇を血が出るほど噛んで、絞り出す。


「これで決めるさ」


 今一度地面を踏み込んだ瞬間、


「お前たち! あと三百秒もたせろ!」


 シンクの声が飛んできた。一瞬、気勢をそがれて間ができる。林胡が肩をすくめた。


、ってさ?」


 ソニックは間髪入れず答える。


「そんなに要らねえ、っっっつーかぶっ倒す!」


 再びウェヴサービンに向けて、駆けていく。


 その場に残った林胡を、ウムライの滅茶苦茶に振り回した腕が襲う。ナドロ・リニオで逸らすと、今度はラナの脚が振り回され、蹴りになる。跳んでかわすとラナの拳が追ってきて、鳩尾を抉ってくる。ナドロで受けて後方に退避した。ウムライが身体ごと突っ込んでくる。


「しつっこいな!」


 半身でかわし、そのまま回転しつつリニオをウムライの後頭部に叩き付けた。同時に自分の後頭部にも衝撃が来て、両方ともつんのめる。ただし林胡は転ばない。地面を一回転し、体勢を整えて立った。ラナ・ウムライも数秒遅れて立ち上がる。


「こりゃ、きりがねぇ」


 平坦に呟く。もはや意識がなく、ただ動き回るだけに等しい攻撃をかわすのは、林胡にとってそう難しいことではない。しかし倒すのもまた困難だった。ゾンビを相手にしたらこんな感じだろうか、と思う。軽く、諦めたような溜息をつく。


「しゃーねぇ、やっか」


 ナドロ・リニオを持ち替え、だらりと手を下ろす。肩からも脱力し、正面を向けた。

 瞼を閉じる。息を、深く吸い込む。


「いち」ラナ・ウムライが迫る。

「に」巨体で押し潰すように「さん」手を広げ「よん」跳んだ。

「ご」そして林胡は目を「ろく」開いた。


「なな」


 ラナ・ウムライが地面に激突する。

 林胡は全く動いていないように見えるが、当たらなかった。まるですり抜けたように。


 林胡がナドロ・リニオの切っ先を逆側に持ち替える手を伸ばし、自らの胸に向ける。

 ウムライの四肢が一度だけ、刃を突き立てられた魚のように、跳ねる。そのまま沈黙する。

 林胡の額から、顎から、喉と鳩尾と両膝と股間から血が噴き出す。


 同時に自分の胸を突いた。


 林胡は目を見開き、歯を食いしばって衝撃に耐える。そして激痛が通り過ぎた後、全身の力を失って倒れた。


 七カ所の、有無を言わせず身体の制御を奪う急所を突く超高速の連撃。

 それを林胡は、カウンターでウムライの身体に喰らわせた。


 そして自らにダメージ返りが発生する刹那の間に、心臓を刺激し、ショックによる心停止を回避したのである。

 意識を保つのが精一杯の状態で、痛みに耐えつつ、倒れた林胡は右手を上げ、軽く振った。


 誰かが見ているかどうか、知る術はない。

 ただ、その唇が笑みの形に歪み、かすかに動いた。


 あとよろしく、と。

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