34話 大和シンク⑥理・解・不・能
「兄さんは、村を出たことを間違いだったと思うかい?」
射貫くような瞳に、正解を探すのは無意味だと思った。
「いいや」
だから思うがまま、すぐにシンクは答えた。
「選んだ道を間違いかどうか考えるには、あまりに多くを失い過ぎた。引き換えに、あまりに多くの変化を世界にもたらした」
「じゃあ、誇れるかい?」
シンクは自嘲し、首を横に振った。
「中央を出てから……世界を見て回った。寿命を持つようになった人間たちを。彼らの中には、俺たちが意図したように、限りある命をいかに長らえようかと努力する者もいた。けど反面、自暴自棄になって、死の恐怖に怯え、酒や薬に溺れる者もいた。
努力しても成果を出せない者が、短命に終わることもあった。
短い寿命のまま、自らの命と引き換えに子どもを生む夫婦もいた。
……戦は終わり、人類は滅びを回避した。それは事実だと思う。
しかし世界が良くなったのかは、未だに答えが出ない」
「そうだろうな」
弟は、まるでシンクと同じ経験をしてきたかのようにくたびれた顔で言った。
「いいことも悪いこともある。そういうものだ」
ああ、とシンクは心から頷いた。
「だからこそ……もう、俺には、長く生きることも、短く生きることも選べない。
設定寿命まで生き抜くって目的以外、なにもねえ」
「やはり《神十七》の存在は認めたくないのかい?」
「それは変わらない」
「そうかい」
弟は腕を組んで目を閉じた。長い間考え込むように沈黙し、眠っているのではと疑わしくなったころ、目を開いた。
「じゃあ、そのときまでここで暮らしたらいい」
シンクは息を呑んだ。それは考えもしなかった選択肢だった。考えてはならないと、自ら奥底に封じていた願望だったと言ってもいい。
次の言葉を捻り出すまでに、先程の弟以上の時間を費やした。そして、言った。
「それはできない」
意外そうに弟は顔をしかめた。シンクの表情と台詞は真逆だった。
「何故? 素命人をやめた身だからとか、苦しんで生きるのが義務だとか言うんじゃないだろうね? 舐めないでほしいんだけど、ここで暮らすのも楽ではないよ。貧しいのは相変わらずだし、兄さんを村人たちが簡単に受け入れるはずもない。十分、困難な」
「そうじゃないんだ」
シンクは万感の思いで言う。
「その言葉だけで、生きてきた道程が全て報われた……そんな風に思える瞬間がまだ俺の人生に訪れるなんて思いもしなかった……そんな、言葉だった」
「だったら」
「だが俺はこのままじゃ、意図した初期設定寿命で死ぬことはできない」
「……そうなの?」
「俺が中央を出るとき、気付いたのはひとりだけだと勘違いしていた。だが、違った。
そいつは、俺を引き留めない代わりに、『初期寿命を予め設定しておいた』んだ」
INO値を管理するのは独立した人工知能であり、その値はいかに《神十七》でも変更できない。初期寿命を設定する際、判断材料をインプットするという行為だけが、人間が寿命設定に関与できる唯一の機会である。
シンクが人生を自動抽出し、素の状態で表示されたのが32,564だった……が、後日照会し、愕然とした。
そこには、システムエラーとしか思えない桁数のINO値が表示されていたからである。
可能性があるとすれば、シンクが老化防止処置を行うより前に、シンクのINO値を不当に設定した者がいる、ということだ。一度設定された初期寿命は上書きすることができない。
「罪と判定される要素を消したんだろうな。大抵どんな人間も、自覚するしないに関わらず善行も悪行も吊り合うほど積む。計る物差し次第で評価は簡単に変わるもんだ。だがひとによって、振り幅は異なる。俺たちの振り幅はこの時代で最も広いと言ってもいいだろう。その片方、罪だけを判定材料から消したら、天文学的なINO値になっても不思議じゃねえ」
恐らくシンクだけでなく、他の十七人に対しても同じ設定が行われたに違いなかった。予めそうすれば、万が一新世代の老化防止処置を行っても、ひとまず寿命はないに等しい。
「ただしそいつは俺の企てを先読みしたわけじゃない。好意的に取れば、あっさり死なないように気遣っただけ、とも言える。だから実際俺が死ねば、あいつらにまともな寿命が設定される。俺が持ってた《生贄》の《異能》は、他のどんなルールにも邪魔されない」
だが、シンクが最後に使った《生贄》のことを知ったウェヴサービンは、早々に手を打った。要はシンクが死ななければ問題はないのだ。シンクがINO値を照会した時点で、既に《譲渡制限》の電脳創衣プログラム……魔術がかけられていた。
いつかけられたか自覚はなく、《解魔》のコードを様々なアレンジを加えて試したものの、効果はなかった。これが、一かゼロかの《禁止》なら恐らくもっとコードが簡易で予測しやすいのだが、なまじ複雑なルールで構成される《制限》であり、さらに解除されないような複雑さでコードが編み込まれている可能性が高い。たとえるなら一万カ所以上こんがらがった毛糸を目隠ししながらひとつずつほどいていくのに等しく、故にその全てを紐解くのはシンクの技量を以てしても不可能だった。
「残された手段はひとつ。電脳創衣プログラムならなんでも問答無用で解除できるような、《解魔》の《
「《
「どんなシステムでも、完璧は絶対にない。複雑で膨大なコードからなるプログラムならなおさらだ。例えば過去、どんな安定した動作のOSだって、バグフィックスやアップデートなしでサポートを終了したことなんてない」
「……どういうことだ?」
「開発した張本人の俺が言うのもなんだが、電脳創衣プログラムを構成するシステム自体にも、未発見のバグや脆弱性は必ずある。セキュリティホールと言い換えてもいい。その穴を発見し利用することで、コードを紐解かなくとも術式の効果を上書きできるコードが、既に世界で幾つか開発されたらしい」
「さっぱり解らん」
「ひと言で言えば、チートな裏技が発見されたってことだ」
「初めからそう言え。で、そいつが」
「《
真っ正直に説明したシンクに、弟は先程とは違う雰囲気で腕組みをして瞼を閉じた。
そして、眠ってしまったのではないかとシンクが思い始めたころ、眉間を埋め尽くす縦皺を浮かべ、くわっと目を見開き、一喝したのである。
「理・解・不・能っ!」
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