33話 大和シンク⑤最後の《生贄》

「……なんだって?」


 ウェヴサービンが、聞いたことのないほど静かな口調で言った。


「今、なんて言った?」

「具体的に言ってやる」


 シンクはウェヴサービンの眼球の奥に侵入するような目をして、ひと言ひと言を強調した。


「俺が死んだら……お前たち十七人に、新世代の老化防止処置が適用され、寿命が設定される」

「……そんなわけの解らないこと、できるわけが」

「できるさ。さっきまでの俺の通り名を知ってるだろ」


 ウェヴサービンの目が血走り、理解と恐れを浮かべる。


《生贄》のシンク。


 それが《魔人》としての通称だった。シンクの《異能》は、敵味方関係なく、なんらかの生物の死と引き換えに願いが叶うという力だ。ただし対象が死ぬ前にかける必要があり、その《異能》自体に殺傷効果はないので、死自体は他の方法で実現する必要がある。


 叶えられる願いは、生贄にする命の数と大きさに比例する。言うまでもなく、戦場ではその対象に事欠かない。敵によって味方が大量にやられたときですら、予め想定していれば、それを巨大な力に変換することができる。シンクたちは、この力によって幾度も絶体絶命の窮地をくぐり抜けてきた。ただし、それをシンクが無感情に行ってきたかというと、ノーである。


「あの力を俺は忌み嫌ってきた。戦う前に仲間も含めて誰が死ぬか、全力で分析する……人間のすることじゃねえ。最後の生贄は自分にすると、ずっと前に決めてた」


 犠牲にする対象でどのくらいの願いが叶えられるかは、かける前に直感で理解できる。術者自身の命は特別な重みを持ち、十七人の身体を無理矢理いじる程度のことは造作もない。


「この《生贄》には、ふたつの意味がある」


 シンクは淡々と語る。


「ひとつは、俺なりの誠意だ。

 俺は共に故郷を出た仲間たちに約束した。革命を成し遂げるまで、なにがあっても生き抜くってな。

 お前たちに寿命を設定できたときが、俺の革命が完了する日。そう考えりゃ、今だっていいんだが……それじゃ向こうで再会したとき、自信を持って『生き抜いた』と言えねえ。

 あいつらの分まで俺は生きる。

 その期限を、設定寿命にすることにした。逆に言えば、それまでなにがあっても死なねえ。

 その間に……できればお前たちには、自主的に処置をしてほしい。そうなれば、この《生贄》はなんの意味も持たなくなる」

「……何年だ」


 震えながら放心するウェヴサービンの質問を、シンクは一旦無視する。


「ふたつ目は、解除が絶対にできない」

「まさか……そのために君は寿命を!」

「さすがに察しがいいな。そう、《生贄》の能力者はもう、存在しない」


 魔術の場合、発動した時点で術と術者の繋がりはなくなる。つまり解除対象は術そのものだ。そういう風に、シンクらが設計した。


 何故そうしたかと言えば、《異能》と同じ問題が生じないようにするためである。

 《異能》はロジカルにプロセスを打ち込むようなものではなく、極めて直感的で、術者個人との結びつきが強い。発動しても効果は能力者のものであり、解除対象は能力者だ。


 問題は、そのくせ能力者が死んでも能力の効果は消えない、という点にある。

 かつて敵側に疫病のように身体を蝕み感染していく呪いを与える《異能》を行使する術者がおり、倒した後も解除できず、多くの死者を出したことがあった。そのときはシンクの《生贄》で、その多くの犠牲を用いて強制解除し、全滅を免れた。


 新世代の老化防止処置を行ったシンクにはもう、《異能》が使えない。

 すなわち、解除対象の術者は死んだに等しい。


「嘘だろ……それじゃあ……僕は、いつか、ただの人間に成り下がるのか……?」

「成り下がる、とは思わないが、そうだ」


 シンクはもう言うべきことは言った、というように軽く息を吐き、ウェヴサービンの身体からどく。興味なさげに呟いた。


「落ち着いたら手紙でも出そうと思ってたが……ちょうどいい、お前から皆に伝えてくれ」


 仰向けで四肢の力を失うウェヴサービンに背を向け、歩き出したシンクが一旦立ち止まる。


「ああ……そうだ。肝心の設定寿命だけどな」


 振り向いて、言った。


「32,564だ」




 それから、十数年の月日が経ったころ……シンクは一度だけ、故郷の村に姿を見せた。


 素命の民の集まる村は、世界に数えるほどしかない。いずれも未開と呼ばれる辺境で、第一次生命革命前から細々と命を繋いできた。

 老いないことを不自然だと断じ、旧来の命の在り方を守らんとするのが、彼らが祖先から受け継いできた誇りであり存在価値である。それが故に世界の表舞台から外れ、国際的な歴史にも記録されず、いつ滅びてもおかしくないほど貧しい暮らしを強いられていた。それに嫌気が差す者は、いつの時代も若者を中心に一定数現れる。


 かつてシンクもそのひとりだった。素命の民をやめ、全世界を巻き込む果てしない戦に加わって手柄を上げることで歴史に名を刻む。そんな野心を語って仲間と共に村を抜け出した。


 革命を成すことでその野心は現実のものとなったが、村にとってシンクは英雄ではなく祖先に対する裏切り者である。さらに村の外でも我欲に溺れて仲間を裏切り、《大災害》などと呼ばれるほど世界中から疎まれている者の帰郷を、歓迎しようはずがない。


 それを承知で、シンクはひっそり戻った。散々迷い、躊躇った上、命を失った者たちの遺品を実家に届けようと決めた。


「……兄さん?」


 ドアを開け、シンクの顔を見て開口一番そう言ったのは、シンクの記憶にあるいかつい父と同じ顔をした、ひとつ下の弟だった。シンクは頭で解っていたはずが、自分の時の流れる感覚が素命の民とは全く違うものになっていることを思い知らされた。

 呆然と立ちすくむと、弟は思いきり殴りつけてきた。


「今さらなにをしに来た! 馬鹿野郎!」


 怒鳴り声も、父そっくりだった。

 それでも弟はシンクを招き入れ、家族に紹介した。両親は既に他界しており、弟の妻はシンクとも幼馴染みの関係にあった女性だった。かつての自分や弟に似た子どもが、不思議そうな目で見ていた。


 浦島太郎はきっとこんな気分だったんだろう、と思った。


 ひととおり怒りをぶちまけた弟は、不機嫌な顔をしながら言った。


「なにがあったのか、話せよ」

「……大体、聞こえてきてるんだろう?」

「あぁ? 俺は、と言ってるんだ」


 こともなげに弟は言った。


「勘違いすんな。俺が怒ってんのは、父さんと母さんが死ぬ前に帰ってこなかったことだ」


 どうせ世界の噂話は真実と違うんだろう? それくらい言わなくても解る、という態度に、シンクは危うく足元から崩れそうになった。


 泣くことを回避するように、シンクはこれまでのことを洗いざらい、ひとつの虚構も飾りもなく、まくし立てるように話した。それは長い、長い……一度も自身で口にしたことのない、壮絶な物語だった。まるで新品の壺に少しずつヒビが入り、もはや中に水を入れても全て漏れ出してしまうほどの状態で、もうずっと長い間、かろうじて形を保っているだけのような悲壮感を纏っていた。


 弟はそれを、全て信じた。最後まで聞いた後、静かに質問した。


「兄さんは、村を出たことを間違いだったと思うかい?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る