四章 蕨と獅子
20話 何故下の毛まで綺麗さっぱり?
「ここって……こんな部屋、屋敷の中にある?」
ドアを開けてすぐに、林胡が驚きを表した。
「いや……あり得ないです。普通なら」紅秋も呆然とする。
目の前は、見渡す限りの草原である。大広間とも比べものにならないほど広大で、柔らかな風によってこすれ合う草が、耳障りのいい音を立てていた。室内のはずなのに空が見える。しかも、外は夜のはずなのに西日に染まっていた。
「シンクは空間がねじ曲がってるって言ってましたけど……これも?」
「なんでもありか、
一緒に行く、と言った林胡から《
川口に気付かれないように《
だが、川口の近くにある可能性が高い。
このジレンマを林胡に語ると、
『じゃ、川口を探そう』
と、葛藤を無視して判断を下された。
『あうあう、ちょっと待ってくださいよぅ』と腕を引っ張ってみたものの、『他に方法ないでしょ』と一蹴され今に至る。
とは言え、普段なら屋敷のどこにいるか大体解るものの、間取りがよく解らないことになっている。結局片っ端から部屋を開けていくしかなかった。そしてこの草原の部屋に行き当たったというわけだ。そして、
「いた」
紅秋はそこに川口獅子の姿を見つけた。慌てなかったのは、その姿が横たわり、眠っていたからだ。草原の真ん中に豊かな葉を付けた立派な木が一本だけ生えており、その陰になるように和式のベッドが置かれている。川口は着物のまま、掛け布団もなく仰向けに横たわって目を閉じている。
まるで死んだように動かないが、胸は規則正しく上下していた。
「こいつが川口?」
林胡が訊くので、頷く。
「なんで寝てんのか解んないけど、手っ取り早く、叩き起こして在処を吐かせよっか」
「ちょまーっ! そ、それだけはぁっ!」
小声のまま叫び、泣きすがるような顔で林胡に抱きつく。少々迷惑そうに眉をひそめ、林胡は下唇を突き出した。
「じゃあどうすんの」
「も、もしかしたらほら、懐になんかあるかもっ!」
「じゃ、剥ぐか」
「そ……それはそれで……」
主人が寝ている間に服を剥くとか、ばれたら結局怒られる……というか、怒られるで済まない気がする。紅秋の頭に『屋敷を異空間にしたことを怒られる』『服を脱がせて怒られる』の二つが天秤にかけられる。そして、
(あれ? 服を脱がせるほうが軽罪かも)
と思った。実際は二者択一ではなく、服を脱がせて怒られた上、屋敷を異空間にしたことを怒られるだろうが、そこには思い至らない。
(それに、ばれなきゃいいし!)
完全に思考停止となったまま結論を導き出し、拳を握って林胡を見上げる。
「やりましょう、すぽーんと!」
「おお……うん」豹変した決意の瞳に、林胡は軽く引いた。
「考えてみれば旦那様は、一度眠ると多少のことでは絶対起きないんです。前、屋敷のひとたちが真夜中の大運動会をしたときも朝になるまで起きませんでしたし」
「……突っ込まないよ、あたしは」
林胡は既に川口の腰帯を解いている。
はい、と手渡されて裏表を確認するが、なんの変哲もない紺色の帯だった。
「なんかほら、文字が編み込まれてるとか遠目で見ると文字になってるとか、目の焦点をずらすと浮かび上がって見えるとか、そーいうのもチェックしてね」
「む、難しいです……」
とりあえず目を凝らして上にしたり下にしたり振ってみたりした。
そして着物を脱がせてなにも見つからなかった後、林胡が川口を見下ろして言った。
「……なんてこった」ショックを受けたように口元を押さえている。
「ですよね……ああ、結局ただ脱がせただけなんて……」
「まさかこの時代に、褌とは」
「そこですか!?」
パンツ一丁、ならぬ褌一丁になった川口は引き締まった裸体を茜色の空の下へ晒している。
「しかも白。余程こいつ、尿切れに自信があるに違いない」
「……林胡さんって、もっと真面目なキャラだと思ってました」
「大マジだよ。さて、
「ええっ!?」
思わず大声を上げ、紅秋は自分の口を押さえる。
「ぬ、脱がせるんですか?」
林胡が振り向く。なにを訊いてるのか解らない、という顔だった。
「当然でしょ?」
「だ、だって、さすがに……」
「ここでやめるなんて、宝箱を前に冒険を終了させるようなもんだぜっ」
林胡が親指を立ててウインクする。
「でも……わ、わたし、直視できません」
「はぁ?」林胡は急激に冷めた目をする。「確認するのは褌のほうだよ?」
「そ……そうですけどぅ」
「いいよ、あたしが脱がせるし」
と言いつつ、一気にずるずるっと剥ぎ取る。
「ひゃぁああっ」紅秋は目を覆ってそっぽを向いた。
「ほう……なるほど」林胡が感嘆を漏らす。「流石は川口獅子、というわけか」
「なっ、なに言ってんですかっ!?」
赤くなりつつ、空を仰ぐ。
林胡が「ほれ、カマトトちゃんはこっち」と褌を手渡してきた。
渋々、掴まされた白い布を指でつまんでチェックしていく。父親の脱ぎたてパンツをまさぐらねばならない娘の心境だった。その間も林胡は腕組みして
「ふむ……しかし、何故下の毛まで綺麗さっぱり?」
などと呟くが、聞こえないふりをした。
「あれ?」
紅秋は妙な感触に気付き、指を止める。布と布の内側に、硬いものがあった。
(ごめんなさい、旦那様)
念じるように目を閉じて詫び、その部位を引き裂く。中から二枚のカードが出てきた。
「お、あった?」
「……かもしれません」
半ばこのままなにも見つからないだろう、というテンションになりかけていた紅秋は、狐につままれたように、それを目の前にかざす。
「それなに?」
「え、知らないんですか? メモリーブックですよ」
情報の記録や伝達に、一般人は紙の書籍やノートを使う。第一次生命革命後には廃れていたが、第二次生命革命後、電脳創衣プログラミングなしで電子機器を使うことができなくなったため、紙の文化が再び主流となっている。
が、魔術師間では大量の情報を小さな規格化されたカードに記録する手法が取られることも多い。形状等は幾つかあるが、総称してメモリーブックと呼ばれていた。表面に電脳創衣プログラム言語が細かくびっしりと書かれている。
「それに、《
「読んでみないと、なんとも。二枚ありますし」
「じゃ、読んでみてよ。魔術が要るんでしょ?」
「あ、はい。読めるかな……やってみます」
メモリーブックは紙の本と違い、解りやすく文字が記録されているわけではない。知識そのものが、読む者の力量を試すような形で記録されていることが大半だ。その内容を理解できるのは、その知識に足る者だけである。
たとえるなら、もし内容を理解できない者が読んだ場合、癖の強い方言の早口言葉を聞かされたようになる。つまり、他人になにひとつ説明できないほど解らない、という状態だ。
紅秋はカードの一枚をポケットにしまうと、残した一枚を左手で握る。
そして電脳創衣をコートの右ポケットから取り出す。
目を軽く閉じて指を滑らせ、コードを入力すると、頭の中に映像が流れ出した。
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