16話 眉毛の太いムキムキ半裸

「幾つかの条件を組み合わせることで、少ない負担で相手を攻撃することができる。

 ひとつ。心から完全に害意を消す。

 ひとつ。システムの処理速度を超える速さで動く。

 ひとつ。相手が傷付けられたことをとっさに知覚できない、意識と意識の狭間を狙う。

 ひとつ。相手を傷つけたのと同等の傷をオートで受ける《応報》の術式にかかっている。

 そうすると、システムが正確に事象を判定できずに、誤検知する。具体的には、減る寿命が十分の一以下で済むんだ。つまりひとを殺しても、残りの寿命によっては即死にならない。もちろん、致死量の傷は受けるけどね」


 説明する林胡の口調に感情らしい感情はない。目で追うと、確かに紅秋がダメージを受けたのと同じ箇所……林胡の手の甲と肩に傷ができている。紅秋はシンクが寿命の話をしたときと同じざわめきが、胸の奥から湧き出す感覚に襲われる。


「どうして……そんなこと」


 自分がなにを質問したいのか解らないまま口から漏れた台詞を、林胡は「どうしてそんなことを教えるのか?」という意味に取った。


「どうせ話しても、真似できないからね」


 微かに、自虐の含まれた笑みを浮かべる。


「あと、今の話をすれば、あたしがする質問に、本音で答えざるを得ないからだよ」

「え?」

「解ったでしょ? あたしは、あんたに致命傷を負わせることができる。それを踏まえた上で、本当のことを答えなさい。嘘を言えば殺す」


 林胡はまた人形のような目になって身体から脱力し、声を漏らす。


「あの懐中時計をどうして持ってる?」


 紅秋は人生で初めての感覚が皮膚の下を走っていくのに耐えて、歯を食いしばった。

 林胡の言葉をはったりだと疑う余地はない。声も顔も指先も、全身が真実だと言っている。

 背筋に冷たい汗が浮かび、この場から消えたい、さもなければ昨日に戻りたいというような思いと共に強烈な焦りと、胸の中身が空っぽになってしまったような違和感が襲う。


(ああ……わたし)


 怖いんだ。

 と自覚した途端、さらに全身の筋肉は柔軟さを失い、指一本動かせなくなった。

 なのに林胡から目が離せない。逸らした途端気を失ってしまいそうだった。


 震える唇を、ずっと見ていても解らないほどゆっくりと開く。声を出そうとするが、かすれた空気しか出ない。そもそも自分がなにを言おうとしているのか解らない。


 長い沈黙だった。林胡はせっつくことなく、五感を失ったような様子だ。だがもし唇以外を動かせば、その瞬間刃が動くことは確実だった。

 かつてないほど頭を全力で回転させる。あらゆる言葉の選択肢を考える。


(どうする……どうする?)


 そして選び取ったのは、結局、魔術を行使するときと同じ。


「シンクがわたしにこう言って、渡しました。『俺の仲間で、弘前林胡って女が一緒に来てる。変な女だから会えばすぐ解ると思う。もし鉢合わせたら、そいつを見せて、俺と協力関係にあるって説明しろ』」


 脳から溢れたインスピレーションに従い、真実をそのまま語った。


 間ができる。


 紅秋は林胡を睨むように見上げながら、全身に汗を掻いて判断を待つ。

 心臓が皮膚を突き破りそうなほど激しく脈を打つ。

 林胡が短剣をゆっくりと上げる。切っ先が紅秋の喉を突き破れる位置になる。

 そしてまばたきした。


「なんだ。そっか」


 目に浮かんだ感情は、言葉どおりの素っ気なさだった。

 紅秋は全く反応できない。思わず息が止まる。

 林胡はお構いなしに身体を起こすと、紅秋の上からどいてふた振りの短剣を腰に収めた。


「ごめん、誤解した」


 そして屈んで、紅秋に手を差し伸べてくる。

 その瞬間、頭より先に身体が反応した。目の端から涙が流れる。

 途端に全身が脱力し、止めていた息を一気に吐き出す。冗談のような量の汗が背中や脇、掌から噴き出した。


「う、うぅううっ……うぁあーーーーーんっ」


 顔を覆って、勝手に漏れる嗚咽に頬が引きつる。

 安堵したんだ、ということを遅れて理解した。


「あー、あーっと……ごめんてさ」


 声と同時に、頭を慰めの強さで軽く叩かれる感触がする。

 薄く開いた瞼から見えた林胡は、ばつが悪そうな顔だった。




「やあやあ、本当にごめんね。ほら、殺されるって状況の言葉なら、信じられるじゃん?」


 こともなげにそう言う林胡に、納得はしたが到底賛同はできそうにない。

 深呼吸して、まともに声が出せるようになってから、紅秋は林胡の手を借りて起き上がる。

 先程の態度が嘘のように気さくでフランクな態度になった林胡に、良かったとは思いつつも「いやあ、誤解が解けてよかったです」と気楽に返せるはずがなかった。


「だから最初からシンクに渡されたって言ったのに……」


 やや拗ねたような口調になってしまうのを止められず、紅秋は林胡に説明した。

 この屋敷の状態は、恐らくシンクと自分の魔術が変に作用してしまった結果だということ。

 元に戻すため、屋敷のどこかにある《解魔》の《大いなるグレイト術式コード》探しに協力するという話になったこと。


「あと、変なふたり組がいきなり天井を突き破って落ちてきました。ふたりとも魔術師で、ひとりはシンクが相手をしてますが、もうひとりに、どこかで遭遇するかもしれません」

「ああ……もしやそれ、眉毛の太いムキムキ半裸の変態?」

「あ」力強く頷く。「ひょっとして、会いました?」

「大宮三世に押しつけてきた。あ、大宮っていうのは」

「ソニックさん?」

「ああ、そっか。会ってるんだ」

「屋敷にいらしたとき、最初に出たのがわたしなので……って、ひとりで大丈夫なんですか? 素命の民って確か、魔術を使えないですよね?」

「うん」


 林胡は頷いてから、天井を見て、紅秋に視線を戻す。


「でも、だからなに? だな」

「え?」

「単に魔術が使えないだけなら、シンクも出くわす度に面倒くさがったりしない」

「面倒くさがってるんですか……」

「やる気なさげのくせにとにかくしつこいんだよあいつ……と、話がずれるな。あのね」


 林胡は害虫の群れを見るような顔で言った。


「あらゆる意味で魔術というものがんだよ、素命の民ってのは」

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