15話 金だらい、防具としてのコスパ最強説

(ええっ、うそうそうそぉおおっ!?)


 一方、飛びかかられた側の少女、紅秋は心の中で叫んでいた。


(逆効果じゃんっ!)


 この、廊下で向き合った女性がシンクの言う林胡かどうか、懐中時計を見せれば確かめられると思ったのだが、むしろ敵認定された。両手に黒い短剣を持って襲いかかってくる林胡に恐怖を感じ、紅秋はとっさに電脳創衣の上に指を滑らせる。


「誤解です!」


 林胡が躓く。なにもないところで足を取られる格好になり、盛大に転んで床を滑った。

 と思いきや、


「はぁああああああっ!」


 滑った勢いそのままでジャンプして前に出る。


「っきゃぁあああああっ!」


 紅秋は血走った林胡の目に悲鳴を上げ、さらに指でコードを書く。

 天井から木刀数本分くらいの質量の板が落ちる。進行方向を遮るつもりが、思いのほか林胡が速く、頭にぶつかる。次の瞬間、金属に当たる音がして板が弾かれた。ただし林胡の勢いは止まり、着地してよろける。ただし眼光は一切衰えていない。


「なに、今の。魔術?」

「そ、それ、なに被ってるんです?」


 とっさに訊いた紅秋に、林胡は首を回しながら答える。


「金だらいだけど」

「帽子じゃないんだ!?」


 ヴェールのような布が伸びている銀色の帽子、と思いきや、斜め上の答えだった。


「馬鹿にしてるな? 防具としてのコスパ最強だよ」

「そ、そうなんですか……?」


 紅秋は愛想笑いを浮かべながら確信した。


『変な女だから会えばすぐ解ると思う』

(このひとが、林胡さんだ)


「あの、林胡さん」

「は? なんであたしの名前知ってんの? シンクが今際の際に唱えた?」

「し、死んでませんよぉ」

「ならあんたは泥棒か」

「ち、違いますっ。この時計はシンクが渡してくれたんです。林胡さんに会ったらこれを見せて、敵じゃないってことを示せって!」


 林胡が構えを解いて、まばたきをした。その態度に紅秋は安堵する。


「シンクがそう言ったの?」

「は、はい!」

「ふーん」


 端正な形の目を細め、林胡が微かに首を傾ける。傷跡だらけではあるが度を超えて端正な顔に見つめられ、紅秋は自分の鼓動が早くなるのを感じた。

 次の瞬間、林胡の目が剣呑な色に変わる。


「嘘つきめ」

「え」

「そう言えば、あたしがあんたを信用するとでも思った?」


 林胡がその場で軽くステップを踏む。垂直にひとつ、ふたつ……。


「あ、いや、違くて。本当に」

「舐めないで」


 みっつ跳んだ次の瞬間、紅秋の手元から電脳創衣が消えていた。


「……え?」遅れて、右手の甲に鞭で叩かれたような痛みが走る。「痛っ!」


 なにが起きたのか解らずに林胡の顔を見開いた目で見つめる。ステップを踏み続けているようにしか見えない。

 さらに、記憶が遅れてやってきた。


「あ……え……? えぇ? ど、どうして?」


 紅秋は、なにが起きたのか理解した。

 林胡が手にした短剣で紅秋の手を叩き、電脳創衣を弾き飛ばしたと。しかし理解した後でも、やはり意味不明だった。


 林胡の顔は落ち着きを取り戻し……という表現が適切でないほど、感情が抜け落ちている。まるで人形のように平坦な顔のまま、なんの意図もなく、トランポリンの上で自動的に弾んでいるような感じだった。


 紅秋は歯を食いしばると、落ちた電脳創衣に飛びつき、手を伸ばす。

 次の瞬間、床に仰向けになっていた。肩に鈍い痛みが走る。


「……なんでっ!?」


 さらに林胡が身体の上にまたがり、短剣を首の上にあてがわれている。

 虚ろな瞳にはやはりなんの感情も浮かんでいない。


 また、遅れて記憶がやってくる。


 電脳創衣を掴む寸前で、紅秋の肩に林胡が振るった短剣が当たり、床に転がされた。後追いをした林胡によって今の体勢になったというわけだ。


「なんで……記憶が飛ぶの?」


 答えてくれると思ったわけではなく、独り言のように漏れた。

 しかし林胡は瞳に感情を戻すと、冷たい声を落としてくる。


「ひとに危害を加えると、INO値が減る」


 喉元の刃は金属製ではないが、打撃武器としては十分な殺傷能力を持つことはこの短いやり取りの中で充分解った。紅秋はほんの僅か、短剣を握る手に力が入ったことに緊張した。


「軽く小突くくらいなら数日程度だけど、暴行罪にあたるような強さで殴れば、最低一ヶ月単位。精神的な虐待は、度合いによるけど一年から十年の間。殺害に至れば理由に関係なく百年だから、ほとんどの人間は即死。そんなことは、子どもでも知ってるよね」


 相槌を求められたわけではないだろうが、紅秋は僅かに首を縦に振る。

 紅秋がシンクに対して膝かっくんや脇腹くすぐりのような魔術を使ったのは、詠唱が短くて済むから、という理由だけではない。単純に、その程度の干渉なら寿命が減らないからだ。

 対して、シンクが大技を躊躇なく使うのは、いくら減っても問題にならないほどの寿命があるから、である。


 林胡が紅秋に繰り出した攻撃は、一撃一撃が数ヶ月の寿命に匹敵するレベルだ。シンクの仲間なら同じような寿命を持っているのかもしれない。


「言っとくけど、あたしにはシンクみたいな寿命はないよ。むしろ、いつもぎりぎりだ」


 心を読んだように、林胡が言った。


「危害を加えると寿命が減る……それと同じくらい誰もが知ってるよね。相殺の原理を」


 もちろん知っている。

 危害を加えて一分以内に同等から二倍までの危害を返された場合は、特例として双方の寿命が減らない(ただしどちらかが命を失った場合はその限りではない)。


「それを悪用して他人に危害を加えようとする人間なんてのは、この仕組みができた当時に溢れるほどいたって言うし、今ではシステム側であらゆる誤検知対策が講じられてる。そう習うよね。けど……完全に穴を塞ぐことはできない」

「まさか、そんな」

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