10話 予測不能な術式(グリッチコード)

「……どうなった?」


 一度暗転した世界に光が射すのを感じ、シンクは閉じていた目を薄く開いた。


「い、痛いです」


 間近で聞こえた声は紅秋のもので、シンクは瞬きをする。


「怪我したか!? どこが痛い?」


 やや焦り気味に問うと、くぐもったような声が続く。


「あ、頭」

「頭? 頭が痛いのか。頭痛? 一体どうして」

「し、シンクさんが、締め付けてるから」

「あ?」


 目を完全に開く。自分が紅秋の頭を抱えたままであることに気付いた。


「ああ……悪い」


 力を抜いて手を離す。不意に、花のような香りがしてシンクは首を振る。


「……どうしました?」


 紅秋が、シンクの胸に押しつけられていた鼻を押さえながら上目遣いをする。

 シンクは紅秋の頭を、両側から手で挟んだ。


「え? え?」


 そしてつむじ辺りに鼻を付け、嗅ぐ。


「ああ、この匂いか」


 途端に紅秋に突き飛ばされる。身体が離れて、シンクは仰向けに倒れ、床に頭を打った。


「な、な、なにすんですか!?」


 上体を起こして見ると、紅秋が真っ赤になっている。


「ああ、いや。甘くていい匂いがしたからなにかと思って。俺、あんたの体臭好きだな」

「たっ……たたた体臭とか言わないで! ……あ、く、ください、変態っ!」

「馬鹿だな。変態ってのはさっきみたいな奴らのこと……をっ?」


 そこでようやくシンクは気付き、両目を見開いて呆然とする。その様子に、紅秋も視界が広くなって気付いた。


「なっ……なんです、ここ!?」


 自分たちが、異空間にいることを。


          ○


 庭園の植物を破壊したり盾にしながら小競り合いを続けていたソニックと林胡は、屋敷のほうで大きな音がした時点で手を止めた。ソニックが顔を向けた瞬間、


「……今のは?」


 屋敷が発光した。


 目を開けていられないほどの光量で、思わず瞼を閉じるだけでなく、両腕で顔を覆う。

 そしてそれが収まってから、薄目を開け、瞬きをし、ゆっくりと腕をどける。


「な、なんだこりゃぁっ?」


 世界が色付いていた。


 心境を洒落て表現したわけではなく、そうとしか言いようがない。庭園の色とりどりの花は、やはり色とりどりではあるが、意味が違う。先程まで黄色い花は黄色で、赤い花は赤だった。今は全ての花が、いや葉も茎も土も色が固定せず変化し続けていた。あるものはマーブリング状になり、あるものはフェードする速度で赤から青、青から黄、というように移り変わり続けている。白壁だった屋敷も、同じようにファンキーな趣味になっていた。


 空だけは、先程と同じく暗い。ただし視界は光に照らされる室内のようにクリアだった。


「あっ、まさか俺も!?」


 とっさに自分もこんな風に七色になっているのではと思い、ソニックは自分の手を見つめる。幸い、身体も服も先程と変わりないようだった。


「ああ……よかった。髪染めたら規定違反で減俸されちまう」

「今それ気にするとこ?」


 林胡の突っ込みが入る。ナドロ・リニオを握ったままだが、戦意はない。


「雇われ舐めんなよ? しかも素命の民に対する社内の風当たりがどんだけ厳しいか」

「つまんない男だな、大宮」

「いやいや、面白いとかつまんないってのはだな、生活の基盤を確立できてっからこそ」

「ストップ。めんどくせぇ」


 ナドロを唇の前に突き出され、ソニックは軽く溜息をつく。


「で、なんなんだこりゃあ?」

「……多分だけど、予測不能な術式グリッチコード?」

「あー…………ああ、それな」


 ソニックは頷き、数秒ジト目で見つめられて知ったかぶりを認める。


「悪り、なにそれ?」


 ナドロを肩に担ぐ姿勢で、林胡は首を鳴らした。


「あたしも魔術師じゃないから聞きかじりだけど。コード記述の失敗とか、本来なんの効力もないようなコードを複数組み合わせて実行したときとか、ごく稀に、予測不能な具象化が起きるらしいよ。シンクが昔、遊びで色々やってたら、竹林が七色になったって言ってた」

「そ、それってもしや十万石竹林か?」

「うん」

「観光名所じゃねえか……てこたぁ、これも? ひとん家七色にするとか、嫌がらせかい」

「や……さすがにシンクもそこまで無意味なことはしないと思うけど。狙ってできることじゃないって言ってたし」

「ま、考えても解らねえか」ソニックは軽く息を吐く。「気になるし、一時休戦しようぜ?」


 ソニックが握手を求めると、林胡は仏頂面で少しだけ黙って、それからナドロでその手を軽くはたいた。


「えーと……これはおけ、ってこと?」

「さーね」


 林胡はソニックの存在を忘れたようにナドロ・リニオを腰に帯びると、屋敷に向けて駆けていく。深く溜息をついてから、ソニックも後に続いた。小声で呟く。


「もーちっと愛想がありゃ、めっちゃ綺麗なのになぁ」


 直後、振り向き様ローリングソバットが繰り出されるくだりは、割愛する。

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