9話 家政婦 VS 《大災害》③

 この規模の屋敷全体の環境操作となると、通常は複数の魔術師が数日がかりでコードを書くような規模の魔術である。


 だが、ふたりとも、自分と相手なら数秒とは言わずとも、数分あれば実行できると理解していた。短いやり取りながら、手の内を見せ合った魔術師同士は千の言葉を交わすよりも互いを推し量ることができる。それはさながら全力で拳を交わし合った闘技者のような感覚だった。


 シンクの指はひと文字のミスもなく、想像するまま術式を入力していく。指を動かす度にメカニカルなかちかちという音がまるで音楽のようなリズミカルな調子で静かな空間に響く。


 空間の範囲、温度や湿度の指定、光の具合、どんな景観にどんな要素を配置するのか、など、大きな要素から小さな要素までを考えながら打ち、打ちながら考える。世界を構成する要素は無限のようにあり、しかし全てを定義することはできない。


 どこを必須としてどこを省略するのかはこれまでどんな経験を経てきたかというセンスが反映される。それこそが魔術の醍醐味であり、一端の魔術師であれば勝負であれ具象化する結果をおざなりにはしない。いくら早く具象化したとて、相手を唸らせるものでなければ勝ちを主張したりはしない……そういう暗黙の了解を共有できる相手だと踏んだからこそ、紅秋に勝負を持ちかけた。


 もちろん紅秋もそれを認識している。

 このような勝負は初めてだったが、だからこそシンク以上に真っ直ぐ取り組んでいた。紅秋の電脳創衣はソフトウェアキーボードなので打っても音は鳴らない。しかし独立した生き物のような滑らかさで、もはや無意識のレベルで自由に親指が動くのに合わせ、紅秋の脳裏には華やかなイメージが次々に湧き出していた。考えながら打つのではなく、溢れてくるものをそのまま言葉にする。それが紅秋にとってのプログラミングであり、魔術である。


 世の中の大半の魔術師はプロセスを入力する。


 料理にたとえると、カレーを作るには必要な具材を揃え、野菜を洗い、まな板と包丁を用意して野菜をそれぞれ適切な形に切り、肉を切り、鍋に油を敷いて火に掛け、肉を焼き、玉ねぎを炒め、他の具材を順番に入れ、水を計って入れて煮込んで……と、全ての工程を余すところなく実行する。それと同じことを魔術師はキーボードで書き出していく。


 もちろんこの手順は、個人によって微妙に異なる。同じ「カレーを作る」という結果を得るために踏む過程、いわば手際の良さにも個人差があり、選ぶ具材によっても出来が変わる。


 どれくらい無駄のない手順で、どれくらい素早く、どれくらい高品質な結果を得るか。

 それこそが魔術師の技量、というものである。シンクはその三つに関し、他の追随を許さないという自負を持つ。


 しかし紅秋は、通常数十手かかるような手順を一手で実行できる。何故か、というのは自分でも解っていない。カレーのたとえで言えば、紅秋の頭の中には既に膨大な完成図が存在し、その完成図を引っ張り出すコードを打ち込むだけで具象化が成る。料理教室で言う「こうしてできた完成品がこちらです」である。


 とは言え『春』という極めてファジーな、具体的な物質でないものはさすがにいきなり完成品を引き出すコードを持たない。故に春を構成する要素を順々に打ち込んでいくのだが、結果としてシンクの指が残像を残すほどの入力速度と拮抗していた。


 いつ、相手の詠唱が終わるか。

 眼前で打ち込む相手に意識を回す余裕はない。だが、その存在のプレッシャーを全身に感じた。感じて、紅秋もシンクも両目を見開き、無意識に口元は笑みになっている。互いに、全霊を懸けられる相手にそう出会えるものではなかった。


 とてつもなく長いような、それでいて一瞬のような、早く終わってほしいと願うような、いつまでも終わって欲しくないような時間が過ぎる。


 終わりが来る。


 シンクと紅秋が複雑で難解なコードを組み上げ、その出来に自らが太鼓判を押したのは奇しくもほとんど同時だった。


 実行。

 する寸前、


「御免ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!」

「おっじゃぁましまぁああああああああああああああああああああああっす!!」


 天井から轟音が響いて人間がふたり、落ちてきた。


 集中をかろうじて留め、同時にシンクと紅秋は避けるため後ろに跳ぶ。

 床へ激突するように降り立ったのは、対照的な姿の二名だった。


 ひとりは極めて背の高い、絵に描いたような逆三角形の体格の男性だ。髪型はスポーツ刈り、と思いきや耳から下半分がロン毛になっている。一般的なツーブロックの逆である。さらに額には、中心からV字に伸びる飾りが付いており異様さを際立たせていた。


 マジックで描いたように太い眉は当然のように左右が繋がっており、見開かれた目はくっきり六角形で、瞳孔が開いたように黒目が小さい。巨大な口は裂けたように全力の笑みを浮かべ、歯並びは非常に良い。しかし首から下にはそれらの要素を上回るインパクトがある。上半身は全て剥き出しの肌色で、下半身は黒いスパッツとニーソックスに白いスニーカーだ。太腿にできた絶対領域の殺傷能力の高さは言うまでもない。


 もうひとりは背の低い、幼い女性だ。肩の上まで扇状に広がった髪の色は狂ったようなピンクで、快活そうな瞳の色もそれに近い。頭が大きく頭身は低いものの、手足を含め身体つきはほっそりとしており、肩と腕と太腿を惜しげもなく露出した半袖ミニスカートという格好で、三段階くらいの濃さのピンクフリルがこれでもかと付いている。


「わしは『ひとりクラウド・ヒーロー担当』ウムライ! 見つけたり大和シンク!」

「ボクは『ひとりクラウド・魔法少女担当』ラナ! ここで会ったが六十三年目、てかっ!?」


 筋肉男とピンク少女が声を揃える。


『とりあえずくたばれ!』


 おもむろにウムライは腰を落とし、空中を何度も何度も無差別に殴りつける。

 ラナは手に持つ派手な装飾のステッキに向かって早口でぶつぶつ独り言を呟く。


 紅秋とシンクはすぐに気付いた。

 それが、魔術プログラミングだと。


(迎撃っ…………いや、だが)


 違うコードを打てば、ここまで詠唱した膨大なコードが失われる。

 シンクは躊躇った。アドリブで創作したので、今霧散させれば二度と同じ内容を書くことはできない。そして、紅秋もほぼ同じ思いを抱いていた。

 ふたりの迷いが隙となる。ウムライとラナの詠唱が完了する。


「砕けぃ!」「爆発しちゃえっ!」


 ラナとウムライの魔術はとてつもなくシンプルに、広間の天井と壁を爆砕した。

 その瞬間とっさに、シンクと紅秋は同じ行動を取った。


 すなわち、書いていたコードの実行。


 壊れゆく空間の中で、シンクと紅秋の組んだ『春』が発現する。部屋全体が発光した。

 具象化の内容を確認する前に、シンクは新たなコードを打ちながら紅秋に駆け寄った。降り注ぐ瓦礫から身を守るための術式を展開する。シンクの周囲に小規模な暴風が吹き荒れる。


「紅秋!」


 呼びかけながらその頭を守るように飛びつく。

 驚いたように大きな目をさらに大きく見開く紅秋の顔が、シンクの視界が闇に包まれる前に見た最後のものだった。

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