二章 予測不能な術式(グリッチコード)

7話 家政婦 VS 《大災害》①

 屋敷の扉に辿り着くまでに、シンクは庭園の見事さに心を奪われた。


 植物の美しさに、ではない。

 外にしか見えないのに外気と完全に遮断された温室効果と、さらに植物の状態がその、に気付いたからである。


(明らかに、高度なコードによって構成された魔術によるものだ。それも、複数の)


 どんなコードで組み上げられたものか推測すると、その美しさに身震いする。洗練されたプログラミングコードは、一流の文学作品に匹敵する芸術と言っても過言ではない。


(しかし、さっきの奴らの手によるものとは思えん)


 姿形はともかく、先ほどの五人もそれなりの術者ではあるだろう。詠唱に迷いはなかった。だが、タイプミスを気にしてか、打ち込みながらキーボードに視線も意識も集中し過ぎていた。普段はよくても、対人戦では隙だらけだ。魔術で誰かと戦う経験は明らかに浅い。

 あの熟練度では、この庭園を維持するだけの術を行使できるとは到底思えなかった。


 他に相当の手練れがいる、と想定し、シンクは屋敷の扉に手を掛ける。鍵はかかっていないようだった。警戒しながら、一気に開け放つ。

 今度は特に攻撃が来ることはなかった。ひとりの女、というよりは少女が立っている。


「あ……」


 少女がシンクに気付く。

 和風の広間の床は板張りで、吹き抜けの高い天井からは真昼のような光が降り注いでいる。他の人影も気配もないことを目で確認すると、シンクは拍子抜けして軽く息を吐いた。


「あ、えと」


 少女がなんと言えばいいか、と迷うように目をぱちぱちさせ、胸の前で両手を抱える。瞳が大きく、よく光を反射していた。シンクは敵意がないことを示すように両手を広げた。


「驚かせてすまねえ。俺は怪しい者だが、危害を加えるつもりは」

「大和シンクさんですよね?」


 意外とはっきりした口調で、少女が見てくる。


「あ、ああ」


 柔らかい物腰や見た目と、物怖じのないよく通る声のギャップに、ほんの少し驚いた。


「わたし、金澤紅秋と言います。ここの家政婦です。旦那様はあなたに《大いなるグレイト術式コード》をお渡しする気はなくて、追い返せと言いました」

「……あんたに?」


 目の前の少女は家政婦にすら見えない。電脳創衣やキーボード、ゴーグルを装備しているようにも見えず、魔術師とは思えなかった。


「はい」

「えっと……俺のこと知ってんだよな?」

「《大災害》さんですよね? 行く街行く街で被害を撒き散らしては、寿命と金銭をばら撒いて去る、悪党だけどたまに感謝されるというたちの悪い存在だって、旦那様が」

「えらい言われようだな……否定できねえが」

「それを繰り返しても、誰も止められないほど凄い魔術師だっていうのも聞いてます」

「お、おお……ならさ、俺、弱い者虐めをする気は」

「ご心配なく。実はちょっと楽しみだったんです」


 場を和ませる、場違いな笑みを浮かべる。


「わたしも、魔術師ですから」


 そして紅秋は胸に抱いていたそれを、左手で掲げてみせた。ライトブルーに光る、薄い金属の板だった。


「……そいつは、スマートフォンベースの電脳創衣、か?」

「ええ」呆れるシンクに対し、紅秋は得意げだった。「友達が、くれたんです」


 現行の、新品で手に入る電脳創衣は、カラフルジャージ連中が身に付けていたタイプしかない。大きく、重く、キーボードもベーシックなものである。しかも性能が高いかというと、かなり限定されている。これには国際中央管理局が世界の均衡を保つため、魔術師にできることの範疇を限定したいという意図がある。


 故に、熟練の魔術師ほど、電脳創衣を専用で作る。具体的には、かつて電脳の街と呼ばれたアラハバキなどの界隈にひっそり残るジャンクショップ等で、旧時代に流通していたパソコンやスマートフォンのパーツを組み合わせ、自作するかオーダーメイドで組み立てる。


 シンクの電脳創衣は、肩と腕にはかつて隆盛したノートパソコンベースのクライアントマシンが四台、さらに首にはサーバークラスのスペックを持つマシンという計五台で構成されている。どんなに素早いキー入力をしても遅延のない事象化を可能とする、モンスター機である。


 キーボードは指に通したリングを動かす動作で、フルキーボードと同等以上の多彩なキー入力ができるようにフルカスタムしている。シンク以外の人間が身に付けても、基礎のコードすら打ち込むことはできないだろう。ちなみにシンクは全てのコードを頭の中で描き、ミスタイプをしない自信があるため、モニタを必要としない。


 対して紅秋の手にする機器はただの平べったい板である。軽さや小ささの割には驚くほどの性能を持つが、シンクが身に付ける五台のマシンのひとつと比べても圧倒的に劣る処理速度しかなく、かつキーボードはモニタを兼ねる小さな画面に表示される、物理的な感触のないソフトウェアキーボードだ。


 たった十二個のボタンで全ての文字列を打ち込むフリック入力でしかプログラミングを行うことができない者を、業界では《フリッカー》と呼ぶが、未熟者の暗喩とされている。最強とされるシンクが相手でなくとも、普通に考えれば勝負になるはずがない。


「やめねえか?」


 だからシンクは気遣うような笑みを向けた。


「ただでさえ負ける気はしねえけど、さらに俺は、寿命が減るのを全く気にせず戦えるんだ」

「来ないなら、こっちからいきますね」


 気合いも敵意も全く感じさせないまま、紅秋はその鈍く光る電脳創衣を右手に持ち替えると、視線はシンクに向いたまま親指でキー入力をし始める。


「あっ?」


 次の瞬間、シンクが膝から崩れ落ちた。

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