3話 せっかくなら怪盗風
『来る新月の夜、貴殿の有する《
数日前、川口宅へその書簡を投げ込んだ張本人のシンクは、まさにその新月の夜が訪れた今、宿のベッドに横たわっていた。
外見年齢は十六くらい、金色に染まった長めの髪は方々へ散らかり、眉と半分開いている目は黒い。長袖の黒いTシャツにジーンズというシンプルな服装で大口を開けて寝転がっているその肩を、女性が揺さぶっていた。
「シンク。シンク!」
薄明かりに照らされた若い顔立ちはややきつめの瞳ながら絶世の美女と形容しても大袈裟ではないほど整っている。ただしそれだけに、顔の真ん中を斜めに走る刀傷の跡が目立つ。それ以外にも、右目の中央を縦に走るもの、左目の下、左頬、顎に二本等、薄いものや短いものを含めると数え切れないほど無数の傷跡が刻まれている。
服装はローブのように全身を覆うもので、頭にはヴェールのように背中まで裾が伸びる、銀色の帽子を被っている。顔以外の肌は首や手足まで黒いボディスーツで覆われていた。
今はかがんでいるが、立てばその辺りの成人男子と同等以上の背丈だ。
「起きなさい! てゆーか半目開いてて怖い!」
「なんだよー、まだ暗いじゃん……」シンクは寝ぼけた声を出す。
「朝じゃないけど、起きるんでしょ!?」
「朝じゃないなら起きないよ。なに言ってんだよ
「あんたがなに言ってんだ! 予告状の件、忘れたの!?」
「あー……やっといてぇ」
「やっとけるか!」
林胡は左手でシンクの肩を押さえつけ、振り上げた右の手刀を額に思い切り叩き付ける。
「うぁっ! の、脳天唐竹割りはやめろ……っ」
全身が電気ショックを受けたようにびくつき、額を両手で押さえてシンクが目を開ける。
「ったく、そんな風に殴ったら、お前の寿命が普通に減るだろが」
「望むところだ」
林胡はシンクと同じく額を押さえ、まだ寝転がったままのシンクを見下ろす。
「てゆーか、なんでわざわざ夜にしたの? 夜更かし苦手なのに」
「馬鹿だな。昔からこういうのは夜って決まってんだよ」
「なんで?」
「知らん」
「……町が静かで、逃走時の邪魔が入りにくいからかな?」
「おお、それだ! 冴えてんなお前」
「ふっふー……じゃ、なくてだね。ほら、早く行かないと。すっぽかしたら川口さん怒るよ」
「なにそのデートに遅刻しそうな弟をたしなめる姉ちゃんみたいな発言」
「あんたみたいな弟は絶対要らない」
「俺もお前みたいな姉は要らねえよ!」
「理不尽な逆ギレすんな」
やり取りしながら、林胡はシンクの手を引っ張り、上体を起こす。そして傍らに置いてある連結した複数の平べったい長方形の板を取り、被せる。
「ほら、自分で着なよ」
「林胡さんや、いつも済まないねえ」
「じじーか!」
老いのない時代になっても、物語の中に老人は存在するので日常的なネタにはなる。この鬼! 悪魔! などと同じようなものだ。
シンクは渋みのあるワインレッドの板を左右合計四枚、肩と手の甲に装着した。そして薄いバナナのような形の一枚を首の前に着ける。甲冑と言うには不格好で、最も近いものを挙げろと言われたら、大リーグ養成ギブスだろう。
シンクがパーツを集めて自作した、電脳創衣である。
「あ、コート着てねえよ。これで外出たら風邪引いちゃうよ」
「その上から着れば?」
「入らねえし。無理に入れても手足が上手く動かない。前やって後悔した」
「やったんかい」
渋々一度外して、キャメルのショートダッフルコートを着て前まで閉めてから付け直す。
「あーめんどくさー。林胡のせいだからな」
「だったら最初から自分でやんなさい!」
かなり本気で林胡が怒鳴ると、シンクが怯えた目を向ける。
「そ、そんなマジギレしなくてもいいだろぅ……ああねみぃ、行きたくねー」
「駄目人間め……」
緩慢とした動きでシンクはベッドから降り、床に立つ。伸びをして首を回す。
林胡も立って横に並ぶと、身長は林胡のほうが拳ひとつ分くらい高い。
「大体さー、俺は別に無理矢理奪おうなんて思ってなかったんだ」
あくびをしながら愚痴る。
「正面から行って《
「『この分からず屋!』ってあんたがキレたら言い合いになって、売り言葉に買い言葉で『じゃあもういい! 無理矢理貰うもん!』って言っちゃったんだよね。で、その勢いで、『せっかくなら怪盗風にしよう』って、予告状をノリノリで書いて出した、と」
「おお、よく知ってんな」
「もう五回は聞いたからね」
「そうだっけ?」
「細胞劣化してんじゃない? 大丈夫?」
「駄目かも。寝て休まないと」
「こら待て」
再び横になろうとするシンクの首根っこを林胡が鷲掴みにする。
「痛っ痛たたたたっ! 握力強いっ! 爆ぜるっ!」
手を離すとシンクはよろける。林胡は大きく溜息をついた。
「今日行かなかったら後でどの面下げて行くんだよ。どうせ気まずい空気出してあたしに『ついてきてくれ』って言うんでしょ」
「さっすが林胡。よく解ってるぅっ」
林胡が無言で放った前蹴りがシンクの鳩尾を抉った。
「ぐっはぁっ! ……お、お前、こんな暴行して寿命……大丈夫か」
特に林胡は答えず、腹に力を込める。シンクは腹を押さえながら立ち上がる。
「はあ……しょうがね。行くか」
「とっとと行こう」
シンクは薄く笑い、靴を履いて部屋のドアノブに手を掛けた。不意に、真面目な顔で、林胡には聞こえないほど小さな声で呟く。
「……さぁ、これが最後のチャンスだ」
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