2話 電脳創衣プログラム=魔術

 丁寧に会釈すると、紅秋は微笑してソニックを屋敷に続く道へ誘った。


 庭園になっており、冬だというのに色とりどりの花が咲いている。門の外と違い、空気が春のように暖かかった。

 少し後ろを歩きながら、ソニックは紅秋の背に声を掛ける。


「随分見事ですが、冬でも咲く花なんすか?」

「ああ」


 紅秋は首から上だけ振り向いて答える。


「いえ、これは魔術によるものです」

「もしかして、あなたの管轄すか?」

「はい」


 にわかには信じがたい、と思う。


 第二次生命革命以降、前時代のように『誰もが扱える電子機器』は世界的に製造禁止とされた。当時必需品となっていた家電製品の類は今や完全に一般家庭から姿を消し、代わりに、専門のプログラミング能力を持つ者だけが機能を実行することのできる、『でんのうそう』という総称で呼ばれるウェアラブル・コンピュータが普及した。


 電脳創衣はそれまでの家電と違って一機器一機能のようなつくりではなく、特殊な言語でプログラミングを行うことによって、あらゆる効果を具象化する機器である。


 それによって冬でも部屋を暖めたり、火を起こしたり、空気を入れ換えたり、遠く離れた場所と通信したりもできる。前時代に家電などの電子機器でできたことの全ては電脳創衣で実現できるし、前時代の家電にはできなかったこともできるようになった。


 ただし、どこまでできるかは、それを使う人間のプログラミング能力に依存する。能力が未熟な者では十分な効果が得られなかったり、持続性がなかったり、あるいは実行までに時間がかかったりする。また、コードを多く知らなければ一部の機能しか具象化できない。


 この辺りは一般言語の習得と勝手はほぼ同じだと考えて良い。語彙が少なければ表現できる感情や説明の範囲は限られるし、熟達した者ほど、同じことを説明する場合にも端的な表現で済ませることができる。


 電脳創衣によるプログラミングは誰もが習得すべきものとされたが、その難解さから、実行できる範疇にはかなりの個人差がある。小さな火を数秒起こす程度なら誰にでもできるようになるが、料理に使えるレベルの火を安定して持続させるのは相当な熟練度を必要とする。


 結果、プログラミング能力は一部の専門職の術と見なされるようになった。


 そしてその性質から、いつしか電脳創衣による具象化は当初の呼び名である『電脳創衣プログラム』ではなく『魔術』と呼ばれるようになり、プログラミングを職業にできるほど熟達した者を『魔術師』と呼ぶようになった。今や上流階級では、『一家にひとり以上』が当たり前になっており、紅秋のように家政婦として雇われているのは珍しいことではない。


 しかし温室管理のように、ひとときだけ効果が具象化されれば良いわけではなく、それこそ二十四時間三百六十五日、効果を継続させなければならない魔術を使える魔術師はそうそういない。紅秋が十七歳だという先程の自己申告を、ソニックは疑いたくなった。


(いや、逆……か?)


 能力に自信があるから、歳を隠さないのかもしれない。


「旦那様。お客様をお連れしました」


 屋敷、という表現は似つかわしくないコンクリート造りの四角い家屋に入ってすぐの広いエントランスに面した木の引き戸を、紅秋がノックする。中から「どうぞ」と促された。


「失礼します」


 ソニックが庇をくぐると、八畳ほどの和室だった。日焼けしていない綺麗な畳の中央に長四角の高そうな卓があり、手前側に正座する男がいた。

 振り返った顔はなかなかの美形で、ただし髪が一本もない。見た目は二十歳くらいで、剃っているのだろう。服装は浅黄色の、シンプルだが上等な着物だった。


「そちらへお掛けなさい」


 奥を示され、ソニックは卓を挟んで男と向かい合う。一度正座をしようとして、


「胡座でもいいすか?」


 と愛想笑いを向けると「お好きに」と素っ気ない声が返ってきた。


「んじゃ、お言葉に甘えて」


 男を真正面から見て、真顔になる。


「突然すんませんね。改めて、国際中央管理局公認業務委託登録法人 《大蛇おろちの首》第三事業本部事業推進部事業推進課課長兼主事、大宮ソニックす。あー、噛まずに言えたぁ」


 息を吐いてまた笑うソニックに、男はにこりともせずに名乗り返す。


「家の主、かわぐちだ。身分は、言う必要が?」

「だいじょぶす。色々、いつもお世話になってますんで」


 改めてまともにソニックの顔を見た川口が、怪訝な顔をする。


「あんた……素命の民か?」

「ああ、そーすよ。見るのは初めてで?」

「……犯罪者以外では」

「ご心配なく。今まで、お天道様に顔向けできねえことは……てのは言い過ぎかなあ……まあ、更生施設にぶちこまれたことはねっす。証明しろって言われても難しんすけど」


 ソニックは顔に皺を作って笑う。


 現代では、普通の人間は生まれたときに『処置』される。

 処置によって細胞の老化が防がれ、一定の成長をした時点で外見年齢を固定する。しかしその処置が施されていない例外的な人間がごく一部だけ存在し、素命の民と呼ばれる。


 彼らは普通の人間と違って、肉体の成長がピークを迎えた後、徐々に老い、劣化する。顔をはじめとして肌に皺が増え、髪の色素が薄くなり、場合によっては生え際が後退する。筋力も落ち、正常な自律神経の維持も難しくなる。


 ソニックの年齢は二十八。鍛えた身体はひと目見ただけでは細身の二十歳と変わりないが、顔には年齢相応の渋さが表れていた。


「紅秋。何故報告しなかった?」


 川口は入り口に立ったままの紅秋を軽く睨む。


「あ、えっと……そういう顔なのかなって思って。気にしてたら失礼じゃないですか」


 えへへ、と悪びれなく笑っている。


「しゃーないすよ旦那。俺、歳の割に若いから」

「いえ、普通のひととは違うなって思ってました。『おっさん』って言うんですよね?」

「あ、そう……」


 紅秋が無邪気な声でわざわざ訂正し、ソニックの笑みが引きつった。


「まあいい。紅秋。同席して、この方が危害を加えようとしたら防ぎなさい」

「は、はいっ!」

(なるほど)


 ソニックは先程不用心だと思った自分の考えを改めて訂正する。セキュリティ意識が低いのではなく、紅秋の腕を信頼しているのだろう。


「随分、優秀な家政婦殿がいらっしゃるようで」


 半分冗談めいて言うと、川口は仏頂面で答える。


「いや、これが家事はさっぱりでな。料理はもちろん掃除も洗濯も異次元のポンコツぶりで」

「旦那様っ!」

「なにか訂正が?」

「……ないですよう」


 しゅんとする紅秋を放置して、川口はソニックに顔を戻した。


「それで、何故予告状のことを知っている?」


 微笑ましい気分で頬を緩めていたソニックは、口元を引き締める。


「さっきは長ったらしい部署名を言いましたがね、俺の所属する第三は、ひと言で言やあ、ひとりの男を捕らえるのが唯一のミッションなんすよ。だからそいつに関する情報は、あらゆるルートを通じて俺のところへ集まるようになってるんす」

「なるほど。ではその男というのが?」


 川口の言葉に続け、ソニックは苦い笑みを浮かべながらやる気のない半眼を向けた。


「最強の魔術師と謳われる……《大災害》まとシンクっす」

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