一章 長い夜の始まり

1話 食べ物の話と思いきや性癖の話

 木枯らしが吹いていた。空気は肌に痛みを感じるほど冷たい。


「どーもこんちゃーっす。おおみやっす。寒いんで、とりあえず中、入れてもらっていっすか?」


 逆立てた黒髪短髪、極めてやる気のない半眼にハの字がデフォルトの眉を持った男が、屋敷の大門の前で、狛犬の石像に話しかけていた。

 犬の石像から女性の声が出る。


「えっと、あの……大宮さん? 約束がおありでしょうか?」

「ねっす」

「じゃあ、えっと……この家のどなたかのお知り合いで?」

「知らねっす」


 男の態度は真っ向からふてぶてしい。襟にボアの付いたデニムのランチジャケットを羽織り、コーデュロイのイエローカラーパンツにブラウンのブーツを履いている。上着のポケットに両手を突っ込んで、前屈みの姿勢で喋る度に白い息を吐く。


「……あの、なんというか……なにやつですか?」


 戸惑い気味に石像から出た声に、男は首をかしげて答えた。


「大宮ソニックっす」

「……有名なんですか?」

「いえ?」

「あの、でしたら……さすがにお通しするわけには」

「けちー」

「け、けちとかそういう問題では」


 ソニックはくしゃみをして、鼻をすすりながらこする。無精ひげだらけの顎をさすった。


「どうしたら入れてもらえますかね? 押し売りならおけ?」

「おけじゃないです」

「困ったなあ。俺もガキの使いじゃないんでねえ。すんなり帰れないんすよ」

「いや……そもそも全然ご用件とかも説明いただいてませんけど」

「おお」


 ソニックはポケットから手を出してぽん、と打つ。


「早く言ってくださいよ」

「わたしが悪いんですか!?」

「どっちが悪いとか悪くないとかじゃない。責任の押し付け合いより、これからどうするかを一緒に考えようじゃねーすか」

「ど、どうするんです」

(この姉ちゃん、どうやらちょろいな)


 ソニックは返ってくる言葉を吟味しながらそう判断する。


「俺ぁICPOの特殊捜査官でね、この家に届いてるはずの予告状について話したいんす。屋敷の主人と話がしたいんで、取り次いでもらえませんか?」

「そ、そういうことなら最初から……て、ちょっと待ってください。ICPOって?」

「国際刑事警察機構っすよ。伝説の泥棒アニメとかでよく出てくるっしょ」

「ああ、その……いやいや、フィクションならともかく、今の時代に警察なんてないですよ」

(おおう、意外とまともだった)


 ちくしょ、と声に出ないように毒づく。先だっての発言は、出鱈目である。


「それがですねえ。ごく一部ではありますが、寿命が減るのも構わず他人に危害を加える輩がいるんす。もしくはほら、めいたみの犯罪者とか。そういう奴らの相手を中央から委託されてる民間企業があるんす。俺ぁ本当はそこの社員でして。ICPOってのは、そう言ったほうが解りやすいかなって思って……すんませんっした」


 今度は、本当のことを言った。訝しむような沈黙が続くが、ソニックは待つ。

 ややあって、


「……旦那様がお会いになるそうです」

「え、マジで?」


 返ってきた答えに思わず間の抜けた声を出してしまう。


「え?」

「ああいやいやいや、なんでもありやせん。どーもっす」


(不用心過ぎ)と思いかけ(でもねえのか)と思い直す。


 この時代、まともな町ほどセキュリティ意識は低くなる傾向がある。普通の人間にとっては、罪を犯すことにデメリットしかないので、警戒する必要がそもそもない。この屋敷のように、大きな建物に門があるのはどちらかというとステータスの意味合いが強い。


「そちらで少々お待ちください。お迎えに上がります」


 という言葉を最後に、狛犬が沈黙した。しばらくすると、木造の堅牢そうな観音開きの門が、軋みながら開く。


 姿を現したのは、少女だった。

 ライトブラウンの髪は肩の上で切り揃えられ、前髪は右端の分け目に沿ってアップになっている。正面からやや左上のところでひと房だけ束で括られており、筆の毛先のようにぴょこんと立っていた。


 首にはウォームイエローのマフラーを巻き、バーガンディのビッグシルエットのチェスターコートを羽織っているが、その中の身体は酷く小柄であることが肩の細さや覗いている足首からも一目瞭然である。コートの裾より少しだけ長いくらいのロングスカートを履いて、足下はキャメルのショートブーツだった。


 それら以上に一番目がいくのは、顔だ。あまり例がないほど瞳が大きい。子どもは顔が小さい分目が大きく見えると言うが、彼女の場合は単純に眼球のサイズが大きく見える。そのせいか、やけに瞳が光を反射しているのが印象的だった。


「お待たせしました。大宮さんですね?」


 少女が声を掛けてきて、ソニックは頷きながら訊く。


「ええ。先程の応対は、あなたが?」

「はい。魔術師兼家政婦のかなざわあきと言います」

「へぇ……」


 感心したような声を出すと、紅秋は首を傾ける。


「なにか?」

「ああ、失礼。一瞬、その姿の年齢で魔術師になられたのかと思い、驚きました。しかし随分、若い姿で固定されましたね」

「……わたし、これでも十七なんですけど」

「え」


 一瞬、あっけにとられた。確かに紅秋の姿は十七より若く見えるが、そういう意味ではない。紅秋が自分の実年齢を言ったように聞こえたからだ。


「あ、ああ。そういうことか。十七のときに固定したってことっすね」

「や、本当に十七です。今、生まれて十八年目ってことで」

「なっ……なんでそれをいきなり初対面の、俺にっ?」


 若い時分の外見で固定するのが常識になって以降の時代、年齢を明かすことは路上で裸を晒す以上の禁忌になっている。罪になるわけではないが、時に夫婦であっても年齢を明かさないことが珍しくないこの社会に於いて、出会い頭の世間話で歳を言うということは、


「わたし、駅弁が大好きなんです」


 という初対面の異性の台詞が、食べ物の話と思いきや性癖の話だったというのに等しい。

 しかし紅秋は特に慌てることもなく、平然と言う。


「わたし、年下だからって舐めてくるひととは、それなりに付き合う、って決めてるんです」

「……へぇ」


 今度は素直に感心した。幼い外見の割に、意志を感じさせる目と声だった。


「んじゃま、よろしく頼みます」

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