0話 理解しないまま死ねない
紅秋にとって将来というのは回転寿司のようなものだった。
ゆったりと流れるレーンの上を、様々な選択肢が皿に載って回っている。好きなようにつまんで、お好みの量の山葵と醤油を付けて食べる。そのうち取らざるを得ない皿の上に『死』と書いてあるのだろうとは思いつつも、まだ回ってきてもいない皿のことを想像するのは酷く難しい……と、ひとごとのように考えるくらい現実感のないものだった。
このままきっと、そのときが来るまでほどほどに学び、この町からほとんど出ることもなく、寿命を全うするまで生きていくんだろうな、と妙に達観していた。
「今日は皆さんに、お知らせがあります」
ある朝、三沢教師が唐突に吐き出したその台詞を聞くまでは。
「
紅秋はいつもと同じように、「さて、今日も頑張るぞい」と地顔の笑みを浮かべていたので、その表情のまま固まった。
三沢教師は続けて簡単に背景説明をした後、何事もなかったかのように学校行事の説明に移りかけたので、とっさに紅秋は顔を変えるのも忘れて手を挙げた。
「あの、先生」
「はい。なんです?」
「……嘘、ですよね」
確かに隣の席の蕨は今日、来ていない。しかし昨日まで一緒に、特に変わりなく授業を受けていたし、いつもどおり軽口を叩き合っていた。
「だって昨日、昼は一緒に……お弁当も食べて……彼女は、唐揚げを九個も食べて。食べ過ぎじゃないかって言ったら文句を言いながら最後の一個をくれたんです。大好きな、最後の。わたし、知ってたら、そんなこと絶対言わなかったのに。えと、一体どうして」
わたしはなにを言ってるんだろう、と思った。しかし三沢教師がなにかを喋るまで沈黙を生んではならない、という得体の知れない焦燥に駆られて喋り続けた。
「紅秋さん」
「はい」
「今申し上げたとおり、病気や怪我ではありません。寿命です」
その言葉の意味を脳が解するより前に、ひとりでに口が動いた。
「……蕨ちゃんは何歳だったんですか」
教室の空気が、凍り付くように強ばった。
もちろん紅秋にだってそのくらいのことは解っている。その質問は、決してひとにしてはならないことであると。しかし失言だったと自覚した上で、撤回はしなかった。
「……紅秋さん」
「はい」
真っ直ぐ見続ける紅秋に、三沢教師はいつもと変わらない機械的な調子で言った。
「放課後、職員室まで来てください」
感情を削ぎ落としたような顔は、年のころ十代後半の若さだった。
放課後までの記憶がない。紅秋は、気付けば河原にいた。先程職員室で三沢教師から渡された封筒と便せんを、皺だらけになるほど握り締めていた。
『……本当は昨日、直接渡そうと思ったそうです』
ですが、と続きそうな口調だったが、しばらく待っても沈黙しかなかった。
紅秋へ
びっくりしたよね。ごめん。
本当はもう駄目だろうなって、ずっと前から解ってたんだ。
あたしは、24,966でした。つまり、六十八歳と百四十六日です。
でも生まれたときのINO値は、37,236だったんだよ。つまり百二歳まで生きられる
ああ、あたしはこんなもんなんだ、って。
それからは、むしろ萎縮して実力以下の結果しか出なくなって……負のスパイラル。言葉を選ばず言えば、この最底辺の町に流れ着いて、もう一度学校で学ぶしかなかった……と言えば、あたしの挫折っぷりがちょっとは伝わるかな。
こんな辺境の学校ですら、あたしはトップになることができなくなっていて……ああもう、寿命をここから増やすような成果を上げることはできないなと悟った。
だけどひとつだけ、ここに来て幸運だったことがあるよ。
紅秋に会えた。
あんたはなんにも知らない馬鹿だけど、一番馬鹿なのは、自分が天才だって知らないことだよ。尖りに尖ったその力を成長途中で身に付けてる奴なんて、あたしの六十八年の人生の中でも、ちょっと他に見当たらない。
あたしはあんたを見てると、自分の才能のなさを思い知らされて、本気で苛ついて、憎みたくなって、だけど同時に、慰められた。仕方ないなって開き直って、じゃあまあ、この天才の思春期に於ける友人として余生を過ごせることを幸運だと思おうってね。
おかげで人生で初めて、寿命を気遣わない自由な生活ができた。あんたはいいとばっちりだったと思うけど、なんだかんだで、あたしは楽しかったよ。
この手紙を手渡しするか迷ったけど、いきなりいなくなったほうが紅秋のショックがでかいかなと思って、こういう形にした。完全に自分勝手だけど、覚えていてほしいんだ。
その才能であたしの生きる気力を根こそぎ奪ったこと。あたしと頻繁に殴り合って若干でも寿命を削ったこと。あたしの最後の唐揚げを食べたこと……一生後悔して。なんてね。
詫びと言っちゃなんだけど、多分あんたにぴったりの
あたしの勧めは、火急速やかに町を出ること。
そして、プログラミングを究めて立派な魔術師になること。
この町の出身ってことは、あんた
個人的にも、願うよ。力の限り、長生きしなさい。
じゃ、縁があったらまた会おうな。来世で!
蕨
唐突に途切れたメッセージに、紅秋は感情のぶつけどころを見出せなかった。
そもそも昨日まで隣にいた友人がいなくなったというのに、その実感もなければ相変わらず死というものが上手く捉えきれない。
「蕨ちゃん」
葬式の習慣もないこの時代には遺体に会うことも叶わず、ただ、事実として友人が今隣にいないことと、その友人が書いたらしい手紙と紹介状と、薄い金属の板が手の中にある。
「変なの。……手紙だと、言葉遣い普通なんだね」
泣くことも笑うことも怒ることもできず、ただ、唇に任せて川面へ乾いた声を落とした。
「わたしは…………6,314なんだ」
三十どころか、十七歳と約四ヶ月。
それが紅秋の初期設定寿命だ。
声にした瞬間、鳩尾の奥あたりから熱がせり上がり、全身に巡る。勝手に目が見開かれる。
この感情を、どう言い表したらいいのか紅秋には解らない。
ただひとつだけ、「友人の言葉を理解しないまま死ねない」という思いだけは確かだった。
「長生き、するよ」
覚悟でも意志でもないそれは、ただの言葉として川面に落ちて流れていった。
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